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透明という色-8

-7 に戻る

 藤巻が中心となって進めるはずだった大手顧客への新規営業のプロジェクトは、後輩の手に移ってからも滞りなく進み、そのサポートという名の雑用として四苦八苦する毎日が続いている。
 透明な藤巻はいつも通り自分に注がれる憐憫や軽蔑の視線を透過し、そこにいないものとして苦痛の雨が降りそそぐ日々をやり過ごしている。
 そして彼は久しぶりに泥棒を再開した。
 背後に田園が広がる古い住宅街では夏を待ちわびた虫たちの声が鳴り響いている。その声は耳を傾けると頭の中に響き渡り、意識を逸らせば波が引くように消えていく。
 大きな桜の木が植えられた民家の庭に忍び込み、木の上から二階のベランダへと乗り移った。無用心にも網戸になっている窓から部屋の中を伺うが、8畳ほどの和室に人の気配は見受けられなかった。そっと窓を開けて家の中に忍び込む。和室のドアを静かに開けると鼠のように俊敏に隣の部屋の前へと移動し中を覗き見た。そこは書斎のようだった。プレッシャーから心臓が高鳴り心に凝り固まった昼間の不満や不安を血液と共に押し流してくれる。その間隔が藤巻には心地よかった。書斎に入ると小さな本棚と学習机が置かれていた。その上にある何か無価値なものを今日の戦利品として頂戴しよう。そう思って学習机の上を見る。そこには一冊の単行本が置かれていた。
 作者名、宮内綾子。
 藤巻の視線はその本に釘付けになった。
 宮内アヤカ――本名、宮内綾子はあの晩を最後にこの世界から姿を消した。
自宅に置かれていた遺書から自分が海に身を投げる旨と、出版予定の本については予定通り出版を勧めて欲しいとの旨が記されていたため、出版社は故人の意思を尊重するとの名目で本の出版を進めた。本の帯には宮内綾子の生い立ちを悲劇的に脚色した紹介文が書かれ、そのペンギンが吐き出したオキアミのような臭い立つ文面に藤巻は嫌悪を感じた。
 彼女の死体は見つかっていない。
 生死不明の状態のまま、彼女の失踪は死という結論を持って収束した。
 その悲劇的な死を覗き見たい人々が、他人の悲しみに浸ることで平凡な日常に意味と少しの優越感を見出すためにその本を買いあさり、一時期は本屋の人気本ランキングに記載される事もあった。その時の勢いは無いにせよ、今でもこの本は売れ続けている。
 結局、宮内アヤカの思い通りにことが進んだわけだった。
 藤巻はガラス玉のような目で彼女の本を見下ろしている。
 あの夜に彼女は「透明じゃなくなるおまじない」と言って藤巻の唇に唇を合わせた。あれから何かが変わったようでいて何も変わらない自分がいる。結局自分は透明なままで、自分の意思や感情ですら表現できずにいる。
 彼女は自分の中に渦巻く感情を表現するためにあれだけの行動を取った。
 その行動自体は決して褒められることではないが、彼女のように自らの命を賭してまで多くの人に表現したいことが自分にあるだろうか。
 そこまで大それたものではなくてもいい。小指の先に乗るガラスの欠片程度の輝きでもいい。自分の中に確固たる感情はないのだろうか。
 何も無いのかもしれない。
 だから自分はまたこんなふうに透明になっている。
 彼女の本の表紙に触れた。

 心が波打った。

 ドアの開く音がした。
 照明が点けられる。
 振り向くと中年の女性と目が合った。
「泥棒!」
 女性は叫んだ。
 藤巻の頭は混乱した。『何故見つかった?』そんな疑問が頭を過るがその疑問の答えをいちいち思案する暇などあるはずがない。書斎の窓に手をかけ外に出る。ベランダは和室側とつながっている。侵入の時に利用した桜の木駆け出し助走をつけて飛び移った。木の幹のきしむ音と緑の葉を揺らす音が真夜中の住宅街にいやに大きく響いた。
「誰か! 泥棒よ! 捕まえて!」
 ベランダの手すりから身を乗り出し藤巻を指差しながら女性は大声で叫んでいる。これが普通の反応だよなと藤巻は思った。あの日の彼女の反応は異質すぎたんだ、そんなことを考えながら木の幹から滑り落ちる。めくれた木の皮が指に突き刺さって鋭い痛みを感じるがそんな事に構っている暇はない。前のめりに転びそうになりながら走り出した。背後では女性は叫び続ける。近隣の住宅の明かりが次々に灯りカーテンの向こう側に人の影が覗く。極力顔を見られないように着ていた黒いパーカーのフードを目深にかぶり、女性に自分の顔を覚えられてないかどうかを若干気にしながらも藤巻は全力で夜の街を駆け抜けた。
 息が上がる。
 足がだんだん鉛のように重たくなる。
 しかし頭だけはやけに鮮明で『何故見つかったのか』その疑問の答えをグルグルと考え続けていた。
 侵入も移動も物音一つ立てていなかったはずだ。自分の行動に抜かりがあるとは思えない。藤巻は今までの数十回の泥棒でいくつかの危機的状況を経験しているが、結果として家主に見つかるような事はたった一度の例外を除いては一度もなかった。偶然という不確定な要素は確かに存在するが、自分自身の特性がそれを回避できるものと確信している。
 
 自分は透明だ。

『藤巻君が透明じゃなくなるおまじないをかけてあげよっか』

 藤巻の頭にあの夜の宮内の姿が浮かんだ。
努 めて思い出さないようにしていた宮内アヤカとの記憶があふれ出した。

 心臓が高鳴り、わき腹に鈍い痛みを感じる。溺れたように顎を上げ大きく息を吸い込むと、落ちてきそうなほど大きな満月が目に映りこんだ。
 彼女の少しだけかすれた声。
 細くひ弱な肢体。
 草食動物のような黒い目。
 白く透き通る頬。
 絹のような髪。
 氷細工のようにか弱い身体に秘めた炎のような意思。
 照れたような笑顔。
 少し意地悪そうな笑顔。
 藤巻の目を真っすぐ見て言った「ありがとう」の後の笑顔。
 また会いたいと思った。
 そう思った瞬間、彼女の喪失が初めて実感となって藤巻の心を襲った。自分の心の中にこれほど強い感情が眠っていた事に藤巻は驚く。いや、眠っていたのではなく自らの手で蓋をしていただけだ。
 会いたい、会いたい、会いたい、会いたい。
 彼女はこの事を知っていたのだろうか。
 知っていたから、あんなおまじないをしたのだろうか。
 走りながらあふれ出てくる涙を右手の袖で拭う。
 自分の中に沸き起こる得体の知れない感情はごくごく単純なものだった。長い間忘れていたために気付かなかったが、それは本当に自然で、しかし何よりも強い感情だった。
 自分の中に宮内が存在している。
 檻から抜け出し殺風景な何もない荒野に立った彼女は、ひび割れた地面を耕し、種を植え、水を撒いた。やがてそのうちのいくつかが開花し、透明だった藤巻の心に彩を加えた。
 
 表現したいものがあった。
 確固たる感情もあった。
 いつの間にか自分は、透明ではなくなっていた。

 黄色く輝く月は遠く手で触れる事は叶わない。しかしそこには確かに存在している。
 そんな類の色が、藤巻の心にも存在していた。

-9 に続く

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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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