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透明という色-4

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「たしかにそうは言ったけどさ、まさか本当に来るとは思わなかったよ」
 翌日、昼間に玄関から訪問した藤巻を前に、宮内はあきれた声を出した。
 藤巻の最寄り駅から電車で5駅、駅から徒歩15分の位置にその住宅街はある。車で来なかったのは藤巻御用達の月極駐車場「コンビニ」は昼間の長時間駐車は禁止であることと、現在一人暮らしのはずの宮内家に見慣れないポンコツ軽自動車が停まっている事で、近所の住人のいらぬ好奇心を掻き立てないためだ。藤巻のアパートに一度姉が車で遊びに来たことがあるが、その翌日向かいの家の住人に『知らない車停まっていたけど、彼女さんかい?』と聞かれた事がある。ご近所の目というのは侮れない。
「まぁいいや。散らかってるけど、入ってよ」
 宮内は前髪を後ろに流してヘアピンで留め、フレームなしのメガネをかけていた。白いTシャツの上に薄桃色の七分袖カーディガンを羽織り、タイトな黒いズボンの裾をふくらはぎのあたりまで折り曲げ、裸足にスリッパを突っかけている。
 あの夜見たダボダボのパジャマ姿とは相反し、理知的な女性の輪郭が垣間見えた気がした。
 そして、女性の頭の天辺から足の先まで視線と意識を巡らせている自分に、なんとも言えない違和感を覚える。しかしそんな自分が不快ではないのは不思議だ。
 じろじろと嘗め回すように見られた宮内はあからさまに嫌な顔をした。
 客間に通され、ポットのお湯で作ったインスタントコーヒーが藤巻の前に置かれる。散らかってると言っていたが、部屋は綺麗に片付けられていた。あの夜の彼女から感じた自暴自棄さは実生活を侵食するまでには至っていないようだ。
「で、なに?」
 向かいの椅子に座った宮内が尋ねる。
 その質問は当然予想される事だったが、藤巻は自分自身でさえ何を求めてここに来たのかよくわからないでいる。また会いたくなって――とはなんと安っぽい口説き文句のような言葉だろう。考えた挙句、当たり障りないであろう言葉が口をつく。
「えっと――作品読みました」言って、失敗したと思った。
「あ、読んだんだ。感想は?」宮内は悪戯っぽく顔を綻ばせる。
「その、とても良かったです」完全に墓穴を掘っている自分に気付く。
 その返答を聞いて宮内は破顔した。
「そっかそっか、使ってくれたんだ! 実用性が高かったわけだね」
「違います! そういう意味じゃなくて」
「ふーん」宮内は急に無表情に戻った。その目は品定めするかのように藤巻を見ている「どんな女が書いているのか、明るいところで確認しに来たわけ?」
「違いますよ」
「目の前の女が卑猥な妄想を膨らませて、あんなふしだらな物語を書いている。そういう事実に興奮を覚えるタイプっているからね。それとも思った以上に冴えない女で萎えちゃった?」
「あなたの作品に『感情』が見えたから」藤巻の口をついて出た言葉は、彼女の本を読んでから持っていた感想だった。
 その言葉を聞いて宮内の表情が一変する。
 一瞬の驚愕の後、作文を褒められた子供のようにくすぐったさを堪えるような表情。
 宮内は無言でコーヒーに口をつけ「あちち」といってすぐに離した。
 藤巻もコーヒーに口をつける。熱いが飲めない熱さではなかった。安物のインスタントコーヒー独特の舌の奥にこびりつくような苦味を楽しむ。
「感情、ね」コーヒーを見つめながら宮内は言う「そんなの、誰からも言われた事ないよ」
「俺には、そう感じられました」
 これ以上、言うべき言葉が思い浮かばなかった。
 藤巻は無言で宮内の言葉を待った。
「官能小説ってさ」宮内が言葉を紡ぎだす「一定の需要があるんだよね。それも女性作家が書いているとなると、そこに興奮を見出す人たちもいるから、まぁそこそこの稼ぎにはなるんだよ。これは仕事だからね」
