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神社での7日間 (2003年夏)

「ゆーじが死んだんだ」少年は言った。夏の木漏れ日が少年の白い頬の上で水面のように波打っている。蝉は命を燃やし尽くすように鳴き続ける。
「そう…」少女は目をそらす少年の顔を覗き込んだ「悲しいね」
「うん」少年は頷く。
「私もね、この子と一緒に旅をしてきて、大切な人を亡くした人達をいっぱい見てきたよ」少女はお腹をさすりながら言った「でも、君は泣かないんだね」
「うん」少年は再度頷く。
「そっか、君は強いね」
 蝉の声が一瞬止み、激しい羽音が聞こえた。

【8月18日】
高沢家では一人息子の高沢勇司の葬儀が行われていた。しかしそこに粉々に砕け散った彼の遺体は無かった。一枚の紙切れの中にだけ存在する彼の姿に、人々は無言で手を合わせていた。

 少年がこの神社にやってきたのは単なる気まぐれだった。マンションの一室を抜け出し、人と、そして人の形をした機械が歩く街角を、少年は虚ろに彷徨った。静かなところへと風のように流れ、いつしか彼はこの場所に立っていた。そこは機械化が極端に進んだこの世界において、都会の片隅に唯一残された人以外の生き物の世界。本当の静けさが存在する場所。鳥居をくぐり長い石段を登るときも少年は疲労を感じてはいなかった。それは熱の移動のように自然で、そして不可逆的な流れ。最後の段を上りきった時、彼は現実から解き放たれたような感覚を覚えた。
 少年は神社の本堂の軒下に座る少女に気がついた。ボロボロの衣服を身に纏い、白い頬と長い髪には泥がこびり付いていた。少年に気がついた彼女はにっこりと笑った。少年は無言で少女に背を向けた。
「今日は、いい天気。この子も外に出て遊びたいって言ってる」
 少年は振り返った。少女はお腹をさすりながら笑っている。「赤ちゃん?」少年が聞くと少女は頷いた。少年は少女に駆け寄り、少女の隣に腰を下ろした。
「君は、いくつ?」少女は尋ねる。
「僕は10歳」少年は答える。
「なら、私のほうが6歳も年上だね」少女は胸を張った。ぼろぼろの衣服の上に小さな胸の輪郭が浮かぶ。少年は少女の汚れた横顔に目線を合わせた。それは造られたかのように繊細な曲線を見せていた。
「どうしたの? 何かあったの? 君、今すごく悲しそうな顔してるよ?」少女に尋ねられ、少年は視線を頭上に生い茂る透き通った広葉樹へと移した。蝉が騒がしい羽音を響かせてその木に止まった。空気を引っかくような濁った音が響き始める。
「ゆーじが死んだんだ」少年は言った。


【8月19日】 
 高沢勇司の母親はヒステリックな声をあげながら、夫のゴルフクラブでお手伝い用人型ロボットを殴り壊した。結果高沢家には新型のロボット二体の残骸が転がることになった。付き添っていた親戚たちは逃げるようにその場を去った。唯一残った夫の胸に顔を埋め、彼女は大声を上げて泣いた。夫はその肩を抱くでもなくただ呆然と虚空を見つめていた。

 少年が神社へ向かうと、少女は昨日と同じ様子でそこに座っていた。少年も同じように彼女の隣に座った。一言も言葉を交わさぬまま、時間は水蒸気のように空へと浮かび上がり、天井の緑に吸い込まれていく。
「赤ちゃんは元気?」少年が尋ねると、少女は彼の方を振り向きゆっくりと頷いた。
 少年は言葉を続けようとして、止めた。少女はそれを悟っていたかのように視線を石段のある正面へと戻した。時が静かに循環を始める。少年は唄い出した。

    うれしい空は夏の色
    悲しい空は真っ赤に広がる
    木登りをしている男の子は
    どんな空を探しているの

「その歌、学校で習ったの?」少女は尋ねる
「うん」少年は頷き、続きを唄い始める。

    うれしい空に手を伸ばし
    悲しい空は遥か彼方
    男の子の目に映るものは
    みんなが影を抱えてる

    うれしい空に目を瞑り
    悲しい空を見つめてる
    誰もいない木が静かに揺れ
    男の子は影に消えていく

 少年は不意に立ち上がると、大きなクヌギの木へと歩み寄った。手を振り上げ振り下ろす。けたたましい鳴き声がして、彼の手の平には大きな油蝉が収まっていた。
「歌、上手だね」少女は言う。少年はうれしそうに笑う。閉じていた手を開くと、蝉は最初躊躇するように彼の手の上を這った後、羽音を響かせ飛び立った。


