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ハロウィンの夜、電波塔の2人 (2011年10月)

ハロウィンはケルト人にとって、死者の霊が現世に現れる特別な日であるらしい。
営業回り中の不慮の事故で命を落とした日本人の会社員タカハシは、お盆の帰省と間違えてハロウィンの夜に現世へと舞い戻ってしまった。事故の原因も取引先との待ち合わせ時間を間違え焦った事による運転ミスだというのに、死んでもドジが治っていない残念なタカハシなのだった。
一年ぶりの町は、相変わらず小さな湖の畔に横たわる苔生した石ころのように落ち着いた空気が流れていて、タカハシは懐かしい気持ちになった。
変わったところ言えば、自分がぶつかって破損させたガードレールが補修されその一辺だけ真新しい白に変わっていると言う事。それと、自分が住んでいたアパートの一室は空っぽになり、今は誰も住んでいないと言う事。
懐かしさに誘われて、タカハシはかつての自分の城にふわふわと足を踏み入れた。マンガやゲームに囲まれ現実の侵略に抗ってきた難攻不落の城も、今では月明かりすら不用意に差し込む孤城と成り果てている。
かつての自分がそうしたように、窓辺の床に座り込むと、タカハシは感慨深く差し込む月明かりを見上げた。ここにビールの一本でもあれは、きっと今宵は最高の夜になるだろう。
カツカツカツ――ヒールが床を叩く。
玄関の向こう側、二階の廊下から聞こえて来たその音を聞いてタカハシは玄関の方に一瞥した。こんな時間にこんな場所へ女性が何の用だろうか。自分が住んでいた頃は両隣とも女性に縁の無さそうな悲しい男性が住んでいたはずだが。
もしかしたらどちらかに恋人が出来たのだろうか?
 なるほどねよかったよかった、とタカハシは誰にとも無く建前の言葉を呟いたが、本音は羨ましくてしょうがない。壁抜けも思いのまま、その上誰にも見えないこの体を駆使して夜の営みを覗いてやろうか。自分だけ幸せになりやがってちくしょう。
ガチャ――ドアノブを回す音。
違う、隣室ではない、音はこの部屋の玄関から聞こえた。
タカハシは再度玄関に視線を移す。
ドアが開いていた。
鍵が掛かっているはずのドアは完全に開け放たれ、薄明かりが一人の女性のシルエットを浮かび上がらせた。スーツを着た小柄な女性が玄関に立っている。
女性は薄暗い足元を確認しながら、ハイヒールを脱いで部屋へと上がりこんだ。
泥棒か? タカハシは隠れようとしたが、自分が霊体である事を思い出す。
女性の視線はキッチンから、開け放たれた引き戸を抜けて、部屋の奥に位置する窓の付近へと向かい、止まった。
座っているタカハシを凝視するかのように、女性は微動だにしない。
「誰? 幽霊?」
 女性から誰何の声があがった。
タカハシは驚く。一つは霊体である自分が女性に見えていたという事。そしてもう一つは女性の声に聞き覚えがあった事。タカハシはその声を忘れるはずが無い。
『三浦さん?』
 思わずタカハシは問いを返す。
 生前同僚だった女性――三浦ハナが、そこに立っていた。

          ★

 客に頭を下げるだけの不毛な営業回りから帰ると、同僚の三浦ハナが一人パソコンの前で頭を抱えていた。
「お疲れさまー」ビニールボールに空けた針穴から吹き出る空気のような弱々しい声で、タカハシはハナに声をかけた「調子はどう?」
「全然終らないんです…」顔を上げたハナの目は眠気でとろけている「あーもう脳みそがプリンになりそう」
「何やってるの?」
「明日までに新規顧客のフォロー営業用のリストを作らなきゃダメなんです」
「ああ、今月は主任がめちゃくちゃ力いれて回ってたからなぁ、膨大な数だろ」
「そうなんです」ハナは涙目だ。
「今日の分の残務がすんだら、俺も手伝うよ」
タカハシはそう言いながら、ビジネスバッグに詰めた資料を机の上に並べた。二十社回って、資料をもらってくれたのはたった一社。その一社も半ば強引に押し付けたようなものだし、今後の進展は望みが薄いだろう。手元に残った大量の資料が、本日の徒労を物語っている。
こっそりハナの後ろ姿に目をやった。飾り気の無い黒髪のショートヘアーは、堅苦しいスーツの上にどこか不釣合いな少女の輪郭を見せている。普通ハナぐらいの歳の女性は、茶髪だパーマだなんとか盛りだなどと、いかに自分を華やかに見せるかに苦心しているものなどだろうが、ハナはその名に反して華を咲かせる気がまったく無い。
タカハシは華やかな女性が苦手だ。何か腹黒いものを感じてしまう。だからと言っては失礼だが、タカハシはハナに対し他の女性には無い安心感を覚えるのだ。
「どれどれ、先輩にみせてみなさい」
「このリストをパソコンに打ち直して――」
「うんうん」
 時計を見ると夜九時を回っている。もうあと一頑張り、やってやろうじゃないか。
 
