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透明という色-7

-6 に戻る

 ドアを開けると彼女が立っていた。
 玄関から漏れる明かりが深夜0時の闇と溶け合う。薄い化粧の影響なのか、柔らかな色合いの花柄のワンピースの影響なのか、光の中に立つ宮内の表情はいつも以上に明るかった。ドア枠に区切られた一角だけが別世界の入口のようで、彼岸の世界に立つ彼女と此岸の世界に立つ自分を明確に分けていた。
 スイッチ一つで別世界は闇に覆い尽くされる。
 闇の中から彼女がゆっくりと歩み出てくる。
 その足がドアの敷居を跨いだ時に、藤巻は再び不思議な感傷にかられた。外界に踏み出した足が白い光の粒となり霧散してしまうような想像が脳裏を掠める。咄嗟に制止の声を出そうとして、無理やりその声を飲み込んだ。
 彼女が外の世界に立っている。
 それは当然の事なのだが、藤巻にとってその姿は動揺を誘うものだった。
 彼女は今、家族との最後の思い出とも言えるこの家から切り離された。支えを失った彼女は糸の切れた風船のように天高く舞い上がり、やがて気圧の変化で膨張し、破裂する。
 そんな感傷を一笑するかのように宮内は微笑みながら「いこう」と言った。

 軽自動車が手入れの行き届いていない県道を走り出す。
 紙のように貧弱なシャーシに蹴り上げられた小石が当たり、エンジン音のベース音に軽快なドラムスが加えられる。オーディオの再生ボタンを押すと、とあるロックバンドの曲が再生され車内は音の飽和状態と化す。
 しかし助手席の座る宮内の事を意識すると、それらの音は藤巻の耳から遠ざかっていく。この異様な光景に現実感を持てない自分がいる。
 車が国道に入るとドラムスの音が弱まった。
 宮内は車で30分ほどのところにある海岸を目的地として伝えた。海開きすれば多くの海水浴客が訪れる近場のちょっとした観光地だが、この時期のこの時間帯であれば黒い海岸に黒い海が広がっているだけだろう。そんな場所になんの用があるのか、藤巻は疑問に思った。
「こんな時間にこき使っちゃったごめんね」宮内はヘッドライトの照らす歩道の白線を見ながら言う「タクシーを使ってもよかったんだけど、後々面倒な事になりそうだから」
 何が面倒なのかよくわからなかったが、藤巻は頷いた。
「こんな時間に、何をしにいくんですか?」藤巻は何の気なしに尋ねる。
「うん、死のうと思って」
「そうですか」藤巻は頷いた「確かにあそこは今の時期誰もいないですからね。うってつけです」
 言葉の意味を飲み込むのに時間が掛かった。いや、意味はわかったのだが、その言葉の持つ意味と隣に座る女性をイコールで繋げる事に時間を要したといった方が正しい。だから藤巻は何の疑念も迷いもなく、その言葉の持つ意味に対して適切と思われる返答をしていた。
 しばらくの沈黙の後、言葉の持つ意味と宮内とがやっとイコールで繋がった。
「今なんて言いました?」藤巻は聞き返す。
「劇的に、海に身投げしようと思って」宮内はスーパーに食パンにでも買いに行くような気楽な言い回しで答えた。
「身投げって、死ぬってことですか?」
「うん、さっきからそう言ってるじゃんか」宮内は不満そうな口ぶりで言う。
 車が路肩に急停車した。
 ヘッドライトを消し、ハザードランプをつけると、黒いアスファルトが断続的に白く照らされる。目的地である海からの連想で灯台の明かりみたいだなと藤巻は思った。
「ちょっと、なんで停まるのさ」明らかに不満の篭った声で言う「明るくなる前には着きたいんだけど」
「いや、停まりますよ」藤巻は車内灯をつけて宮内を見る。口先をつんと尖らせている彼女の表情からは注文したショートケーキが乾パンに化けたような不満感が見て取れる。その無邪気な、他意のない表情に藤巻は面食らった。
 自暴自棄になっているのかと思った。
 小説を書き上げて目標を失ったからかもしれない。
 天国の二人に会いたい、そんな感傷からくる衝動かもしれない。
 それとも昼間に自分が行った行動が深く彼女を傷つけてしまったのだろうか。
 色々な考えが頭を巡るが、そのどれもが的外れである事は彼女の表情を見る限り明らかだった。
 彼女は純粋に死を望んでいた。
 いや、その死の先にある何かを、望んでいる。
「別に、軽はずみに命を捨てようとしているわけじゃない」宮内は怪訝そうな藤巻の顔を覗き込む「ここで私が死ぬ事で、私たちは少しでも長く生き続けることが出来るだろうから、私はそうするの」
