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ワースレスの夜明けに-第一章④

『人殺し』
 灰塚の口から放たれたその言葉は、真夜中の遠くはなれた国道から響くクラクションの音のようであり、黒い塊と化した木々の隙間から聞こえてくる名も知らぬ野生動物の雄叫びのようだった。現実というコーヒーに幻想のミルクを注ぎ込み、苦味をまぎらわした非現実の言葉として黒井の耳に染み込んでいった。
「何を、言っているんですか?」犀潟は問う。先ほどのように『冗談』の一言で一笑される事を期待し、懇願の視線を灰塚へと向ける。
 しかしその視線の意を汲み取ることなく灰塚は続ける。
「人を殺す、前途有望な可能性の塊を握りつぶす事に、キメセク以上の快感を覚える変態もいるんだよな。でも自分で殺っちまったら犯罪者だ。今まで積み上げてきたもんが脆くも崩れ去る。だからお前らみたいな何の価値も持たない人間に『替わりの人殺し体験』を代替してもらう。これで自分たちは安全で快適に、人殺しのM-Pを見ながら一人でオナれるってわけだ。まぁもちろん仲介の俺らとしては、お前らがサツに捕まって足がつくとまずいからな、可能な限りの隠蔽工作はさせてもらう。お前たちはただ安心して、人を殺してくればいいんだ」
 黒井は今朝報道されていた『行方不明者続出』のニュースを思い出していた。M-Pが一般に出回るようになってから、国内の行方不明者数は少しずつ、しかし確実に増加傾向にあるらしい。その原因の一端には、こうした営利目的の組織的な神隠しが含まれているのかもしれない――暗い穴へと刺し込んだ右手の先を、中に潜む獣に噛み付かれたような鋭い痛みを前頭部に感じ、黒井は右手で頭を抑えた。
「いけませんよ、人殺しなんて、出来ません、私には、できません」犀潟はうわ言のように呟く。
「ほんと、君たちは優しいんだね」灰塚は目を細め笑った。天井から吊られた小さな電球の明かりが彼の顔に不気味な陰影を作る「でもさ、君たちも時々感じるだろう。この世界の理不尽さ、不平等さを、ね」今までの威圧的な声から一変し、不気味なまでの猫なで声だった「幸せの総量ってさ、みんなが一定であるべきだと思うんだよ。今幸福な人間は、過去や未来のどこかで絶対帳尻を合わせるべきなんだ。だってそうじゃなきゃあまりに不公平じゃないか。君たちはどうだい。過去から今に至る間に、幸せを感じられる瞬間が一体どのくらいあった? それは裕福な家庭に生まれ、若い頃からもてはやされ、たくさんの人に助けられ、年収の高い就職先と美人の奥さんを得て、欲しいものを何でも手にいいれてきた――そんな恵まれたやつらの幸せと比較し、本当に吊り合っていると思うかい? 僕は何も無作為に人間を殺して来いって言ってるわけじゃないんだ。これは『帳尻を合わせるべき人間に対して、君たちの手で帳尻合わせをしたらどうか』って提案なんだよ。君たちは今まで世間から虐げられ、辛い思いをしてきたんだ。だから今こそ帳尻を合わせて、金も、幸せも手に入れるべきなんじゃないかな?」 
 黒井と犀潟は灰塚の言葉に聞き入っていた。
 その提案には、先ほどまでの威圧的なものとは違う甘美な魅力があった。
 自分たちの主張を代弁してくれているような、そんな心地よさがあった。
「犀潟、君の奥さんの心を奪ったM-P――それに登場する脂にまみれた幸福の塊みたいな男たちが、今この瞬間にも複数の女の甘い思い出を作っているんだよ。そして彼女たちのM-Pが、将来君のようなかわいそうな人間を生み出して行く。君は憎くないかい? 何の不自由もなく好き勝手に生きて、様々な女性を虜にするのに飽き足らず、君のようなかわいそうな人のほんの些細な幸せですら、根こそぎ奪っていく恵まれた奴らが、君は憎くないかい? 彼らを憎いと思う気持ちは、正しい感情だと僕は思う。だから君のような被害者を少しでも減らすために、そんなやつらには少しでも早く『帳尻合わせ』をしてもらうべきなんだ」
 妻の話題を出した時、犀潟の目が明らかに変わったのを黒井は感じた。
 恐怖と戸惑いは色を無くし、そのかわりに怒りの色が滾っている。
「君は、憎くないかい?」灰塚が再度尋ねる。
「憎いです」犀潟ははっきりと答えた。
 灰塚は満足そうに笑うと、今度は黒井の方を向く「君にはまだわからないかもしれない。でもこれは灰塚を助ける事にもつながるんだ」そして何度も頷く。
 黒井はわからなくなっていた。
 灰塚の言葉は確かに、ふかふかのパンケーキに甘いシロップをたっぷりと垂らすような、空腹の食欲を否応なしに引きずり出す暴力的なまでの魅力があった。
 しかし、それでいいのか。
 この蠱惑的な魅力に流され、自分の体内へ取り込んでもいいのだろうか。
 しかし黒井は疲れていた。
 だからこれ以上考える事を放棄した。
 灰塚につられて頷くと、それを彼は肯定ととらえたのか、死んだ豚のような笑顔を更に露骨に歪ませ、深く一度だけ頷いた。
「交渉、成立って事でいいかな」
 2人は異を唱えなかった。
 灰塚は鞄から書類を二枚取り出すと、2人の方に向けて机の上に並べた。履歴書のようなその書類には、顔写真と住所などの個人データが印刷されている「それじゃ早速だけど、君たちにはこの2人をお願いしたいんだ。犀潟はこっち、黒井はこっちがいいかな」
 犀潟の前に置かれた書類には、顔立ちの整った上品な男の写真が貼られていた。黒井が本能的に劣等感を覚えるタイプの人間だ。そしてそれは犀潟も同じだろう。
 黒井の前の資料には若い女性の写真が貼られていた。
 どこかで見た顔のような気もするが、この年頃の美しい女性の顔を自分は見分けられない事に思い至り、その既視感は無視した。
 犀潟の表情には決意が見て取れた。
 黒井の表情にはまだ戸惑いが残っている。
 それを悟ったのか灰塚が黒井を見て言う「難しければやらなくてもいいよ。僕に連絡して『無理です』と告げてくれるだけでいいから。ただし、間違っても警察とかに駆け込んだらダメだよ。君みたいな人間を殺しても、僕たちには一文の得にもならないから。お互い、割に合わない事はしないようにしよう」