          ☆

 月明かりが差す薄暗い部屋の中、ハナは部屋の奥――ベランダに面した窓の前に誰かが腰掛けているのに気づいた。
 そいつは普通の人間とは思えない程奇妙な容貌をしていた。全身の輪郭はぼやけており、顔つきも判別がつかない。視認しようと細部を凝視すればするほどその姿は霧のように四散し輪郭すら掴めなくなる。そいつの背面に位置する窓枠にピントを合わせようとすれば、その姿はとたんに透明に変わる。
そこに居るようで居ない不可解な存在感。
 生きている者では無いと、ハナは本能的に察知した。
「誰?」ハナの発した一言にそいつは一瞬たじろぐ。
そしてその問いかけに返すように、そいつはハナの名前を呟いた。
『三浦さん?』
今度はハナがたじろぐ番だ。
「何で、私の名前を?」
 至極真っ当なその問いに、そいつは更に驚きの様相を見せる。
『そっちこそ、俺の声が聞こえるのか?』
「聞こえますけど……」ハナは言葉に詰まった。そいつの発し言葉は、声音こそ違うもののある人の話し方にそっくりだったからだ。
 そんな事があるはずが無い。ハナは自分の直感に疑念を投げかける。しかし、自分が間違えるわけが無い。その人の言葉を、仕草を。
「つかぬ事をお尋ねしますが――」そこで一呼吸言葉を区切る。小さな決心の後「あなたは、私の先輩の高橋さんなのでしょうか?」
『え、あ、うん』
 そいつは面食らったように、小刻みに頷いた。
 ハナは息を呑む。その足は無意識に、そいつ――タカハシと名乗る幽霊へ向かう。
「ほんとに高橋さん?」
 詰め寄るハナ。
『まぁ、うん』
「ほんとのほんとのほんとに?」
『そうだけど』
「ほんとのほんとのほんとのほんとのほんとに?」
『そうだって』
「ほんとのほんとのほんとのほんとのほんとのほんとのほんとのほんとの――」
『くどいっ!』
「その、なんのひねりも無いつなんないツッコミ……ほんとに高橋さんだ」ハナは確信した。その幽霊がタカハシであると。ハナの口元がへの字に曲がる「高橋さんがいる」
 様々な感情が脳内を駆け巡り、言葉が出ない。言いたい事がたくさんあるはずなのに、そのどれもが言葉の形を成してくれない。やっと出た言葉も、最後まで言い終える事は叶わず、喜びとも悲しみともつかない感情がハナの言葉を遮った。
「高橋さん、何で死んじゃったんですか? 私、わたし――」
 そしてハナは声を立てず泣いた。

 こんな時、男ってのはどうすればいいのだろうか。
 薄暗く寂寥としたアパートの一室で、同僚だった女性の初めて見せた表情にタカハシは戸惑い、同時に胸に込み上げるものを感じた。
 堪えきれず肩を抱こうとした手がハナの体を虚しく素通りする。
 タカハシは改めて、自分が死んでしまった事実を感じた。
「わたし、わたしね、たかはしさんをたすけます」しゃくりあげながら、ハナはぽつぽつと言葉を紡ぐ「わたしが、たかはしさんを、助けますから」
『助ける?』
「たかはしさんを、いきかえらせます」
『生き返らせる?』
「うん」鼻をすすり、唸るような声で頷くハナ。
 タカハシは頭をひねり、その言葉の意味を理解し、一瞬喜びの感情が芽生えた。が、その芽は一瞬で枯れ果て、ハナに対する不安感だけが残った。ハナはどちらかというと、たまに突拍子も無い事を言ういわゆる天然タイプだが、だからといって死んだ人間を生き返らせるなどと言い出すほど、末期症状ではなかったはずだ。何か良からぬ宗教に入れ知恵されたのかもしれない。
「信じてないですね?」
『当然だろ。何て名前の神様がそんな事おっしゃったんだ? いくら寄付した?』
「神様の力じゃありません」ハナは肩に下げていた鞄から古ぼけた木の棒を取り出す「見ててください」
 ハナは片手に持った木の棒を顔の前にかざし、小さな声で何かを呟いた。
 その瞬間素早いものがタカハシの顔のそばを横切った。
 振り返り、ものの向かった先を確認する。
 女性ものの靴が落ちている。
 玄関に置いてあるはずのハナの靴だ。いつの間に投げたのだろう。
「びっくりしました?」
 頭の上から声がする。頭の上? ハナは自分より背が低いはずだが?
 タカハシがハナの立っていた方に向き直る。
 そこには誰もいない。
「こっちですよ」
 天井を見上げる。
 そこにハナは居た。
 タカハシ君の頭上、天井の少し下辺りを水中でけのびするような姿勢で、ハナが浮いていた。
『え、あ、あれ?』
 テンパるタカハシを見下ろし、ハナは涙目で笑った。
「実は私、魔女なんです」