 『仕事だからね』の部分に自分自身へ言い聞かせるような歯切れの悪さを感じた。
 宮内は続ける。
「仕事だから、売れなくちゃいけないんだよ。本当に書きたい事を木箱に押し込んだとしても、作家を続けていくにはそうするしかない。小説ってのは難しいよ。水面に油絵の具で絵を描くようなものさ。文章という水面に思想という絵筆が触れた瞬間、それは薄い円になって四散してしまう。明確だと思っていた伝えたいことも、書き上げてみればただのぼやけて歪んだ円の集合体で、その輪郭すら掴めない代物に成り下がってしまう。指先を水面に突っ込んでかき混ぜてあげれば、一見形而上的な意味を持つ作品の体をなすことも出来るだろうけど、それは単なるごまかしで自分が本当に言いたいことじゃない」
宮内のいつの間にか視線はコーヒーから藤巻へと移っていた。
「そんな小説は誰も読みたがらない。売れないんだよ。だから――」
「だから、透明になろうとしたんですね」
 藤巻はわかった。
 彼女から感じた何かの一端。
 彼女は自分と同じところを出発点としている。
 自分自身を押し殺し、透明になろうとしていた。
「透明になるって、面白い表現だね」宮内は口の端でニヤリと笑った「確かに、あの頃の私は透明になろうとしていたのかもしれない」
 自分も一緒です。藤巻はそう言おうとしてその言葉のおこがましさに言い淀んだ。相手は職業作家だ。自分のような一介のサラリーマンは一線を画す存在なのだから、気安く同一視してしまうのは失礼にあたるかもしれない。
 しかし彼女のいう「思想」を伝える事の難しさは藤巻も感じた事があった。
 学生時代バンドを結成しギターを弾いて歌を唄っていた頃、藤巻は自分の思想や表現が音楽や詞の形を成して他者に伝わる快感に酔いしれていた。それが出来たのはその音楽や詞がインスタントであり、誰でもお手軽に手を出せるような安物だったからだ。その音楽に商業的な価値は一切なく、大学卒業と同時に藤巻は今の会社に勤めた。
 ギターをビジネスバックに持ち替え、歌は営業トークに、詞はプレゼン資料に変わった。
 そこに藤巻の思想や表現の入る込む隙は一切なかった。
 全てが自分自身を排除した世界で運営され、藤巻の形をした物体に対して評価と責任が張り付いた。
 本当の藤巻は透明になった。
「君、名前何って言うの?」宮内が問う。
「藤巻、健吾です」藤巻は応える。
「藤巻君、明るいところで見ると、案外まともな人間なんだね」宮内はにんまりと笑う「それに、けっこういい読みを持ってると思うよ」
「どうも、ありがとうございます」
 宮内は立ち上がり台所からクッキーの箱を運んできた。椅子の上に体操座りで座ると、箱を開封してクッキーを一枚齧り、箱を藤巻の前へと押しやる。君も食べなよ、という意味のようだ。藤巻もクッキーを一枚取り出して齧る。卵とバターと香りがやんわりと主張するシンプルな味のクッキーだった。
 窓の外を宅配のトラックが通り過ぎた。タイヤとエンジンの音がやけに大きく響く。
 休日の昼間なのだが、ここは夜が帳の半分を上げ忘れていったかのように静かだ。
 この静かな家の中、彼女は一人きりで生きている。かつては夫と子供の笑い声、時には泣き声で満たされていたのであろうこの家の中で。
 そこに思い至った藤巻はその孤独感に寒気を感じた。
「確かに私は透明になろうとしていたよ。でも今は違う。透明になるってことは、今の自分自身を培ってきた過去や、感情や、自分を支えてくれたものすべてを透明にしてしまうって言う事だから」
 宮内の高く細い声が静かな部屋の空気を震わせた。
 コーヒーの香りが消え、クッキーの香りも消え、車の音も鳥の囀りも風になびく木々の音も、全てが不要なものとして消え去った。
 おそらく今の彼女は、自分の過去以外の全てを無価値と考えている。彼女自身の頭蓋骨という殻に閉じこもった軟体動物の見る夢――記憶や思い出という名の夢だけが彼女にとって唯一価値のあるものなのだ。
「だから私はもう絶対に透明になろうとは考えない」
 この目だ。
 藤巻は思う。