 その後、数枚の書類に目を通し、サインを済ませた。
 契約に則り、指定された相手を葬れば、その数に応じて現在のMVに指定金額が上乗せされる。
 殺す方法は特に問わない。試行錯誤の末に得られる結果の方が、M-P購入者は満足する傾向にあるから。
 やめたければいつやめてもいい。ただしこの件については口外してはならない。口外した場合は相応の処罰を下す。2人と灰塚の会社を繋ぐ糸や証拠は実際のところ何もない。たとえ無謀な正義感で警察に駆け込んだところで、それに対して白を切るための準備はあるし、結局は死体がまた一つ増えるだけの結果になるだろう。

 書類をクリアーファイルの仕舞った灰塚は、タバコを一本吸ったあと会計を済ませて出て行った。2人の分の会計も済ませてくれたのは、彼なりの気遣いなのだろうか。

 黒井と犀潟は連絡先を交換した。
 2人とも不安だった。同じ境遇の仲間との繋がりを切に求めていた。

 店を出る時、黒井は店のマスター――雪森瞳と目が合った。哀れむような視線を彼女は黒井に達に向けている。先ほど灰塚が話した『冗談』の話が頭を過ぎり、黒井は耳が熱くなるような感覚を覚えた。そして、その冗談が本当に全て冗談だったのか、そんな直感的な猜疑を覚え、そんな自分を戒めた。
「あの」黒井が口を開く。
「何か?」雪森は手元のグラスを磨きながら答える。
「また、来てもいいですか」黒井も彼女から目を逸らし、壁に掛けられた古い時計をなんの気なしに見ながら言った。
「もっと注文をくれるならね」雪森はぶっきらぼうに答える。

 そして黒井は店を出た。
 外の風は冷たく、凍っていた時間を打ち壊すように、ドアについたベルが乾いた音を響かせた。
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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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