         ★

「高橋君、どうしてこんなミスをするの? どう考えたらこんな間違えしちゃうわけ?」
「すみません……」
「だーかーらー、すみませんじゃないでしょ、なんでこんな事したのか聞いてるの」
「えっと、それは、先方が電話口で言った言葉を聞き間違えまして」
「また言い訳? 全然反省が感じられないよ。バカは死ななきゃ治らないってか」
「言い訳してるつもりは……」
「へー、口答えするんだ。偉くなったね君も」
「……すみません」
 課長からの説教はゴールが見えない長距離走に似ている。どこかに結論付くわけでもなく、ひたすら続く苦しみの時間。どこに行き着くのかなど関係ない。長時間苦痛を受けた末、ゴールに辿り着く事無く倒れ込む。
 自分のデスクに戻ったタカハシは、課長にバレないように溜息を吐いた。
 気づけば説教だけで一時間が経過し、定時の帰宅時間はとうの昔に過ぎていた。これから今日が締め切りの仕事を終らせたら、一体何時になる事やら。
「高橋さん」ハナがタカハシの背中をトントン叩く「ちょっとコンビニ付き合って下さい。コーヒーおごりますから」
 会社の隣のコンビニエンスストアでコーヒーを買うと、ハナは会社近くの公園に足を進めた。暗い公園には誰も居ない。二人はベンチに腰掛ける。
「課長の説教、相変わらず意味不明ですね」
「そうかなぁ……」
「きっとストレスを発散したいだけなんですよ」
「でも、俺がダメ社員なのは事実だし……」
 コーヒーを開けた。湯気と供に香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。最近の缶コーヒーは美味くなったよな。きっと優秀な研究者が一生懸命開発したんだろうな。それに比べて自分ときたら……。
「なんかもう、俺みたいなダメダメ人間死んだほうがいいんだ」
「何言ってるんですか」
「俺みたいなダメ社員、会社のお荷物だし、必要としてくれる人なんていないんだ」
「それは違いますよ」
「三浦さんは、どうする?」
「え?」
「俺がもし死んだら、どうする?」何を言っているのかわからない。手の中のコーヒーの温かさすら、ぼんやりと現実感が無い。
「俺が――」
「ばかっ!」ハナは大声をあげた。遠くを歩いていたカップルが一瞬足を止めこちらを見る。
「高橋さんが死んだら、私は高橋さんを許しませんから」ハナは鼻息を荒げる「絶対に許さないですよ」
「許さないって……」
「私、高橋さんを生き返らせますから! 生き返った高橋さんをボコボコにぶっ叩いてやりますから! だから死んでも無駄なんです!」
「生き返らせるって、そんな無茶な」
「無茶じゃありません、頑張れば出来ます! だから……、だから、死ぬとか言わないで下さい」
 タカハシはコーヒーをもう一口飲んだ。身体が心の底から温まるような気がした。
「ごめん」
「許さないです」
「ひどいなぁ、課長よりよっぽど厳しくね?」
 コーヒー缶を太ももの間に挟み、タカハシはコーヒー色に染まった空を見上げた。グラニュー糖をまぶしたように星がちりばめられている。
数万光年離れた星の光から、数百メートル離れた電波塔の光へと視線を移した。あの程度の高さですら、自分にとっては未知の領域だ。
自分がいかにちっぽけな人間か、思い知らされたような気がした。
 数メートルの高さの街灯に照らされたハナが笑う。
星よりももっと明るい笑みだった。

