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ワースレスの夜明けに-プロローグ

 弓張り月の弦が引かれ円をなしていくように、季節は凪いだ海の波のような緩慢さで秋へと移り変わっていたようだ。
 ビルの自動ドアが開いたときに感じた鼻腔を張り付かせる乾いた風と、群衆という流動体が湛えるペールオレンジの明らかな減少によって、今更ながらに季節の変化を実感する事になった。体中の感覚器官がそんなどうでもいいような事柄を一々感じ取ってしまうのは、きっと今の自分が擦りむいた膝の傷に張った一枚の薄皮みたいに、吹きかけられた息さえも痛みと感じてしまうほどに敏感なセンチメンタルに陥っているからだろう。
 「50万か」黒井高志は呟いた。その金額が今の自分を作り上げたものに対しての総合的な価値ならば、自分の30年間は海岸の砂を積み上げて作った無価値な砂の像に等しい。それは悲しむべき事なのだろうが、どの程度悲しめばいいのか黒井にはわからず、ただタバコが吸いたいという欲求に突き動かされビルの外れに設置された灰皿へふらふらと歩いて行った。
 喫煙所には先客がいた。眼鏡をかけて頬がこけた同い年ぐらいの男だった。黒いシャツの袖をだらしなく肘まで捲り薄汚れたベージュのチノパンを履いている。男はタバコに火をつけて数口吸うと、苛立ちをぶつけるように荒々しく火種をもみ消して、また新たなタバコを取り出して火をつけた。黒井は男と灰皿を挟んで対面に立つと、カーディガンのポケットに突っこんでいたタバコを取り出し使い捨てライターを擦った。
 煙を吸い込むと使い込まれた消しゴムのように感覚の角が削り取られ、今まで考えていたことが夢の中の出来事のように思えてくる。現実なんてものは少しだけ鮮明で持続性があるだけのただの夢なのではないだろうか。
「いくらでした?」そんな男の問いかけに対して個人情報を不用意に口に出してしまったのも、夢と現の境目が曖昧で判断力が低下していたからだろう。
「50万、らしいです」
「私は65万でしたよ」男は溜息とともにそう呟いた「あなた、ご結婚は?」
「していません。独り身です」
「なら結婚経験の差でしょうね。それを除けば、きっと私はあなたより価値の低い人間ですよ」八重歯の目立つ黄色い歯を見せて笑った「他の会社でもおおよそこんなものでした。他をあたってみるつもりなら無駄足を覚悟した方がいいかもしれませんよ。おそらく私達みたいな小市民のMV査定は経費を押さえるためにカルテルを結んでいるのかもしれませんし」
「どうなんでしょうね」曖昧に応えるが元々他の会社をあたるつもりはなかった。50万が60万になろうが70万になろうが、数千数億のMVを持つ者からすれば微々たる違いに等しい。
 同じ人間でありながら、人生の価値にこれほどの違いが生まれる事を認めたくなかった。
 頭ではそういうものだと割り切っているつもりだが、心がそれを拒んでいる。

 人間の「思い出」というものに物質的な価値が生まれてから四半世紀が過ぎた。
 記憶をデータとしてアウトプットし媒体へ取り込むことで、人々は公開された他人の購入し記憶を自由に閲覧できるようになった。記憶――思い出というものは不思議なもので、同じ事を経験したとしても、その見方感じ方は受け手によって千差万別だ。夕日を見て感涙を流す者もいれば、憎い相手を思い出し怒りを露わにする者だっていないとは限らない。思い出は客観的に事象を記録したフィルムではなく、あくまでも観測者の内面に生じた感情が作り出す一種の「芸術作品」だ。
 想い出の閲覧によって、映像だけではなくその時感じた匂い、肌の感覚や音、そしてそれによって沸き起こった感情を含めた全てを、他者が自由に経験できるようになった。
 だから写真やテレビとはまた別のジャンルとして「思い出」の商業化が始まった。
 むしろ見た人間の感情までも左右できる「思い出」の効果は、幸福感を高めるために使用されるドラックの一種に近いのかもしれない。数グラムの粉が高値で取引されるように、合法的に快感、満足感を得られる第三者の「思い出」は高額で取引されるようになる。
 そして人間の価値の二極化が進んだ。
 安定した精神構造を持ち幸せな人生を歩んできた「高価な思い出を持つ者」。
 常に不安や劣等感に苛まれながら灰色の人生を送ってきた「価値の低い思い出を持つ者」。
 黒井は自分が後者であることを改めて実感していた。
 