 彼女のこの目が、藤巻の中にある薄汚れた木箱の蓋を強引に叩き割ろうとするのだ。
 透明になろうとする自分の首を掴み、影のある世界へと引き戻そうとする。
「まぁ、そういうことだからさ、私はもう官能小説は書いていないんだ。今は別の話を書いている。っていうかこの前やっと書き上げたんだ。今度は嘘偽りない、私自身の言葉と思いを綴った小説だよ」
 宮内はまたクッキーに手を伸ばし一枚を齧った。
 ぼりぼりという咀嚼する音が聞こえる。
 赤く薄い唇が伸び縮みする様を藤巻は呆然と見つめていた。
「担当さんが編集長の許可を取ってくれたから、近々本になる予定。普通は一介の官能小説作家に、官能以外の小説を出版するチャンスなんてあまりないんだけどね。私の場合は境遇がアレなもんだから、そこを押し出していけばそこそこ売れると判断したんでしょ」他人事のように宮内は言い「でも、私はそんな甘いもんじゃないと思うけどね」自嘲気味に笑った。
『私の思い出の中だけにいる二人を、二人の存在を、私の中から解き放ち全ての人々の心に刻み込みたい』
 あの夜、彼女の口から放たれた、決意のこもった言葉を思い出した。
「売れますよ」何の根拠もないが藤巻は言った。
「読んでもないのに、よくそんな事が言えるねぇ」宮内は眉を歪ませ口元だけで笑った「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
 そう言い残すと宮内はとたとたと階段を駆け上っていった。丸めた新聞の折り込みチラシで床を叩ようなひどく弱々しい足音に感じた。
 一人残された藤巻はほっと一息を吐く。
 無性にタバコが吸いたくなったが、人の家で勝手に吸うわけにもいかずに我慢した。
 しばらくして降りてきた宮内はA4サイズの封筒に入った分厚い書類を抱えていた。
「これ、今度出る小説の原稿。担当者に渡すつもりだったんだけど、また印刷すればいいしさ。君にあげるよ。ほら、藤巻君の存在もこれを書き上げる一助になってるわけだし」
 あの写真の事だろうか。
 火に包まれ、この世から消え去り、宮内の心に喪失という傷を新たに刻み込んだ写真。その傷の痛みを力に変えて、彼女はこの小説を書ききったのだろうか。
「読んで、今度感想を聞かせてよ。君の読みの鋭さはさっき実感したから、ずばっと的確な意見を言ってもらえると助かるわ」
 正直、期待されているような働きが出来るとは思えないが、今の彼女が書いた小説には興味があった。しかしこういった類のものを無関係な第三者に渡してしまってもいいものなのだろうか。
「ええ、まぁ、いいですけど、いいんですか?」
「大丈夫でしょ。君は泥棒の癖に律儀だからね、悪用するとは思ってないよ」
 こんな自分を信じられるのは、彼女が純粋だからか能天気だからか。いや、おそらく自分の本質は完全に見透かされている。所詮自分のような意志薄弱な存在は、宮内のような女性の手のひらから抜け出ることは出来ないのだろう。
 去り際、宮内は「また来てね」と小さく手を振った。
 その仕草に藤巻はこそばゆいものを感じた。

 宮内の家を後にした藤巻はコンビニでタバコに火をつける。
 煙が天へと昇る様を見つめながら、亡くなった宮内の夫と子供のことがふと脳裏にちらついた。
 彼女の意志の力に気圧されながらも、藤巻は生き急ぐような彼女の姿に一抹の不安を感じていた。『彼女の幸せを祈ってあげてください』と、天国にいるであろう二人に向かって心の中で語りかける。
 彼女の幸せを祈ってあげられるのは、いまでも彼女の心の大半を占めている天国の二人だけだ。
 たぶん、ただの泥棒でしかない自分は、それを祈れるような立場にはない。

-5 へ続く
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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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