          ☆

「私、魔女だったんです」ハナは腰を抜すタカハシの前で仁王立ちしている「……ていうか、自分も幽霊のクセに、高橋さん驚きすぎですよ」
 まぁ確かに、とタカハシは思う。
『ちなみに、幽霊である俺が見えるのも?』
「はい、私は魔女ですから、普通の人よりも霊的なものへの感受性が強いんです」
『へ、へぇ』
「混乱しているようですから、説明しますね」そう言ってハナは説明を始める「私の家はヨーロッパの魔女の家系にあたるマジョリーナ家の遠い親戚にあたるんです。日本にも私の家のように西洋系魔術者の血を引く家系も結構居るんですよ。イタコとか、そういう東洋系の魔術者の方がやっぱり多いですけどね。それで私は、マジョリーナ家の子孫の中でもけっこう魔力が強い方らしく、さっき見せた程度の魔術なら魔方陣無しでも使うことが可能です」
『要するに、魔女の家系でけっこう優秀な子なのね』
「はい。でも魔術って言っても、多分皆さんが思っているほど万能じゃありません。もしこの魔術で何でも出来るなら、私は多分今頃億万長者です」
『たしかにね』
「マジョリーナ系魔術は基本的に他者への干渉を良しとしません。ですから、私の使える魔術は全て、自分もしくは物質のみにしか作用しません。更に、自分の能力を他者に大きく干渉するレベルまで上げる術もご法度です。魔法で天才になって東大に入る、なんてのも出来ません。私が魔法で東大に入ったら、その分実力で入れる人一人の人生に大きく干渉してしまいます。出来て、学校の内申点に反映されない程度のミニテストで満点取るくらいが関の山です」
『ずいぶん使い勝手が悪いね』
「ルールに反する使用をした場合、すごく恐ろしいしっぺ返しがあるっておばあちゃんが言ってました」
『でもそうなるとさ』タカハシは指を立ててみせる『俺を生き返らせる、なんてのも無理なんじゃないの? 俺の人生に大きく干渉してるわけだし』
「それは――」ハナは目を見開き、赤くなって俯いた。
『え、何その反応』
「えっと、私の魔法における、他者と、自分の境界線というのは、物理的なものではなく、あくまで精神的なものでして、つまり、その、私と見ず知らずの他者には、何の精神的つながりも無いから、魔法上では非自己と判断されるわけです。つまり、精神的に受け入れられない人物に関しては、非自己となるわけでして、でもその逆に、えっと――」
『え? 何が言いたいの?』
「ようするに、高橋さんなら大丈夫なんです!」
 何かが爆破したように、ハナは真っ赤になりながら声を荒げる。
『わかったわかった、わかったからあんまり大きい声だすなって。ここは一応空き部屋なんだから、女性の大声が聞こえたら不審がられるだろ』
「そ、そですね、すみません」ハナはばつが悪そうに鼻の頭を掻いた「気をつけます」
 タカハシは壁に頭を突っ込んだ。幽霊の自分は物理的障壁を通り抜ける事ができる。片側の部屋は真っ暗で留守のようだ。もう片方の部屋の住人はヘッドホンをしてパソコンでアニメを見ている。この部屋の物音に気付いた気配が無い事にタカハシはほっと胸を撫で下ろした。
 床に腰を下ろしたハナは鞄の中をまさぐっている。部屋の中が暗い為物を探すのは一苦労だが、かといって照明器具をつけるわけにもいかないのはハナも理解しているようだ。
スカートから伸びた白い足が、フローリングの床に投げ出されている。この時期の床は冷たいだろうが、差し出せる座布団などあるはずも無い。自分の部屋で初めて女の子と二人きりだというのに、何のもてなしも出来ない自分が歯がゆい。
ハナは正方形に折りたたまれた紙を取り出し、床に敷いた。紙は広げると二畳分ほどの大きさになった。中央に円形が書かれ、よくわからない呪文が記されている。多分魔方陣というものだろう。
「肉体のよりしろとなるもの――」近所のスーパーのパック豚細切れ肉が置かれる。
「血のよりしろとなるもの――」ビンの赤ワインが置かれる。
「魂定着の目印――」白地に赤い字が書かれた紙を置く。
『ずいぶんと安っぽいもので作るんだね、俺の体』
「これは肉体を構成する上で、ただの設計図みたいなものです。このよりしろを元手に、魔力で肉体を製造・構築していくんです」
 言っている意味がよくわからないが、だからこそ目の前で魔女を名乗る元同僚に少しの期待を感じている自分も居る。魔術なんてものは常人から見れば得てして意味不明なものであり、そうであるからこそ未知の力を期待することが出来る。
「魂の定着の為には、生前その者が一番魂を寄せていた場所が一番なんです」黙って自分を見つめているタカハシに照れたのか、ハナは聞かれてないのに説明を続ける「高橋さんの魂が最も無防備に曝されていた場所、それ即ち高橋さんの部屋!」心地よいほどのドヤ顔である。
『なるほど、だからこの部屋に来たわけか』
「空き部屋の鍵なら魔法で簡単に開けられますから」指先をくるくるっと回してみせる「それと、今日がハロウィンだというのも関係しています。お盆やハロウィンといった死者と生者の距離が近くなる日は、当然死者蘇生にもうってつけなんですよ。高橋さんが今日この時この場所に現れたのもうれしい誤算です。おそらく高橋さんは東洋――日本の霊的儀式より、西洋のそれに親和性が高いんじゃないでしょうか。お盆ではなく今日、ハロウィンに地上にやってきたのも、多分そういうことなんですよ。これは成功しますよ、絶対成功します、成功しますとも!」
 言葉の最後の方はむしろ懇願に近いような響きがあった。
 彼女は必死に自分を生き返らせようとしてくれている。
 その気持ちだけで、タカハシはうれしかった。