 30歳になると自分の思い出の価値(MV)を担保に幾何かのお金を得る事が可能になる。30歳を過ぎれば人間の人格形成があらかた固まるため、今後の価値の変動が少ないと判断されると説明を受けた。思い出のアウトプットは当事者が死亡した後に行われるため、基本的には思い出を扱う特定の会社と契約を結び、生前給付の形でMVに見合った資金を得る事が出来る。それを元手にして様々な経験を積み、更にMVを高める事でも可能――先ほどの会社でそのような説明を受けたが、MVの低い自分には当てはまらないと黒井は自覚している。自分は50万の人間だ。50万で一体何が出来るというのか。

 一般的に低いMVの思い出は実験用として使用されるらしい。
 自分が必死に生きてきた人生は、ケージで飼育されているマウス程度の価値しかない。
 それが悲しかった。

 タバコの火を灰皿でもみ消して立ち去ろうとすると背後から「あの」と声をかけられた。振り向くと曇った眼鏡の奥の丸い目がこちらを見つめていた。その目からは屠殺を待つ家畜のように切羽詰まった感情が覗く。
「なんですか?」黒井は応える。
「もう少し、話しませんか?」男は道路向かいのファミレスを指さしている。
 この男が何の目的でこのような提案をしたのかは皆目見当がつかなかったが、このまま狭い犬小屋のようなアパートに帰って背中を丸めてテレビを漫然と見つめるしか予定のない黒井にとって、その提案は別段迷惑なものではなかった。
 誰かと話していたい。
 誰の話を聞いてあげる事で、自分の価値を再認識したい。
 自らの中にあるそんな感情を発見し、おそらく相手も同じ気持ちなのかもしれないと黒井は納得した。
「いいですよ」黒井は応え、二人はファミレスへ向かった。

 ファミレスは喧騒に満ちていた。
 喫煙席を指定すると右奥の区画に通された。ソファー席に腰を下ろし黒井はタスキ掛けしていた鞄を下ろす。男は早速タバコを取り出すと何かに追い立てられるようにタバコに火をつけ煙を吸い込んだ。
 MV査定受けて以降、黒井は目につく人々のMVを無意識のうちに推察してしまっている自分に気が付いた。
 向こうの禁煙席に座っているあの若いカップル。男女ともに顔立ちが整っていて性格も誠実そうに見える。おそらくこの近くの有名私大の学生だろう。競争の中で常に上位を走り続け、周囲からの信頼も厚く、常に異性から好意を持たれ、その中から選択した気の置けない恋人を得て、至極真っ当に成長してきたに違いない。このまま成長が進めば初査定の30歳時点ではおそらく500万くらいにはなるだろうか。小中学校の同学年の上位5%に含まれる。
 こちらの喫煙席に座っているダボダボの服を着てアクセサリーをじゃらじゃら着けたガタイのいい金髪の男。学生時代はその容姿と暴力で周囲を支配していたのかもしれない。心のどこかに何かしらの孤独を抱え、それを隠すために虚勢を張り続けた結果いつしか周辺には同じ傷を持つ仲間たちが集まり互いに傷を舐め合うようになった。合コンや友人の伝手で知り合った女性に「一生お前を愛す」と誓うが、小さなことで喧嘩しては破局を繰り返す。しかし舌の根が乾かぬうちに別の女性の耳元で「一生お前を愛す」と囁く。しかしその全てが彼の中で美しいドラマとして昇華されているのならMVはおそらく200万くらいだろう。
 様々な人間が様々な価値の上に成り立っている。
 しかしそれは――
「私は犀潟恵介と言います」男の自己紹介で黒井の思考は現実に引き戻された。
「俺は黒井高志です」黒井は改めて相手の容貌をまじまじと見つめながら軽く頭を下げた。不気味な男だった。身体はやせ細っていて生気が感じられないのに目だけは異常に鋭い。
「とりあえずコーヒーを2杯頼んでおきました。よろしかったですか?」どうやら妄想に耽っている間にウエイトレスが注文を取りに来ていたらしい。黒井は、はい、とだけ答えた。
犀潟は周囲を見渡すと「ほんと、バカらしくなりますよね」と呟いた「同じ人間なのに、持っている思い出だけで差をつけられたんじゃ――」
 そう言ったところで小柄で平凡な顔のウエイトレスがコーヒーを運んできた。彼女が踵を返すと犀潟は続ける「たちが悪いのが、MVは主観的な要因のみで決まるって点ですよ。仮に他人を蹴落とし踏みにじって得た勝利だったとしても、本人がそれに気づいていなければ最高の美酒になるわけですから。逆に勝利の裏に潜む敗者の存在に気付けるような過敏な感性を持つ者は、勝利の美酒が泥水にかわりMVが低下する」
「たしかに性格に左右される面があります」ただ黙って聞いているのも良くないと思い、黒井は適当に相槌を打つ。
「そうなんですよ。極論、他者を省みない自己中心的な輩が得をして、他人への気遣いを持ち合わせている繊細な者は損をする」
 黒井は犀潟の熱弁を聞きながらタバコに火をつけた。
「すみません、今ここで文句を言ったところでどうにもならないですよね」犀潟はコーヒーに砂糖を4本入れてスプーンでかき混ぜた。その様子だけで黒井は胸焼けが起きそうになる。
「黒井さんも入れますか?」その気遣いを黒井は丁重に断った。