【8月20日】
 朝目覚めたとき、少年は泣いていた。
 どうしようもないくらい胸が苦しくて、吐く息は肺の中で凝固したかのように重い。枕に顔をうずめ深呼吸を繰り返す。濁った空気を無理して吸い込むたびに、喪失感が少しずつ薄れてゆくような、そんな錯覚に身をゆだねながら、少年は無意識のうちに流れ出る涙を必死で堪えていた。
 少年の両親は食事にもほとんど手を付けない少年を心配していた。心配はしていたが何をしてあげるわけでもなく、ただ惰性的にいつもの日常を続けていた。
少年は与えられたばかりの子供部屋に寝転んでは歌を口ずさんでいた。彼らが声をかけると少年は返事をし、言葉には頷いて意思を示した。しかし自発的に何かを話し出すことはなくなった。「あんなことがあった後だから」両親はそう言ってそれ以上の詮索をしなかった。彼らが仕事に出かけた後、少年は起き上がり、ビスケットを一枚齧った。そしてあの神社へ向かった。

 少年は蝉を三匹、虫取り網で捕まえた。少女にそれを見せると彼女は喜んでその一匹の背を掴んで見せた。ジージージー。
「君は虫取りも上手なんだね」蝉を虫かごに戻し少女は言う「君には、お腹の子の先生になって欲しいな。歌と、虫取りの」
 少年は赤くなった。「先生」になるのは少し気恥ずかしい感がある。少年は駆け出し、石段の辺りでかごの中の蝉を全て逃がしてしまった。その後いつものように少女の隣に座る。汗がシャツを湿らせ気持ち悪かったが、やがて木々の間を抜けてきた風がそんな不快感を持ち去ってくれた。
「ねえ」少年は少女の横顔を見ながら言う。
「んー? なあに?」少女は立ち並ぶ木の隙間から覗く空を見続けている。
「ねえ、君は、どこから来たの?」
「私は――」ほつれた髪を弄びながら答える「北のほうから来たの。ずっと遠く。私はね、長い間旅をしているんだ。旅をしながら色んなものを見てきたし、色んな人に会ってきた」
「何で、旅をしてるの?」
「何でなのかな? わかんないな。忘れてるのかもしれないし、もしかしたら最初から無かったのかもしれない。そんなこともわからなくなっちゃうくらい長い時間、私は旅をしてたの」
「ふうん」少年が空を見ると橙が買った日の光が、木々の間からまるで帯のように細く伸びていた。今日の終わる様を、2人は並んで眺めていた。


【8月21日】
 テレビではニュースキャスターが高沢勇司の死について語っていた。政治評論家が悪態をつきながら、これは我が国の戦後処理の不完全さが生んだ悲劇だと叫んだ。女性キャスターは目元を押さえていた。勇司の顔写真が映り、その10年という短い一生がドキュメント形式で流れた。
彼らは知らない。勇司はカレーライスが好きだったこと。ドラゴンファンタジーを誰よりも早くクリアしたこと。三組の中島さんが好きだったこと。そして、僕の一番の親友だったこと。
画面の中の人たちは飾り付けられた「悲劇」に悲しみ、怒り、同情し、様々な感情を無造作に吐き出していた。少年はテレビを消す―――

20年くらい前の戦争で、北の国が送り込んだ人間に擬態する爆弾ロボット。今でもその不発弾があちこちに存在していて、勇司はそれに接触しその爆発に巻き込まれて死んだらしい。
彼らはそんな事を言っていた。
 少年は神社へ向かう。

