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ワースレスの夜明けに-第一章③

 男は2人が並んで座っている向かい側の席に座った。
 小柄で小太りの男だった。年は40歳前後だろうか。カエルのような顔を上下から押しつぶしたような輪郭の中に、まぶたの重い細い目が2つ並んでいる。しかしその眼窩の隙間から覗く眼光は鋭い。髪は金に近い茶髪に染められていて、オールバックに撫で付けられている。趣味の悪い紫色のジャケットの下に襟元を大きく開けた黒いシャツを着ていた。
 一目して、真っ当な世界のものではないという風貌だった。
「いやぁごめんね、待たせちゃって」男は甲高い声で言う「ちょっと前の取引が長引いちゃってさ。あ、そんなに緊張しなくていいんだよ。といってもこんななりじゃびっくりしちゃうかな。こういう仕事してると、どうしてもハッタリをかまさなきゃならないケースが多々あるから、見た目だけでも箔をつけなきゃ不味いわけさ。僕って小柄だから」
 そこまで捲くし立てたところで、バーテンの女性が飲み物を運んできた。オーダーをとってないところを見ると、恐らくいつも頼む定番があるのだろう。女性は不機嫌そうに男の手元に飲み物を置くと「ありがとね」と男はにっこり微笑んだ。
「この店の名前知ってる? ワースレスって言うんだ」女性がドアの向こうに消えたところを見計らって男は言った「君たちみたいな人と取り引きするのにはすごくぴったりな名前だから、こういう話の時はいつもここを使わせてもらってるんだ」
 黒井は頷きかけて、男の言葉に含まれる小骨のような異物に気付いた。体内に取り込まれる手前で感情の襞に絡まっている。怪訝そうな黒井の視線など気にも留めず男は飲み物を一口飲んだ。
「ああ、僕は灰塚って言うんだ」男――灰塚は名刺を差し出した『思い出総合商社・株式会社ウイング・営業部部長・灰塚邦雄』と書かれている。いかにも地元の中小企業といった会社名だ。表向きは合法的な取引の仲介を行っているが、今回のような件は裏の事業にあたるのかもしれない「ああ、君たちの自己紹介はいらないよ。とりあえずMV査定表を見せて」
 黒井と犀潟は持参していたMV査定表を灰塚に渡す。灰塚は細い目を更に細めて査定表の文字を追っている。
視界の端に動くものが見えて黒井は犀潟の方に目を向けた。犀潟は足をしきりに震わせながら、固唾を飲んで灰塚の動きに注視していた。鬼気迫るその表情に黒井の緊張感も自然と高まる。面接官を前にして最初の質疑を待っている時の感覚に似ている、いや事実自分たちは目の前の男に試されているのだろう、黒井はそんな事を考えていた。
「――はい、大体わかった。特に問題なさそうだね。君たちの買い取り交渉に応じます」
 あまりにもあっけなさすぎる返答だった。黒井と犀潟はその先に続くであろう言葉を祈るような気持ちで待つ。その様子を満足そうに眺めると灰塚は笑う「ただし、条件がある」
 予想していた通りの二の句に、二人の身は引き締まる。しかしそこで灰塚は唐突に話題を変えた。
「ところでこの店のマスター、ああ、カウンターにいた彼女、この店を一人で切り盛りしているんだよ。彼女さ、雪森瞳って言うんだけど、結構かわいいでしょ。実は彼女も僕の客の一人なんだ。ちょうど一年くらい前に僕のところへ買い取り交渉に来てね、その結果得られたお金でこの店をやってるわけ」そこで灰塚は溶けて滴り落ちるアイスクリームのようにドロリと笑った。下品な表情だと黒井は思う「彼女にも一つ条件を出したんだ。まあ、条件というか『MVを高めるために取ってもらいたい行動』なんだけどさ。なんだと思う? 犀潟君」
 急に問われて面食らう犀潟。「あ、えっと、その」答えられずにまごついていている様子をくすくす笑いながら眺めている。