          ★

 タカハシの事故を知らされた時、ハナは全く実感がわかなかった。
 病院に運ばれたタカハシが臨終した知らせを聞いた時も、ハナは録画したテレビドラマを見ているような、そんな傍観者的な感情しか沸いてこなかった。
 会社の同僚として後ろの席に座り、お坊さんの唱える下手くそな日本魔術の詠唱を聞きながら、ハナは週末の映画に着ていく服装の事を考えていた。
週末は、高橋さんが初めて自分を映画に誘ってくれた。どんな服装で行けば、彼は喜んでくれるだろうか。こんな私を、かわいいと感じてくれるだろうか。
 週末、ハナは待ち合わせの駅前でタカハシが来るのを待った。
 約束の時間は十時。約束の時間になれば、きっと彼は駆け足でやってくる。
 友達とラーメン屋にでも行くようなしゃれっ気の欠片もない服装の彼に「もっとかっこいい格好で来てください」と頬を膨らませてやろう「今日は私と、デートするんですよ」
 そんな事自分が言えるわけが無いのに、とハナはクスリと笑う。自分にそんな勇気、無い。自分の気持ちだって、ずっと言えなかったのだから。
 十時が過ぎた。
 十一時が過ぎた。
 十五時が過ぎた。
日が傾き、夕暮れが迫る。
彼は来ない。
そのとき初めて、ハナはタカハシが死んでしまった事を理解した。
彼は来る事は二度と無いのだ。
地面に座り込み、ハナは声を荒げて泣いた。
道行く人の目が奇異の目でハナを一瞥し通り過ぎていく。なぜ彼らは、わき目もふらず日常に溶け込んでいく事が出来るのだろうか。彼が死んでしまったというのに。彼にはもう二度と会えないというのに。
世界の大半が欠落してしまった。
そう感じているのは、私だけなのだろうか。
言いようの無い孤独が心を鷲掴みにし、搾り出された冷たい液体が、涙となって流れ続ける。
やがて涙も枯れ果てた頃、ハナは以前自分が彼に言った言葉を思い出した。
〈私、高橋さんを――〉
 ゆっくりと立ち上がり、袖口で涙を無造作に拭う。
〈私、高橋さんを生き返らせますから〉
 そうだ、私は高橋さんと、そう約束したのだ。
 自分には、もう一度彼に会える力がある。

 それから約一年、ハナは死に物狂いで魔術の研究を続けた。
 他者への干渉を前提とした魔術の記録は、先祖達の記した過去の文献をかき集めても、清流に眠る砂金程の僅かな事例し見つからない。一文の得にもならない川原の石を天高く積み上げるような地道な作業を、ハナはひたすらに続けた。
 睡眠不足で眼が落ち窪み、机に突っ伏して気絶するように眠る。数時間の後目を覚まし、手櫛で整えただけの押入れの中に忘れ去られた人形のような容貌で会社へと向かう。そんな日が何日も、何ヶ月も続いた。
また二人会社のそばの公園でコーヒーを飲むような、そんな日常に戻りたい。
 死んだ人間を自分の都合で行きかえらせる事など、おそらく神への冒涜だ。
 彼自身がそれを望んでいないかもしれない。
 でも、自分は彼と一緒に生きたい。
 彼の居ない人生に、何の喜びがあるのだろうか