「今日はこの子、すごく元気がいいの」少女は軒下に座り足をブラブラさせながら、腹部にやさしく手を当てる「早く出たいよ~って言ってるみたい。君はどう思う?」
「僕はわからない」少年は胡坐をかいている。足元には虫取り網と、クルマトンボ三匹、アブラゼミとミンミンゼミがそれぞれ一匹ずつ入った虫かごが転がっている。
「ねえ、この子の動く音、聞いてみたい?」
「うん」少年は頷いた。少女は腹部から手を離し、少年を手招きする。まだほとんど膨らみも見えないなだらかな腹部に、少年は右の耳を当てた。
 チク…
チク…
 チク…
 少年は耳を離し、少女の顔を見た。
「元気そうでしょ?」少女はやさしい笑みを浮かべている。
「うん、ほんとだ。早く出たいって言ってるみたい」少年は胡坐を止め、少女と同じように足をぶらぶらさせた。半ズボンから覗く裸のすねに生えた産毛が空気に撫でられくすぐたい。トンボが一匹少女の頭にとまっている。羽の角度を落とし休憩の体勢。
「この子は、私の大切なもの」少女は言う「君の、大切なものは?」
 少年は、その問いには答えなかった。
無表情、虚空を見つめる目。
「大切なものはね」少女が顔を動かすと、トンボは即座に飛び上がり少し離れた木の枝へとまり直した「大切なものは、朝夢から目覚める数分前に、私たちの中にある暗闇からふわーって浮かび上がってくるんだ」
「よく、わからないよ」少年は言った。
「目を覚まして涙を流している時、君はきっと大切なものを見ていたんだよ。それは瞼を突き抜ける朝日で蒸発してしまうけれど、そんな涙を流す間は、君の中から大切なものは消えてはいない。ただ君の意識の深海に沈んでいて、いつもは見えないだけなんだ。そんなふうに、思わない?」
 少年は首を傾げる。頬が微かに緩む。
「変なこと言うね。でも、なんとなくだけどわかる気がする」少年の言葉に、少女は笑顔で頷いた。


【8月22日】
 午前五時には、太陽は眩しく少女の汚れた横顔を照らしている。その頃にはもう、彼女はその大きな目を黄緑に光っているクヌギの葉に向けていた。カラスの鳴く声が遠くから響いてくる。小鳥たちが街灯にとまった蛾を啄ばんでいる姿を想像してみる。
 粉々に分解され均一に拡散された朝の空気が少女のロウのように滑らかな肌に触れ、静寂、あるいは孤独という重く強靭な牢の扉を閉ざす。そのまま彼女は絹色の海へと沈んでいく。深く、深く…
 黄金色の光。肌を焼く光。蝉の声。うるさく、時としていとおしい。
 石段を叩く音が波紋のように広がる。生き物たちの声はシャボンの膜に包まれる。その中でひときわ際立つ足音、少女の意識は少女の体へと舞い戻る。
 少年がいつものようにそこに立っていた。
 いつものように虫取りを始める少年。少女はその姿を見つめている。神社には湿った土の匂いと、生い茂る青草の匂いと、風にざわめくやわらかい木の葉の音と、青空と、遠ざかる飛行機雲と、空の果てを覆う入道雲と、やがて赤く染まる太陽と、それを受けて色を変える羊雲と、紫がかった世界と、遠くから聞こえてくる花火の音と、七色の光があった。
「花火だ!」男の子は叫んだ。
「綺麗だね」少女は言った。
 やがて花火が終わる頃、神社は再び静寂へと還った。


【8月23日】
 高沢勇司の父親が首を吊って死んでいた。自室の天井から吊り下がった彼は首を奇妙な方向に曲げていた。足元には作業机の椅子が転がり、垂れ流された排泄物が床を汚していた。遺書は勇司の死について書かれてあった。黒の油性ペンでぐしゃぐしゃに書かれたその文字はハエの屍骸のようにも見えた。第一発見者は彼の妻だった。彼女は死体を前に胃の中のものを洗い浚い吐き出した後、奇声を発してマンションの8階から飛び降りた。頭が割れ、脳みそをぶちまけていた。即死だった。

 全国で大規模な「人型不発弾」の処理が行われる事が決定した。人と機械を見分ける特殊な機械が各地に配布され、平和ぼけしていた兵隊達はせわしなく散っていった。人々は安堵の声を漏らし、被害者である10歳の少年を思い、残虐非道な「人型不発弾」の完全なる排除を口々に唱えた。