「わからないよね。じゃあ、答えね」灰塚はいたずらを楽しむ子供の表情で、二人の目を交互に見ながら続ける「僕の出した条件はこうだ『こちらが指示する複数の男性とセックスしなさい』」
 何を言っているんだこいつは、と黒井は思った。
「もしかして疑っているのかな。でもね、世の中にはいろんな人間がいるんだ。M-Pを購入する富裕層にだって――いや『当たり前』の全てを経験している富裕層だからこそ、倒錯した性的欲求をもっていたりするんだよ。彼女みたいな勝気な女性が、好きでもない男性に股を開く。その屈辱を体感して身悶えるすようなマゾヒストさんが、高い金を出して彼女のM-Pを購入してくれるんだ」
 黒井の脳裏に先ほど見とれてしまった彼女――雪森瞳の横顔が浮かんだ。彼女の表情が屈辱と不快感に歪むさまを想像したが、何一つとして喜びを感じられなかった。
 おかしい、こんなの馬鹿げている。
「さて、前置きが長くなったけど、君たち二人への提示する条件は『彼女とセックスをする』だ」
 灰塚はテーブルの真上で輝く照明を見上げてから、再び二人の顔を、戸惑いの滲む表情を満足そうに眺めた。
 照明が彼の顔の脂を光らせている。
 黒井は他人の吸うタバコの臭いを感じた。目の前の男が愛用しているタバコの臭いだろうか。同じ喫煙者にも拘らず、他人のタバコの臭いは不快に感じることが多い。自分のテリトリーに他人の身に纏う空気が混入することで、縄張りを侵されたような気持になるのかもしれない。
 灰塚はそういう男だと黒井は思った。他人の領域に土足で入り込み、粘ついたヤニ臭い息を空気に混ぜ込ませてくる。
「悪い話じゃないと思うけどねぇ。彼女、かなりかわいいと思うんだよ。それに犀潟君は最近奥様とめっきりご無沙汰らしいじゃん。浮気されているようなものなんだから、少しぐらいやり返したって罰は当たらないって。黒井君だって彼女いないでしょ。あ、病気とかそういうのは心配しなくていいから。その辺はきちんと管理してるし。どう、これすっごくおいしい話だと思うんだけど」
 予想外の展開に黒井は戸惑い、犀潟の様子を横目で伺った。犀潟は俯いて肩を震わせている。困惑し、迷っているのだろう。当然のことだ。なぜこのような条件を投げかけられているのか、目の前の男の意図がまったくわからない。
 しかしこれで本当に高額で買い取ってくれるのなら、確かにおいしい話なのではないか、そう感じる醜い自分も確かに存在していた。黒井は雪森の身体の曲線を想像し、その白い肌を妄想してしまう。劣情が掻き立てられる自分を必死の思いで宥めた。
「さて、君たちの返事はどうかな。まずは犀潟君」
 返答を迫られ、犀潟は口ごもる。しかし必死の思いで言葉を紡ぐ「それは、いけませんよ、そんなこと」
「ふーん、黒井君は?」
 黒井は無言で首を振り否定の意を示す。
「なに、彼女じゃ不満かな」灰塚は頬を膨らませる「彼女じゃ勃たない?」
「ちがいます、そんな事ないです。ただ、彼女の気持ちだってありますし、彼女の嫌がるような事は、その――私なんかじゃ彼女に申し訳ない」犀潟は顔を上げて灰塚の顔色を伺う。
「この交渉は彼女も合意の上なんだけどなぁ。お互い利害が一致していると思うんだけど」
「でも、それでもやっぱり、何と言いますか、ダメですよ――」最後の方は消え入りそうな声だった。
 黒井も犀潟の言葉の節々で頷き、同意を示す。
「そっか、残念だね。しょぼーん」灰塚はわざとらしく肩を落とした。
 そして急に黄色い歯を剥き出しにすると、両手を大きく叩いた。その場の空気を吹き飛ばす破裂音に二人は伏せていた顔を上げた。
「なーんちゃって、冗談だよ冗談。今の話は全くのでたらめでーす」灰塚は大声でげらげらと笑い出した。
 二人は呆気にとられる。
「いやあ、ごめんごめん。二人があまりに真面目そうだったからちょっとからかってみただけ」太ったカエルの求愛の歌のような不快な笑い声が狭い一室に木霊す。散々笑ったあとで灰塚は急に表情を変える「でも、今の二人の反応でわかったよ――」

