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ワースレスの夜明けに-第一章②

「一本吸っていきましょうか」
 22時丁度に喫煙所へ到着した黒井を見て、犀潟は別段驚く素振りも見せず無表情でタバコを取り出した。黒井もまたポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出して口にくわえる。
 夜の帳が下りてもなお街の人通りは絶えない。ただし昼間は蟻の行列のように規則的な歩行を見せていたスーツ姿の男たちの姿は消え、黒く硬い皮を脱ぎ捨て白シャツ姿の成虫へと羽化した男たちが夜の街を自由に飛びまわっていた。派手な化粧をした蝶が二人の近くに止まり、チョコレートの匂いがする細長いタバコに火をつけた。
「お兄さんたち、2人してなにしてんの?」蝶は首筋から花のような甘い匂いを漂わせている「うちの店すぐそこなんだけど、飲んでかない? あたし今からちょっとお使いなんだけど、すぐ戻るからさ」
「いえ、これから用事があるんで」女性を完全に無視してタバコの火種をぼんやり見つめている犀潟に代わって黒井が答えた。
「そう」女性は2人への興味を無くしたらしく、視線を行き交う人々へと向ける。
 黒井はこの女性のMVを推察しようとする自分の不毛な思考回路を、紫煙を肺いっぱいに吸い込むことでかき消そうとしていた。
「――行きますか」犀潟がタバコの火をもみ消し呟くように言った。黒井はほんの少しの躊躇の後に一度だけ頷く。この選択が正しかったのかはわからないが、引き返そうという気の迷いは今の同意行動で完全に消え去った。
「『高額買い取り業者』とはこの先のバーで待ち合わせしてあります」喫煙所の女から十分に離れたところで犀潟は口を開いた「当初は私一人という予定だったので昨晩もう一人追加される可能性がある旨を事前に伝えてあります。快くOKしてくれましたよ」
「電話の相手は、どんな人物だったんですか?」沸き起こる不安を打ち消すために黒井は質問を投げかける。情報が足りなかった。情報というほんの少しの吐息があれば小さなろうそくの炎のようなこの不安は簡単に消え去ってくれるだろう、そう期待した。
「男でした。用件を伝える程度しか話していませんので、どんな人物かなんてわかりませんよ」前だけを向いて早口で犀潟は答える。前を歩くこの男の背中からも不安の色がにじみ出ていた。黒井はこれ以上何も聞くまいと口を噤んだ。
 こんな気持ちをどこかで体験した事がある。あれは中学時代、不良に校舎裏へ呼び出された時にも今と同じ様な不安が沸き起こった。当時の自分も特に目立つ生徒ではなかったはずだが、その弱々しさがむしろ彼らの可虐性を引き立てたのだろう。あの時もこれから自分の身に降りかかるであろう悪に恐怖し、校舎裏までの距離が不自然に長く感じた。
 今から自分が合おうとしている人物も社会的に見れば悪の存在だ。
 正義を多数から肯定される日向の存在と表現するなら、悪は多数から非難される日陰の存在だ。どちらが正しいかはわからないが、少なくとも黒井はいままで多数に肯定される行為を選びながら生きてきた。だから日陰の存在は未知だ。その世界にどのような法則が存在し、自分の糧にしてきた知識や経験がどの程度通用するのか全く想像もつかない。未知は恐怖に直結するが、しかし好奇心という求心力もほんの少しだけ発生させる。その好奇心だけ頼りに、夜道に落ちたパンくずを辿るようにして黒井は歩いていた。
 
