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イヴの夜は永いよ (2003年冬)

 見上げると黒い線が、まるで空の血管みたいに縦横無尽に伸びている。一つの大きな血管は首の角度を上げるごとに幾つにも分岐して、地上の活気やその中に内包された一人一人の嬉々たる感情を空へと送っている。飽和した感情の粒は雲と共に流れ、やがて見知らぬ土地で雪になる。今この街を覆っている雪も今俺の肩にとまっている雪も、どこか遠くの誰かがもらした喜びの吐息なのかもしれない。
 雪が降っている。
 俺はコートのポケットに両手を突っ込んで、アスファルトの不変さを確かめるようにゆっくりと歩いている。
 道路脇の飾りつけられた街路樹が空に向かって手を伸ばしている。
ま るで空の血管みたいに。

 12月24日、一人のクリスマス・イヴ。俺は不思議な老女と出会った。
 コンビニでコーンポタージュを買い、それで身体を温めながら商店街の裏通りへと進む。そこは表通りとは対照的に黒い毛布に包まれたような落ち着いた空気が漂っていた。その片隅で俺は、ろうそくの炎みたいにおぼろげにたたずむ一人の老女を見た。大粒の雪が俺とその老女の間の空間を覆いつくし、まるでレースのカーテンみたいに波打っている。俺は引き寄せられるようにそのカーテンをくぐった。急に雪が和らいだ。
「こんばんは」俺は老女に微笑みかけた。こんな雪の降る夜はなんだか特別な気持ちになる。「こんなところに立ってて、寒くはないんですか?」
 白いストールを羽織った老女は一瞬驚いたような表情を見せる。しかしすぐに目を――青い目を細め、やさしそうな笑みをつくりこくんと一度だけ頷いた。
「そうですか」俺は何気なく辺りを見回す。今ここには俺と目の前の老女以外に人影は見えない。「すごい雪ですね。こんなにつもったの、何年ぶりだろう」老女に向けた俺の呟きは、虚空を漂い独白になった。老女を見ると彼女は笑いながら俺の顔を眺めていた。首を傾げ、口を動かす。しかし声は無かった。もしかしたらこの人は言葉をしゃべれないのかもしれないな、俺は思う。
 四歩ほど歩みより横に並んで立つと、視線を落とし老女を見て問いかける。「家に帰らないんですか? 風邪ひきますよ」老女は首を横に振る。「誰か、待ってるんですか?」
 老女はふいに空を見上げ、二回頷いた。
 俺も同じように空を見上げたが、そこには何もない。幾重にも積み重なった雲が星を覆い隠しているだけだった。落ちる雪の一粒が綿毛のように俺の瞼にとまる。老女はストールを掴んでいた両腕をさらに強く身体に巻きつけた。俺はコートのポケットに突っ込んだ手の指をもぞもぞと意味も無く動かしていた。吐く息は白い。

 突然、頭の奥が収縮するような奇妙な感覚を覚えた。

 まるで自分の記憶が、存在が、手のひら大のブラックホールに吸収されていくような、そんな感覚だった。
 そして俺は気付いた。急にあたりに喧騒が沸き起こり、やがて朧な人々の姿が――まるで泉が湧くみたいに突如として現れたことに。辺りの景色が溶解し再構築されていく。街灯は赤い火を灯し、道行く人々を見下ろしている。
 そこはもう自分の知っている町ではなかった。ただ雪だけが不変に降り続けている。まるでそれだけがこの世界と現実世界をつなぐ唯一の結び目みたいに。
 見たこともない異国の街並み。
 俺の隣には白いストールを纏った少女が立っていた。
 少女は無言のまま行き交う人たちを見つめている。肩を寄せ合う恋人たち、はしゃぎまわる子供とそれを見て笑う二人の男女。イルミネーションが彩る街は華やかさに溢れ、それに呼応するように人々も笑い合う。そんな彼らと対照的に、道の片隅に立つ小さな少女はたった一人で寒空の下にたたずんでいた。彼らの感じている幸福は自分には必要の無いものなのだと、そう自分に言い聞かせるように表情の薄れた目で彼らを眺めている。
 その少女の隣に立ちながら、俺はただじっとその哀愁に満ちた横顔を見ていた。見ていることしか出来ない。俺の声は彼女にも道を行く人々にも届かなかった。この世界での俺の存在は冷たい冬の空気であり降り続ける雪だった。ただ少女の気持ちだけが不可逆的に流れ込んでくる。
 小さな粒が地面を覆い早歩きの人々の足がそれを踏みつけていく。その足跡を隠すようにまた雪が積もり始める。雪の輪廻が続く永久にも等しい時間の中で、少女は肩を丸めて小さく震えながらただ立ち尽くしていた。どれくらいの時が経っただろうか。コマ送りのように断続的に流れる傍観者の時間。しかし俺は少女の感じていた時の長さや残酷さを同じように感じることが出来た。真夜中を過ぎてもなお人々の足取りは絶えない。それでも少女は一人ぼっちだった。
 雪が少女の亜麻色の髪の上に降り積もっていく。
 少女は虚ろな視線を空へと向ける。まるで何も無い虚空にぬくもりを見出そうとするかのように。
 鈴の音が聞こえたのはその時だった。
 トナカイの引くそりが雲の合間から地面へと舞い降りた。それは雪のようにゆっくり、少女の前へと停止する。いつの間にか辺りからは人の声が消えていた。その音のない白一色の世界の中央にやさしい笑みをうかべた赤い服の老人が立っている。少女は驚き、老人の顔を見つめている。老人は笑みを崩さぬまま、
「メリー・クリスマス」
 大きな手で少女の頭の雪を払い、袋の中から取り出した黄色い帽子を彼女にかぶせた。
 少女は両手で帽子に触れる。わけがわからないといった様子でその帽子の端っこを赤くかじかんだ両手で握る。雪が一粒、その手の上に舞い降り溶けてきえた。少女の目に涙が浮ぶ。冷たい頬を伝う温かな滴。
 老人は踵を返しそりに乗り込むと空へと舞い上がった。少女は声を出そうとするが薄く開いた口からは何の言葉も放たれることはなかった。もどかしそうに自分の喉に両手を当て必死に「声」というものを絞り出そうとする。しかしだんだんと小さくなっていく老人を呼び止めることは叶わず、悲しい色が少女の青い目に宿る。
 やがてそりは短い光の尾を引きながら黒い空のかなたへと消えた。そりが消えてからも少女はじっと空を眺めていた。
 辺りの景色が再び歪み始める。さまざまな白が混ざり合い、別の白を作っていく。
『ずっと待っています、再びあなたに会えるまで』
 混濁していく意識の中で、
『あなたに、この喜びを伝えられる、その日まで』
 俺はあの少女の声を聞いた気がした。