 相変わらずこの女性の言い出すことは意味不明だ。藤巻は自分の顔を覗き込む女性の頭を両手で鷲掴みにして乱暴に揺さぶってやりたい感情と、同じように自分の頭を揺さぶって混線してしまった思考の糸を強引に振り解きたい感情が、天使と悪魔、いや悪魔とまた別の悪魔となって自分の周りを飛び回っているような気がした。
「藤巻君は、人はどんな時に死ぬと思う?」宮内は問う「他人の記憶から自分という存在が全て消えたとき人は本当に死ぬってよく言うけれど、私もその意見には賛成なんだ。私のこの身体も、心も感情も、何もしなくたってあと数十年で消えてしまう。運が悪ければ、今日明日にだって消えてしまうかもしれない」不慮の事故で亡くなった夫と娘の事を言っているのだろうか「そうなってしまったら、私という人間の風化を止める事は絶対にできない。私の親類や、仕事関係者や、友人や、そして藤巻君が死んでしまったとき、私という存在は完全に消えてしまう。記憶っていう不確かな媒体のみで存在するってのはそういうことでしょ」
「確かにそうですけど」と藤巻は言う。しかし今の説明では肝心の部分に応えにはなっていない「でもなんで今死ななきゃならないんですか?」
「私の本、売れると思う?」
 質問に質問で返されて藤巻は少しの苛立ちを覚えた。宮内に対しての苛立ちをいうよりも、彼女のペースに呑まれてしまう自分自身に対する苛立ちのような気がする。このまま霧にのみ込まれて、離してはいけない風船の紐を手放し見失ってしまいそうな恐怖が根底に存在している。
「本という媒体は優秀だよ。保存状態が良ければ何十年も形として残るし、何度だって複製を作り出すことが出来る。複製を繰り返せば半永久的に存在することが出来る。私はあの本に私――私たちのすべてを記したつもり。それが半永久的に存在することが出来るなら、私たちは半永久的に存在し続けられるのと同じことじゃないかな」でもね、と宮内は少し表情を曇らせた「私は所詮売れない官能小説かなんだよ。今回は運よく本を出すことが出来るけど、それだって全く売れなければ絶版になる。そして多分、私の本は売れない」
「そんなことないですよ!」藤巻は声を荒げた。ここが彼女の決断理由の根底部分だと感じ、この考えを正せばこの馬鹿らしい議論を終息させることが出来る。それに自分の感情をあれだけ波打たせたあの小説を卑下された事に対する反感もあった。
「いや、売れないよ」宮内は藤巻の目を見て言い切った「藤巻君は私という人間を知った上であの本を読んだからそう言えるんだと思う。でもこんな不幸なんて何も私に限った事じゃない。家族を失った作家が家族の死を題材にした本を書いたから、出版社の偉い人たちは金の臭いを感じたのかもしれないけど、同じ様な作品はこの世界にいくらでも存在しているよ。私なんて名前の売れてない苔の生えた石ころみたいな官能小説家だから、そんなやつの書いた小説なんて誰も手に取ってくれないと思うんだ。それじゃあ私の本はいずれ絶版になり、消え去るよ。私という存在は冬のため息みたいに、あっという間に消え去ってしまう」
 対向車線を走る車のヘッドライトが彗星のように流れていった。
 無性にタバコが吸いたくなった藤巻は宮内に断る事も忘れ運転席側と助手席側の窓を開ける。国道の路肩に群生するススキみたいな植物やクローバーみたいな植物が放つ青臭い匂いが助手席側から流れ込んできた。生物の生きている匂いだ。生きた匂いが充満した車の中で、植物の死骸を束ねたものに火をつける。死んだ生物の匂いが生きた匂いを覆い隠した。
 死の持つ力は絶対的だ。
 たとえどんな生き方をしたとしても、死とそれによる忘却から人は逃れる事が出来ない。
「そうならない為に、私はこれから海に身を投げる。そのスキャンダラスな出来事が、いい意味でも悪い意味でも私の小説の表紙に貼り付けられる。凶悪殺人犯の手記が売れるみたいに、家族の死を悼み自殺した小説家の生前に残した小説は多くの人の目に留まるよ。人は『死』を遠ざける一方で、どうしてもそこに惹かれる部分があると思う。他人に対して死を行う者、自分に対して死を行う者、そういう普通は禁忌とされる世界へ踏み込んでしまった者たちを思考や感情について、両手で目を覆いながらも指の間から目を血走らせて覗き見たいっていう欲求が人間にはあると思うんだ」
 タバコの灰が運転席の窓から地面に落ちた。
 火が消えた時、助手席の窓側からまた生きた匂いが流れ込んできた。その香りは死の匂いによって萎縮していた血管を優しく解しながら鼻腔から脳内へと流れ込む。
 死によってより際立つ生もあるのかもしれない。
 記憶を焼き付けるために写真を燃やす。
 自分たちが存在し続けるために自分を消す。
 その逆説的な考えは恐らく狂人の所業だろうが、その言葉や意思の持つ赤く鋭い鮮やかな爪は藤巻の心に深く突き刺さった。目の前の暗がりに座る小さく華奢な狂人の白い頬が月の光に照らされ美しく浮かび上がった。