「あんたらの思い出が、ゴミ屑並みの価値しかない理由が」

 灰塚は胸ポケットからシガレットケースを取り出すと、ロングタイプのタバコを取り出して腫れぼったい唇の隙間に差し込んだ。反対側のポケットからジッポのライターを取り出し、火を着ける。ライターには悪趣味なドクロのマークが刻まれている。オイルの甘い匂いが、タバコの煙と混ざり合い小部屋の空気中へと拡散していく。
「あんたらもあれだろ。他人の目を気にしながら生きてきた、そんなタイプ」タバコが半分ほどになったところで灰塚は話し始める「MVが低いだとかで相談してくる連中は大概そうだ。自分の気持ちに素直になれない。自分の欲求に正直になれない。人に馬鹿にされたくないから努力はしないし、相手から拒絶されたくないから好意も示さない。相手から差し伸べられた手を自分勝手な都合で振りほどいては、ちっぽけなプライドを守ろうと必死になっている。そのくせ他人の幸せを妬み、馬鹿にし、酸っぱい葡萄だと騒ぐ。要するにあれだ、自分の幸せを追求することが怖いんだよな。不幸な境遇に身を置いて、自分自身の人生を諦めたふりをして、本当の自分から目をそらしている。そんな人生を生きてきた人間のMVが高いわけないだろ。そこに気づけないからお前らは屑なんだよ」
 灰塚の言葉は先ほどまでのどこか子供じみた話し方とは違い、妙に淡々としていた。しかしその細く研ぎ澄まされた言葉の刃が二人の体に突き刺さっていく。犀潟は震えていた。黒井も奥歯を噛みしめている。相手の言い分に対しての反感はあった。しかしそれ以上に、相手の分析は自分の芯を捉えていた。
「MVが高い人間は自分に正直だ。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んで、やりたい女とやる。なぜならそれがそいつにとっての幸せだからだ。そしてその幸せを実現する努力を惜しまない。自分自身の判断基準で、自分の生き方を選択している。少なくともあんたらみたいに『相手に悪いから』なんて他人任せの言い訳はしない。雪森とやりたきゃ素直にやればいいし、やりたくなきゃ勃たないって言えばいい話だろ。自分の欲求に対する貪欲さが足りないんだよ」タバコの火を灰皿に乱暴に押し付けた。心の火がこの男の指先で押し消されたような錯覚を覚える「あんたら、いつまで自分が『与えてもらえる者』だと勘違いしてるつもりだ」
 黒井は何か言おうとして口を開けた。しかし言葉は出てこない。ぼろぼろに絞りつくされたオレンジの皮みたいに、干からびた口がパクパクと動くだけだ。
 唐突に一人の女性の姿が黒井の脳裏を掠めた。
 のっぺらぼうのように表情が見えず、背格好だけで辛うじて女性と判断できる、そんな影のような存在。
 それは昨夜の夢に現れた女性だ。
「変わらなきゃならねーんだよ。M-Pを世の変態な金持ちに高額で買い取ってもらうために、あんたらは変わらなきゃならダメなんだ。今までのように殻にこもって辛うじて呼吸をしている生きた化石みたいな人間じゃなく、自分の変化を受け入れて常に進化していける、そんな素直な人間にな。自分自身が望むものを自分自身で選び取るんだよ。そういうやつらにだけ、俺たちは手を差し伸べてやれるんだ」
 灰塚は手のひらを上にして両手を広げると、即座に手のひらを返してテーブルを叩いた。灰皿に溜まった灰が舞う。
「改めてあんたらに条件を出す。この条件をクリアすれば、あんたらの思い出の高額買取りを約束しよう。要するに普通じゃ誰もができないような特殊な経験をするって事だな。なんだと思う犀潟」
 犀潟は首を振った。乾いた口からは言葉とならない声が漏れる。
 灰塚は青白い満月のような薄い笑みを浮かべた。

「それはな、人殺しだよ」

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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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