「それで、どういったご用件で?」コーヒーを一口飲み黒井は尋ねる。カップの中では薄茶色の気泡がゆっくりと円の軌跡を描いている。
「いやぁ、ここで会ったのも何かの縁と思いましてね。実は私、最近ちょっとした情報を仕入れたんですよ。もしかしたらそれが黒井さんの助けになるかもと思いまして」犀潟は上目づかいに黒井を見る。眼鏡越しの鋭い目が刀剣のように細められた「黒井さんは、MVを高める方法をご存知ですか?」
「それって――」思い当る方法は一般的に考えて3つある。
 1つ目は、良質な思い出の作成に適した精神構造を持つ人材に対し商業的価値を更に高めるために行われる、メンタルサポートや思い出の提供を行う業種。
 2つ目は、一般に売り出されている精神構造を改善させると謳われた眉唾物の商品群。
 そして3つ目は、非合法的に扱われている特殊な思い出の高額買い取りや、MVデータの改竄など。
 犀潟の表情から、彼の言わんとしていることは3つ目に近いのだろう。
「私、思い出を高額で買い取ってくれる業者を知っているんです。この前仕事の関係で偶然その業者への連絡手段を手に入れましてね」口元に下卑た笑いが浮かんでいる「興味はありませんか?」
 興味がないとは言えない。しかしそう答えてしまうと、踏み込んではいけない世界の扉を開いてしまうような気がして言い淀んだ。それに『なぜその話を自分に』という疑問符が目の前の男に対する疑念の裏側に張り付いている。
「犀潟さんは、その業者に行ってみるつもりなんですか?」黒井は質問に質問で返す。誰かの投げた餌に食いつく前に、その餌に釣り人の針が隠れていないか入念に調べなければならない。
「私は、行ってみようと考えています。今回実際に査定を受けて、その決心は強まりました。私の場合、出来るだけ早くまとまったお金が必要なもので――」
「出来るだけ早くですか?」黒井が聞くと犀潟はバツが悪そうにコーヒーカップに目を落とした。
「借金です。妻が『コレ』に嵌ってしまって」犀潟はコレのところで自分の頭を指さした。この仕草は「M-Pプレーヤー」を使用している様子を意味する。
 
 M-P――人々から抜き取られた思い出は『メモリーパール』と呼ばれ、『M-P』という通称で世に出回っている。人々の記憶の中で精錬され凝縮され輝きを増していく思い出を、貝の体内でカルシウムと有機物が固着することで生じる真珠の美しさに照らし合わせてそう呼ばれるようになったらしい。
 記憶の真珠などとはよく言ったものだ。最初に言い出した人間の得意げな顔が目に浮かぶようだが、黒井はいつもその呼び方に嫌悪感を覚える。ただの生き物の体液の塊が見栄えの良し悪しだけで宝石のように扱われたり、石ころのように破棄されたりする。その判断がマジョリティの価値基準によって定められている事実は、四半世紀前に誕生したM-Pという新たな価値の本質を如実に示しているような気がしている。
 思い出の価値を見た目の派手さだけで決定するのは不自然な事だ。
 思い出は宝石――物質ではない。