 車は再び走り出した。
 藤巻は納得したわけではない。ただこのままここに留まり続ける事に罪悪感を覚え始めていた。彼女の持つ怪しく輝く青白い月のような決意に泥を浴びせかけるような、そんな種類の罪悪感が右足をアクセルに向かわせた。
 国道をしばらく走り、コンビニの側の信号を左に曲がる。少し小高い丘を登りきって下り坂に入ると右側の視界が急に開けた。
「海だ」
 海に近い町に住む藤巻にとってそれは何の変哲もない光景のはずだったが、そう呟いてしまったのは夜の海の持つ底なしの黒さと、この場所が自分にとって運命的な場所になるかも知れないという予感からだった。
「ありがとね」
 宮内もまた呟いた。視線は運転席側の窓から黒く広がる海を見ている。
 車は海沿いの道の路肩に停車した。ところどころ外灯はあるが付近に人の気配は全くない。道の右側は土手になっていて、数十センチ下ったところから砂浜が広がり海へと続いている。砂浜には骨組みがあらわになった海の家が真夏の賑わいを待ちわびるようにぽつぽつと並んでいた。こんな寂れた場所が夏の訪れと共に喧騒の飛び交う賑やかな場所へと生まれ変わるのだから不思議だ。
 死んでしまったように、終わってしまったように見えても、それは次の命に向かう休憩期間なのかもしれない。
 人の命だってそれと同じだ。
 藤巻は自分が感傷的になっている事に気付いたがそれを嗜めるつもりはなかった。
 この場所に論理的な理性の箍など必要はない。あってもすぐに抜け落ちてしまうほど夜の海は深く優しく幻想的な黒で二人を包んでいた。
「本当はさ」海を見ながら宮内が口を開く。海の匂いのするやわらかい風が吹いた「藤巻君が私の小説を褒めてくれて、私すごく嬉しかったんだ。私の話に――私たちが歩んできた歴史にこんなに真っすぐに向き合ってくれて、良かったよって言ってくれる人が出来て、これでいいのかもしれないって思ったんだ。たった一人だけでも、本当の私を見てくれる人が居てくれるんなら、私はそれで満足なのかもしれないって、そう思ったんだ」
 藤巻もまた海を見ている。
 波の音と宮内の声が重なり合い一つの音楽作品のように空気を揺らす。
「――でもさ、やっぱりダメだ。それだけじゃ満足できないって、私の心が言ってる。欲張りだよね」片手を胸に当て照れ笑いを浮かべた。藤巻の方の高さに宮内の頭がある。右下に視線を落とした藤巻は宮内と目が合い、つい目を逸らしてしまった。
「俺は、宮内さんがいなくなったら俺は――」その後が続かない。心の中の檻に何か得体の知れない生き物が存在していて、宮内がいなくなるという未来を想像するとその何かが暴れまわるのだが、藤巻にはそれが何か説明できなかった。
 くすっと宮内が笑う。
「藤巻君が透明じゃなくなるおまじないをしてあげよっか」唐突に宮内が言う。
「え?」
 宮内の方を見た藤巻の口に柔らかいものが触れた。
 波の音が聞こえる。
 この海の中にはどれだけの数の命が存在し、今この瞬間にどれだけの数の命が消えているのだろう。
 その中の一つに目の前の女性が加わる。
 いくつもの命の光がまるで花火のように天へと向かって流れ、弾ける事無くそのまま空へと吸い込まれていく。
「はい、これで藤巻君はもう透明じゃないよ」
 ほんの一瞬がものすごく長く感じられた。
「これは天国のあの人には内緒だよ」
その長いすぎる一瞬が藤巻の中で風船のように膨らんでいく。
「じゃあね、ばいばい」
 その内圧によって藤巻の心の檻が押し広げられる。
「本当に、ありがとうね」
 檻の格子にひびが入り壊れた。
 立ち尽くす藤巻に背を向け、宮内は海岸沿いを歩いていく。その先に見える岬では灯台が闇夜を照らしていた。呼吸のように規則正しい間隔で光が流れては消えていく。寝息を立てる巨大な怪物に飲み込まれるように宮内は闇と溶け合っていく。
 呼び止めるべきだと思った。
 しかし呼び止めるべきではないとも思った。
 これは彼女自身がやりとげる事を望んだ事だ。それを辞めさせる権利など自分にはない。
しかし――心の中に巣くう生き物の叫び声が藤巻の耳にはっきりと届いたが、全てはもはや手遅れだった。
 宮内は闇の中へと消えていく。
 藤巻はただそれを無言で見送った。
 後には波の音だけが残った。

-8 に続く
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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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