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どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~39

第39話「それぞれの、その日まで その1」

○正法寺陽介の、その日まで

この部屋に初めてきた日の記憶は鮮明だった。
自分のアパートと同じ立方体の空間なのに、その中に密閉された空気の違いが俺の感情を妙に昂ぶらせていた。
でも、最近はそんな落ち着かない感情も薄れ、今は目の前の黒い箱に並べられた白と黒の鍵盤だけに意識を集中させる事ができる。
「上手くなったね」清里さんが言う。
「ありがと」少し素っ気ないかな、そんな事を思いながらも鍵盤を叩く手は止めずに答える。
弾きながら歌う場面に備えて、なるべく無意識で指が動くようにしたいーーそんな目的から、話し掛けれられてもピアノの演奏を止めないようにしよう、なんてはたから見たらよくわからないノルマを自分に課している。
しかし、だんだんとわかってきた気がする。
この楽器が何を求め、どんな風に触れてもらいたいのか。
なんて事をこの道10年以上の清里さんに言ったら失笑を買いそうだから、言わない。自分の中だけの達成感として留めておこう。
清里さんはいつも通り椅子代わりのベッドに腰掛けて、ピアノを練習する俺の背中を眺めているのだろう。
「学祭、楽しみだね」清里さんが言う。
「だね」俺は返す。

○清里珠美の、その日まで

お祭り前の空気感っていうのは、あたしたちの感情を嫌が応にも盛り上げてくる。
何かに向かって一緒に何かを作り上げているっていう特別感みたいなものが、日常を少しだけ鮮やかなものに変えてくれるのだろうか。
中学の頃、放課後に学祭の備品を作っていた時、一緒に作業していた男子から突然告られた事があった。あの時は、何でこのタイミングでと思ったけれど、今ならその男子の気持ちもわからなくはない。
結局のところはこの空気感が悪い。
2人で一つの目標に向かうこの状況、2つの道が合わさるこの時間は、隣の誰かと手を繋いで歩いているような、そんな錯覚を起こさる。
「上手くなったね」私は言う。
「ありがと」正法寺君がピアノを弾きながら答える。
「学祭、楽しみだね」
「だね」
あたしの問いかけに対しての、短い返答。今、この人の目には、目の前のピアノと、平とのステージしか見えてないのかもしれない。少し寂しい気もするが、そんな不器用なところに、どこか頼もしさを感じる。
最高のライブになるって、そう確信できる。
だからあたしは、誰も聞いていない空間に向けて、ひっそりと自分の感情を言葉として漂わせた。学祭に向かって邁進すべきあたしたちにとって、それは不相応な言葉だと思う。
「学祭終わったら、あたしと付き合ってよ」
多分、正法寺君には聞こえていない。だから、答えなんて期待しちゃいない。
「学祭、終わったらな」
でも、どこからかそんな声が聞こえた。
見ると、正法寺君の指が止まっている。
音が消えた。
混乱して我武者羅に回転する自分の脳みそや、やけに早まる心臓の鼓動を、搔き消してくれるものは何もない。
「あのさ」あたしの方を見ずに、正法寺君は言う。その指は落ち着かないように鍵盤を弄んでいる「何でこのタイミングで言うかな」落ち着かない手が自分の頬を掻く「もう少し待っててくれたら、俺のほうから、もっといい感じのシチュエーションで言ったのにさ」
ちらりと私の方を振り返る。
その顔は、イケメンで整った正法寺君が初めて見せる、なんとも崩れたブサ可愛い顔だった。
祭りの前の空気感は、なんでこんなにもあたし達の感情を掻き乱すのか。
喜びと可笑しさで込み上げてくる笑いを堪える事に、あたしは必死になっていた。


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幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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