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透明という色-6

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「そっか」宮内アヤカは呟いた。短い言葉ながら満足そうな面持ちだ。
 一週間後の休日の昼下がり、藤巻は小説を読んでの感想を彼女に伝えた。伝えた感想は小説についてのみで、その先に漂っている得体の知れない不快な感情についてはもちろん伏せてある。
「あ、コーヒーのおかわり、いるよね?」指先で頬を掻きながら照れたように笑うと宮内は立ち上がった。長袖のTシャツと白いタイトなズボンが彼女の身体のラインを浮かび上がらせている。こんなに貧弱な身体の奥底にあれだけの意思が渦巻いている不自然さを、藤巻は改めて実感した。短い髪を頭の後ろで強引に結っていて、その柔らかそうな毛先は彼女の意思を鮮やかに描き出す絵筆のようにも見える。
 キッチンへ向かう後姿を見つめながら、藤巻は彼女の中に自分自身を重ね合わせた。身の丈に合わない服を着たような違和感に惹起され、あの夜の不快感が首をもたげる。
 コーヒーとクッキーを載せたお盆がテーブルに置かれる。
「これ、この前と同じクッキーだけど、いいかな? 賞味期限は問題ないよ」宮内はそそくさとコーヒーを藤巻の前に並べると、クッキーを一枚手にとって齧り始めた。げっ歯類の小動物を思わせるような仕草だ。そんな彼女の仕草に、自分の望んでいた感想を聞けた喜びと、小説という形で自らの内面を垣間見た人物に対する気恥ずかしさのようなものが同居しているように感じた
 藤巻もコーヒーに口をつける。
 宮内はクッキーをコーヒーで流し込んだ。
 時計の音と、クッキーを咀嚼する音だけが聞こえる。
「あのさ」静寂の水面に小石を投げ込むように宮内は言った「藤巻君は、なんで泥棒なんてはじめたわけ?」
 それは至極当然の質問だった。むしろ今まで何故その話題に触れられなかったのか不思議なくらいだ。そしてその質問は図らずも、藤巻の内面に漂う靄に触れた。
「何か生活に困っているとか?」そんな風には見えないけど、と宮内は神妙な面持ちで藤巻を眺めながら言う「どちらかというと、真面目というか、気弱そうというか、犯罪行為を行うような容貌ではないよね」
「けっこうズバズバ言いますね」宮内の歯に衣着せぬ発言に藤巻は苦笑いを浮かべる。
「ああ、ごめん」恐らく照れ隠しも相まっての饒舌だったのだろう。宮内はばつが悪そうに頭をぺこりと下げた。
「泥棒に――こんなこと言うのも良くないですけど、泥棒行為に大した目的はないんです。ほんの少しのストレス発散と――」そこで言葉が詰まる。ストレス発散の他に一体何があるのか、それ以外の理由など無いはずではないか、頭の中ではそんな自問自答を繰り返すが、口は勝手に別の言葉を呟いていた「自分は、透明だから」
「透明だから、か」宮内はその答えが返ってくるのを予知していたかのように、一見すると意味不明な返答を自分の思考の中へと滞りなく落とし込んだ。
 一方の藤巻は自分が無意識に口走ってしまった言葉に動揺した。透明だから、何だというのだ。それは泥棒の手段を得ているというだけであって、それをする理由ではない。銃を持つ事が人を撃ち殺す理由にならないように、透明であること自体が泥棒の理由には成りえない。
 矛盾している。
 その矛盾を打ち砕くように、宮内ははっきりとした口調で藤巻に問う。