 少年は歌を唄う。昼間から突然降り出した雨が雨樋を伝って地面に落ちる。その規則正しいリズムにのせて、少年は澄んだ声を暗雲に向け響かせる。夏の雨はむっとするような大地の匂いを生む。心なしか、空気の密度が高まったような気がしてくる。少女は少年の歌声に乗せてゆっくりと体を前後に振る。雨はやむ気配を見せない。
「雨、止まないね」歌を止め、少年は言った。
「そうだね。でも、最近暑い日が続いたから、木も草もみんな喉が渇いていたと思うし、私はいい事だと思うな」
「そうだね。蝉も喜んでいるかな?」
「それはわからないな。きっと雨宿りしながら、また飛べるようになるのを待ってるんじゃないかな」少女はそう言って軒下の乾いた地面を見た。そこには昨日見つけた蝉の屍骸が転がっていた。蟻が10匹ほど集っていたが、それは昨日と同じ姿でそこにあった。
 少年は頷いた。そして何も言わずに雨を見つめ始めた。雨は天から伸びた糸のように見えた。少年は再び唄い始める。
 夕日が空を染めること無く、時刻は夜へと移っていった。雨音はまだ続いている。雨の糸がまるで格子のように周りを覆い、少年をこの神社へと閉じ込めている。虫の鳴く声は聞こえず星の瞬きすら見えない。2人だけが座るこの小さな世界は、今雨によってその機能全てを支配されていた。
 少年は少女のひざの上に頭を乗せ、少女は少年の髪を細い指先でやさしく撫でる。雨の湿気と少しだけ滲んだ汗によって少年の髪は少女の指に絡まりつく。それを丁寧にほどきながら少女はその手を休めることなく動かした。少年は目を細めた。痩せているが少女の肌は柔らかかった。少年は意識のまどろみを覚える。雨音だけが聞こえるこの世界の中で、少年の耳にかすかに届いた心音。
 チク…
 チク…
 チク…
 全てが微弱で、全てがやさしく、そして小さく致命的な亀裂を含んでいた。ただ雨の音だけが強く、何かをごまかすように鳴り続けている。
 少年は目を瞑った。少女の肌の温もりに全てを預け、少年は眠りについた。


【8月24日】
 目を覚ましたとき、少年は神社の軒下に一人寝転がっていた。雨は止み、蝉は鳴き、世界は元の姿へと還っていた。しかしそこに少女の姿は無かった。少年の胸の中に真っ黒な塊が生まれ、それが心臓の音を早めていった。少年は少女の名前を叫ぼうとして、彼女の名前を知らない事に気付いた。大声を上げながら少年は神社の周りを探し回った。
 石段を数段下りたところに少女は座っていた。
 その白い肌は、真夏の雪のようだった。
 少年が声をかけても少女は目を瞑ったまま動かなかった。少年は何度も何度も少女の肩を揺すった。それでも彼女は動かない。折り曲げた膝の上に片手を置き、もう一方の手を石段に当て、俯いたまま座っている。少年は少女の隣に腰を下ろした。足元を、黒い色のバッタが跳ねていく。少年は少女の肩に頭を乗せ、形を変えていく雲を見つめていた。時はゆったりと流れを刻んでいく。黒い色のバッタは草むらの中へと消え、雲は大きく伸びていた。
 少女の肩がかすかに動いた。
 驚く少年の前で、少女は立ち上がり、石段を上った。そして神社の軒下のいつもの位置へと腰を下ろした。呆気にとられていた少年も急いで石段を駆け上がると、少女の隣に腰を下ろす。
「夢を見てた」何処か遠くへと視線を向け、少女は言う「真っ赤な夢。大きな音がして、辺りが真っ赤に染まっていく。私の体が星みたいにキラキラ光って、人がいっぱい死んでしまうの。みんな、粉々に砕けてしまうの」
「恐い、夢だね」
「うん…」少女は頷いた。
 言うべき言葉を無くした少年の耳に、あの音がはっきりと届いた。
 チク…
 チク…
 チク…
少女はお腹に手を当てた「ねえ、この子、出たいって言ってる」
 少年は何も答えなかった。足元に転がる蝉の屍骸には、蟻が黒い影のように群がっていた。何かは終わり、新しい何かの糧となる。
「早く、早く、早くって、そう叫んでる」胎動はその鳴りを早めていく。まるで終わりの時を告げるように。
 チク…チク…
 チク、チク、チク、チク、チク
 チクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチク
「叫んでる! 叫んでるよ!」少女は今にも泣き出しそうな顔で少年を見た。その顔には歓喜と、そして恐れが同居していた。少女は叫ぶ。狂ったような表情で。まるで愛しい歌を唄うかのように。
少年は少女と目を合わせる。
そして一度だけ、壊れそうなほど弱々しく、笑顔を作った。
 少年は立ち上がり石段へと歩いていった。彼の頬を、涼しげな風が撫でて行く。真上に見える太陽はやかんの底に溜まった残り湯のような、ある種の惰性的な熱気を帯びていた。
 もうすぐ、夏は終わるのだろう。全てが眩しく見えた季節は、次の季節に押し流されていく。いつもと変わらぬ景色の中に、そんな終末的な感情は息を潜めながら、しかし確実に潜んでいる。
 少年は涙が出そうになった。
 石段を駆け下りる。飛び立つ蝉が短く鳴いた。
 少年は呟いた。
「さようなら」

 そして、少年はたった一度だけ、大きな花火の音を聞いた。

(2015年4月 一部手直し)
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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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