 小指の爪ほどの大きさの球状の媒体に記憶された思い出――M-PはM-Pプレーヤーというフルフェイス型ヘッドセットにはめ込む事で鑑賞できる。脳の各部位に直接電気信号を送る事で、M-Pの視覚映像や匂い、触覚、音、そしてその時の感情までも任意に発生させ、本来思い出の持ち主と同じ感情を持ちながら同じ体験をすることが出来る。
 仮に高所恐怖症の人間が南国の海を飛び回るパラセイルの爽快感を含んだM-Pを再生したとする。その場合、通常であれば生じるはずの恐怖の感情は一切起こらない。本来の持ち主と同様に空を散歩する喜びと景色の美しさだけを感じる事が出来る。
 しかしM-Pプレーヤーは非常に高価だ。豪邸に住み高級車に乗りM-Pプレーヤーを所持する、それは生活水準の高さを誇示する一種のステータスになっているほどで、一般人が易々と手に入れられるものではない。最近は再生時間の短い廉価版が発売されたらしいが、それにしたって百万は下らない。そこにソフトとしてM-P自体の価格も上乗せされる。失礼な話だが、犀潟がそれを補って有り余るほどの収入を得ているようには到底見えない。そのしわ寄せは莫大な借金として彼の肩に圧し掛かっているのだろう。

「恋愛関係のM-Pに嵌まってしまって、毎日ソファーに凭れて社長令嬢だか医者の娘だか舞台女優だかの激しい恋のM-Pを再生しているんですよ。私が仕事から帰っても声さえかけて来ない。先日なんかね、帰るとソファーに横たわって自慰をしていましたよ。私の存在にも気付かずに、呆然と立ち尽くす私のすぐ目の前で、だらしなく口を開けて。バカらしいでしょ。彼女にとって私は一体なんなんでしょうね!」
「そうですね、ほんとにそれは――」徐々に語気が高まる犀潟を宥めるように言って、黒井はそっと周囲を見回す。隣のテーブルに座った中年のカップルがこちらの様子を伺っていた。
「すみません、取り乱しまして……」困惑した黒井の様子に気付き、申し訳なさそうに頭を下げ、タバコを口にくわえる「まぁ、そういう事です。そんな事が続いて今私はお金を欲している。今の生活をリセットするためにはお金が必要なんです。それに――」
 犀潟はタバコの煙を肺いっぱいに吸い込むと自分の頭の上に吐き出した。煙を睨むその表情には憎々しい相手を呪い殺そうとするかのような怒りと、そんな感情の炎に身を投じてしまった自分自身への悲しみが見えた。
「それに、私の思い出――私と妻との想い出があんな値段なんて、納得できないじゃないですか」
 犀潟は今でも妻を愛しているのだろうな、と黒井は思った。
そう思うと今まで不気味さを感じていた彼が急に哀れな男に思えてきた。
 愛する妻は、自分との思い出を切り捨て、他人の思い出の甘さに溺れている。そんな生活から抜け出すために一念発起して受けたMV査定だったが、結局は大した値段にならなかった。妻がのめり込んでいる他人の思い出の10分の1の価値だろうか。
 自分と妻との過去を否定されたような気分だろう。
「だから私は、その『高額買い取り業者』とやらと取引してみようと考えています。だって、悔しいじゃないですか」
「その気持ちはわかります」自分自身の感情にいくらか犀潟と重なる部分がある事を黒井は自覚した。
 自らの価値を否定されたことに黒井も同じような感情を持っている。
 自分の思い出――自分を作り上げてきたものはそんなに安くはないはずだ。
 目の前の男に至っては、最愛の妻に過去の思い出の無価値なものとして扱われ、その悲しみや憤りをMV査定という第三者に再度突きつけられた。傷口に塩を塗りこまれるようなものだろう。
「明日の夜22時に、またあのビルの前の喫煙所に来ます。30分待ちますから、もし黒井さんも興味があるのであれば、是非」
「考えてみます」そう答えたが、頭の中では明日のバイトのシフトを考えていた。21時上がりのため22時には充分間に合う――そう考えている自分の気持ちは、既に同行する方向に傾いているのかもしれない「でもなぜ、俺に声を掛けたんですか」
 最初に感じた疑問を犀潟に訊ねる。
 犀潟は寂しそうに笑った。
「あなたも私と同じような目をしていましたから。それにこんな無価値な私にだって、誰かの役に立ちたいって気持ちがあるんです」

 ファミレスを出るとビルの合間から夕日が覗いていた。
 人をあざ笑うかのようなその赤く滲んだ色合いに、黒井は薄ら寒いものを感じた。


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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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