「本当は、誰かに見つけて欲しかったんじゃないの? 自分が透明じゃない事を、誰かに見つけられる事で実感したかったんじゃないの?」

 その言葉は注射針のように的確に藤巻の皮膚の内側に入り込み、注入された薬液は痛みを伴いながら血液へと注ぎ込まれた。
「違う」藤巻は言った。しかしその言葉は反射的なもので、感情を伴わない言葉は枯れた落ち葉のように風に舞った「俺は透明になりたいんです。透明な俺は、誰にも干渉せず、誰からも干渉されない」舞い落ちた木の葉を踏みつけるような微かな声だった。
 この世界は様々な目に満ちている。
 価値を評価しようとする目、見下そうとする目、無様だと蔑む目、蔑むことで安心感を得ようとする目――悪意のこもった様々な目の集合体が、子供の頃絵本で読んだ怪物のごとく神出鬼没に出現しては消える。
 そんな恐ろしい数多の目から逃れるためには、透明になるしかなかった。
 色を持たない冷たい氷の板となり光を透過させることで、不気味で悪趣味な目の怪物から認識されないものへと生まれ変われるはずだった。
 誰にも認識されず、干渉しない存在。
 人に触れられれば水になり流れていく、形なく捉えどころのない存在。
 そんな存在になれたはずだった。
 そして、そんな存在になる事を、自分は心から望んでいたはずだった。
 しかし目の前の女性は――透明で儚い氷細工のような外面の内側に、激しい色合いの意思を持った宮内アヤカは、藤巻の言葉に疑問を投げかける。薄い氷の張った静寂の水面に、大きな石の――意思の塊を投げ込む。
「透明になれる人間なんて、私はいないと思うよ」
 氷が割れ、感情が波打つ。
 感情の割れ目から、彼女の小説を読んだときに感じた不快感の正体が顔を覗かせた。
それは子供の頃の自分の姿だった。
自分はいつか消えてしまうんじゃないか、自分が消えてしまってからも世界は何も変わらないのではないか。そんな事を考えて怖くて眠れなくなり、布団の中で震えていた夜。誰かに認めて欲しくて、誰かに自分の存在を感じて欲しくて、誰かに抱き締めて欲しくて――しかしその感情を表現することが出来ず、幼い自分は鼻水を垂らしながら不細工に泣いていた。
無理やりに自分の感情を押し殺し、何もなかったような顔で朝を迎える。
しかし誰かに、自分の悲しみに気付いて欲しかった。
やがて藤巻は宮内アヤカに出会った。彼女は藤巻にとっての理想だった。狂おしいほどに激しく自分の色を、意思を、小説というキャンバスへとぶちまけているその姿に、藤巻は畏敬の念を覚えていた。
そしてそんな彼女も昔は透明だった。今の藤巻と同じだった。彼女なら自分を見つけてくれるかもしれない。自分を認めてくれるかもしれない。そんな期待が藤巻の心に釣り針のように食い込み、自分を影のある不透明な世界へ引きずりだそうとする。
だが心のどこかで薄々気付いていた。
だが彼女の目に、自分が映る事はない――それをあの小説を読んで思い知らされた。
宮内の目は藤巻を見てはいない。
これは幼稚な感情だ。子供の我侭のように矛盾に満ちた浅ましい感情だ。しかしその感情は毛虫が緑の葉を蝕むように、藤巻の思考回路を侵食していく。
藤巻は立ち上がった。勢いで倒れた椅子が、大きな音を立ててフローリングを転がった。
 自分は「透明じゃない」と目の前の女は言う。
 しかしこの女にとっても、自分は透明な存在のはずじゃないか。
その証拠にこの女の目には、目の前の自分を透過してその向こうの空間に漂っている亡き夫と娘の思い出しか見えていないじゃないか。
 自分がどれだけ見て欲しいと願おうとも、彼女にとって自分は単なる泥棒に過ぎないではないか。
 繊細な彫刻を打ち砕きその破片が飛び散るさまを楽しむような、美しい絵画の上に赤い絵の具を染みこませた絵筆で何本も線を引くような、自暴自棄で破滅的な感情が膨れ上がり藤巻を突き動かす。
 目の前の女を盗んでやろう、そう思った。
 どうせ自分は透明な存在だ。
 何をしようとも、気付かれる事などあるはずがない。
 透明な自分は、誰に干渉することも出来ない――
 藤巻は無言で宮内の前に立った。不穏な空気を察知した宮内もとっさに立ち上がる。距離を取ろうと背を向けた女の手を男の手が掴み強引に引き寄せる。バランスを崩し倒れ込む彼女を受け止めながら、二人は床に転がった。
 逃げようとする宮内の上に藤巻は圧し掛かる。
 彼女の体は小さく華奢で、本当に氷細工のようだった。
 しかしその身体は氷ではない。
 彼女の肌の温かさに一瞬の戸惑いを覚えるが、黒くドロドロの感情がそれを包み込んだ。
 柔らかな暖色を湛えた裂け目に自分の唇を近づける。
 クッキーの甘い匂いがする。