 目を覚ましたとき、俺は街の隅に植えられたもみの木の幹にもたれ掛かりながら、足を前方に伸ばして座り込んでいた。わけがわからぬまま立ち上がり地面に転がっていたコーンポタージュの缶を拾い上げる。そして自分の頭上を覆っていたあまり立派とは言えないもみの木を見上げた。ここはさっき老女とあった裏通りの一角のようだ。でもこんなもみの木はあそこには無かった気がする。
 視線を上へ上へと移していきやがて空と木の境目を捉えた時、俺はそのもみの木の姿に不思議な既視感を覚えた。表通りの街路樹とは違い何の装飾もされていない素朴なそのもみの木のてっぺんには、ぼろぼろになった星の飾りがしがみ付いていた。
 黄色い星と白い雪を纏ったもみの木。
「そっか、それでずっと待っていたんですか」
 俺は空へと懸命に幹を伸ばすその老いたもみの木を見上げながら呟いた。異国の店先に置かれた小さなもみの木は、海を越えこの地に根付いてからもずっと彼を待ち続けている。僕の視線はもみの木から低い空へと移る。
 口を開く。白い息が洩れる。
「おーい! サンタを待ってる人が、ここにもいるぞー!」
 思いっきり叫んでみた。が、叫んだあとで恥ずかしくなり顔をしかめる。何言ってるんだか――と悪態を吐いてみたけど、不思議と心は温かかい。
 やれやれと踵を返し歩き出す。

 背後で軽快な鈴の音が確かに鳴った。

 俺は振り向いた。
 オレンジ色の暖かな光。それに包まれて微笑む老女、その隣には赤い服を着た白髭の老人。二人は俺のほうに顔を向けると、小さく頭を下げた。
「え?」僕は驚きコートの袖で目をこする。一瞬ぼやけた視力が再びその場所を映し出した時、そこには一本の大きなモミの木が立っているだけだった。
 まだ真新しい、華やぐ街のイルミネーションを集めて作り出したような、そんな星の飾りを付けたモミの木が。
「はは、あははは」
 自然と笑いがこみ上げてきた。
「そっか、やっと会えたんですね」
 おかしくもないのに笑えるなんて初めてだ。降り続ける雪を見ながら、表通りの方から聞こえてくるクリスマスソングと鮮やかに彩られた喧騒を聞きながら、俺は笑い続けた。
 ふと、一粒の雪が俺の頬に当たって消えた。濡れた頬に手を当てると、俺は一片の雪を掴むように片手を空に伸ばした。広げた指はまるで空の血管みたいに見える。
 俺の喜びを、名も無き老木の喜びを、そして今同じ時を生きている全ての人々の喜びを、星の無い空へと送って欲しい。
 長いイヴの夜、どこかの街でまた、やさしい雪が降るように。

 そんな事を考えて、俺は冬の冷たい――しかしどこか温かい空気に包まれながら、人知れず照れ笑いをうかべていた。

(2015年7月一部手直し)
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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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