「ここのはずです」表通りを一本裏道に入り、居酒屋や風俗店が建ち並ぶ通りを過ぎ、ネオンの明かりが届かない下水の臭いがする薄暗い一角、看板に薄っすらと照明をともした小さな店の前で犀潟は止まった。看板には「worthless」と書かれている。無価値という意味だろうか。その皮肉が利いた店名に黒井は口の端を吊り上げて不自然な笑みを作ってみた。それは強がりの笑みだった。
 後ろを振り返り黒井の表情を確認する。黒井は小さく頷く。
 2人は店の門を潜った。薄暗い店内に他の客の姿は見えない。タバコと下水とそれを打ち消すような甘い芳香剤の匂いが店内に最悪の比率で充満している。その陰鬱な雰囲気に黒井は一瞬眩暈を覚える。タバコが吸いたくなった。
「いらっしゃい」カウンターに立つ小柄な女性が2人を見た。夜の店には珍しく化粧気の薄い若い女性だった。あまり派手ではない目鼻立ちが店内の薄暗さによって打ち消され、ほとんどのっぺらぼうのように見えた。男のバーテンダーが着るような服装をしているが、少年のような風貌と相まってそれほど不自然さを感じない。
「予約していた犀潟です」そう指示されたのだろう、犀潟が迷いなくそう伝えるとバーテンの女性は迷惑そうな顔をして店の奥を指差した。そこには小さな扉があしらえてあって、どうやら個室になっているようだった。部屋の中央に置かれた4人がけ椅子に座り飲み物を注文する。正直アルコールを飲みたい気分ではなかったが、犀潟が目に付いたカクテルを注文したため黒井も同じものを注文した。むしろアルコールを摂取した方が緊張を解してくれるかもしれない、そう思い直す。
 オーダーを取る時にバーテンの女性の顔を近くで見ることが出来た。地味目ではあるが思いの他整った顔立ちをしている事に気付き、黒井はほんの少しだけ見とれてしまった。ショートの艶やかな黒髪の片側をピンでとめているが、もう片側は伝票を見るため俯いた頬に流れている。もともと童顔気味な上、黒井の位置からは顔の半分が髪で隠れているため年齢を推察できない。見た目だけで言えば20代前半に見えるが、雰囲気は自分と同い年くらいに大人びて感じる。その細い首筋がこの店の陰鬱で卑猥な空気には似つかわしくなく、まるで怪物の住む洞窟に迷い込んだ子供のようなイメージが浮かんだ。
 小部屋を出て行く後姿を見ながら、黒井は彼女のMVに思いを巡らそうとして、思いとどまった。
 犀潟がタバコに火をつけ、黒井もそれに習う。この不気味で哀れな男の一挙手一投足を真似ている自分がなんだか滑稽で、若干情けなくも感じた。
 数分間が無言のうちに過ぎていく。
 バーテンが再び小部屋のドアを開ける。その手には盆に載せたカクテルを持っている。
「君ら、思い出の買い取り交渉に来たんだよね」カクテルテーブルに置きながらバーテンの女性は言った。変声期前の少年少女のような細く高い声だった「おせっかいだろうけど、あんまりその手の話に深入りすべきじゃないと思うよ」
 それはどういう意味ですか、とっさに返そうとした黒井の言葉を遮り犀潟が声を張り上げる「あなたには関係ない事です! 口出ししないで下さい」
 バーテンの女性は一瞬気圧され、しかし反感の意からすぐさま体勢を立て直すと小さな黒い目で犀潟を睨んだ「それはすみませんでした」そう言って小さく頭を下げると、彼女は小部屋を後にした。
「すみません、大声を出してしまって」犀潟は黒井へ頭を下げる「少し気が立っているみたいで――多分緊張しているんだと思います。上手く話がまとまるかどうか不安で」
 黒井は「いや」と呟いた。この犀潟という男がこの取引にどれだけの期待をかけているのか改めて突きつけられた思いがした。2人のMVの価値はほぼ同じだが、それぞれの立場や環境は全く異なっている。黒井は仕事を続けながらしばらくの間は自分ひとりを生かし続けることが出来る。しかしこの犀潟という男の場合は愛する妻という重荷を抱えながらも借金返済という針の筵を歩き続けなければならない。そこから逃れられるかどうかは今回の交渉に掛かっているのだから、冷静さを失うほどに緊張するのも頷ける。
 背負っているものが違う。
 黒井は軽はずみな気持ちでこの場所に足を踏み入れた事を後悔し始めていた。
 その時、ドアの向こうで客の入る音がした。
『いらっしゃい』バーテンの女性の気のない声が聞こえる『いつも通り、奥の部屋に通してあるから――』
 その言葉が言い終わらぬうちに、足音が近づき小部屋のドアノブが回る。
「どうも、こんばんは」少しだけ開いたドアの隙間から男が顔を出した。


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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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