 幻想と妄想の気泡がはじける乾いた音が響いた。

 左の頬に衝撃を受けて、壊れかけの機械はねじが外れたように動きを止めた。室内に充満していた空気が際限なく拡散し真空状態と化した部屋は、衣擦れの音さえ聞こえないほどの無音に支配される。時間さえ止まったような気がした。
「どうしたのさ」唇を震わせながら宮内は言う「いきなり、それはないんじゃないかな」
 藤巻は何も答えられなかった。頭蓋の中に真水を流し込まれたかのように思考が希釈され何も言葉が浮かんでこない。自分の行動の真意を自分自身が掴めないでいる。自分の身体が自分以外の意思に支配された――そんな言い訳でお茶を濁したい衝動に駆られたが、それは自分自身さえ騙せない紙みたいに薄っぺらな誤魔化しだ。
 自分は本当に壊れかけているのかもしれない。
「ごめんね」仰向けに倒れた宮内は自分を覆う藤巻の左頬に手を当てる「私、勢いにまかせて酷い事言っちゃったのかもしれないね。ごめん、私、空気読めないから、たまにこんなふうに人を傷つけちゃう」
 それは違う、と藤巻は思う。しかし口の中が乾いて舌が回らない。口を噤んでほんの少しだけ染み出してくる唾液を舌に絡める。早く何か言わなければならない。
 しかし言葉より先に、宮内の頬に何かが落ちた。
 思考を希釈した液体の成れの果てが滴り落ちている。
 それが自分の目から流れ出ている事に気付き、いよいよ自分も完全に壊れてしまったなと藤巻は思った。服の袖で液体を拭うがそれはとめどなく流れ出てきた。
「さみしかったんだね」宮内は問う。
 藤巻は反射的に頷いていた。
「自分が、透明だと思い込んでいたんだね」宮内は薄く微笑む。
 頷くたびに液体が目から滴下した。
 宮内は藤巻の右手を掴むと、その手のひらをそっと自分の左胸に押し当てる。固い下着の向こう側の柔らかな感触が伝わる。
そしてその更に奥で強く早く脈打つものの存在を藤巻は確かに感じた。
「藤巻君が透明だなんて、誰にも干渉しないなんて、そんわけないよ」宮内は藤巻の目を見つめながら言った「私の心臓のドキドキしている音、感じるでしょ」
 宮内アヤカの頬が赤く染まり、その目が微かな潤いを湛えていることに藤巻は気付いた。
 瞳の中に誰かが映っている。
 それが自分の顔である事に気付き藤巻は安堵した。
 救われたような、そんな気がした。
「君は、本当は透明じゃないんだよ」宮内は繰り返す。優しく包み込むような声だった「君の声も、表情も、意思も、私にはきちんと見えているんだからさ」
 
 窓の外を重低音を響かせた車が走り抜けていく。
 
 藤巻は彼女の声以外の音を久しぶりに聞いたような気がした。
 止まった時間は動き出している。
 世界は元の姿に戻っている。
 藤巻の背後の窓から西日が射し込んでいる。熱を上げつつある初夏の日差しは、藤巻を透過する事なく彼の背中を温める。黒い影が仰向けに横たわる宮内の体を包み込んだ。
 自分は、今、この場所で、透明ではない。
 それだけで十分なような気がした。
「それで、いつまでこのままでいるのだろうか」宮内は照れ笑いを浮かべながらばつが悪そうにいう。
 その言葉でやっと、自分のしてしまった行為の重大さ、浅ましさに気が付いた。とっさに右手を宮内の左胸から離す。思考が涙となって抜けきり空っぽになった頭の中へと、頭上を漂っていた正常な意識が流れ込んでくる。
「……すみ、ません」声が不明瞭な言葉の形をなして藤巻の口から放たれた。自分のしゃがれた声は酷く場違いなもののように感じた。
 ゆっくりと体を起こすと立膝の状態で宮内から離れる。
 宮内は上体を起こし、ずれてしまった後頭部のゴムをはずした。短い髪が花のように広がり赤く上気した彼女の頬を隠した。
「いいよ、未遂で終わったんだし」宮内はしばり癖の付いた後頭部の髪を撫で付けながら言う「なにもなかったんだよ」
 何も無かったわけがない。自分の行った背徳行為に対する罪悪感が今さらになって体の底から湧き上がってきて、藤巻は額の地面にこすり付けたいような気分だった。
 その気持ちを知ってか、宮内はいたずらっぽく笑うとこう提案する。
「――じゃあさ、お詫びのしるしにと言っちゃなんだけど、一つ頼みがあるんだよね」膝を抱えた座る宮内が上目づかいで言う「今夜、連れて行ってほしいところがあるんだ」
 意外な要望に藤巻は面食らう。
「藤巻君、車持ってる?」
「軽自動車なら」
「それで十分」
「遠いところなんですか?」
 宮内はクスリと笑った「遠いといえば、遠いかな」
 その宮内の表情からは何か揺るぎない決意が見て取れた。しかしどこか寂しく儚げで、まるで8月の空のような、真夏の高揚感と夏の終わりの寂寥感を混ぜ合わせたような、そんな表情にも見えた。
 落雷と雨を運ぶ入道雲にも似た不吉の影が見えたような気がして、藤巻は一瞬返答をためらう。
 彼女はこの家に充満する綺麗な思い出の中でしか飛び回ることのできない、蛍のように弱い生き物なのではないだろうか。そこから連れ出した瞬間、彼女の体は霧のように消えてしまうのではないだろうか。
 しかし、そんな想像は単なる幻想だろうと思い直す。
 今の自分は感傷的になり過ぎているかもしれない。
 徐々に冷静さを取り戻し、自分自身を客観的に判断できる思考回路が少しずつ戻ってきた事を歓迎し、藤巻は根拠のない感覚から来る想像を強引に切り捨てた。
「わかりました」藤巻は頷く。
「ありがとう」宮内は膝の前で組んでいた手を床に着いて、夕日が射し込む窓を眩しそうに見た。
 藤巻も振り返り、目を細めた。

-7 へ続く
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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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