          ☆

「高橋さん」準備の手を休め、ハナはタカハシを見た。
『なに?』
「私、高橋さんの事が好きです」
『え!? あ、その、ええ!?』
 突然の告白に、タカハシは混乱する。
『なんで、俺なんかを?』それは素直な感想だった。会社での自分を客観的に見ても、ハナが恋心を抱くような要素があるとは思えない。
「同期の女の子達の中で、私一人浮いていたんです。私見た目地味だし暗いから、多分気にくわなかったんだと思う。ちょっとだけ、イジメみたいな事もされました。私に仕事を押し付けて先に帰ったりとか――そんな時、高橋さんだけはいつも無言で、私の仕事を手伝ってくれましたよね」
『そ、そうだっけ?』
「これ、覚えてます?」カバンの中からカボチャ頭の人形を取り出す「ちょうど一年前のハロウィンの時、会社の飲み会の帰りに寄ったゲームセンターで、高橋さんが取ってくれた人形です。今でも大事に持ち歩いてるんですよ」
『ああ、たしか五千円くらい使ってやっと取れた――』ははは、とタカハシは笑う。
「そうです、あの時の高橋さん、ひーひー言ってましたね」ハナもクスリと笑った。
「私、ずっと高橋さんの事が好きでした。これからもずっと高橋さんの事が好きです。だから、高橋さんに生き返って欲しいんです」
 ハナの言葉は、静かな部屋に凛と響いた。
 その瞳はまっすぐにタカハシを見ている。
「でも、それは私の勝手なエゴです。高橋さんがこの世に未練も何も無いって、そう思うのなら――そんな高橋さんを生き返らせるのは、多分間違っている」
『俺が死ぬ直前に思った事、何だと思う?』
「何、ですか?」タカハシの唐突な質問に、ハナは首をかしげる。
『やっと好きな子をデートに誘えたのに、こんな所で死にたくない』
 タカハシは照れ臭くなって窓の外を見た。
家々の明かりが、暗い海に立つ灯台のようにポツリポツリと点在している。風に吹かれ舞う木の葉が波音を奏でる。少しだけ欠けた月をタカハシは見上げた。
『生き返ったら、また映画に誘ってもいい?』
「はい」ハナは大きく頷く。
 
 魔方陣の前に立つ足が震えた。
 他者に干渉する魔術の代償について、ある文献にこう書かれていた。
【他者を対象とする魔術を使いし時、その魂は冥府へと向かう】
 失敗は術者自身の魂を永久に消滅させる。完全なる死だ。それが恐くないといったら嘘になるが、タカハシの言葉がハナに勇気を与えていた。
 自分は彼の心を――魂を受け入れている。
 今、二つの魂は一つになっている。
 そう思うと恐怖は薄れ、足の震えは止まった。
 魔方陣の上に手をかざす。呪文の詠唱はまるで歌のように淀みなく、透き通る声が緊迫した空気を震わせた。
 魔方陣が徐々に光を湛え始める。
 ハナの額に汗が浮かぶ。
 かざした手に力を込める。
 魔方陣が一瞬、まぶしいほどの光を放つ。
 
ハナは目を瞑った。

真っ暗な部屋に横たわる影が、微かな衣擦れの音と供に動いた。
「う、ん……」
 その影はハナだった。魔方陣から放たれた強烈な光は、瞬時にハナの意識を奪った。ハナは混濁した意識で朦朧としながら、自分の右手を左手で触った。次いで胸に手を当てる。心臓は規則正しく脈打っている。
 生きている。
月が雲に隠れたのか、アパートの窓から迷い込んでいた月明かりも、今は無い。かなり長い間気を失っていたようにも感じたが、腕時計を見るとほんの数分しか経っていないようだった。
 自分が生きているという事は、術の成功を意味し、同時にタカハシの蘇生を意味する。霧がかった意識が次第にその輪郭を表すに連れ、その結果は実感となってハナの体に流れ込んでくる。
 過去誰も成しえなかった死者の蘇生を自分はやってのけたのだ。
ハナは安堵の溜め息を漏らした。
「高橋さん……」
 手探りで魔方陣のあった方向に手を伸ばす。その場所で自分と同じように気を失っているはずのタカハシに触れるために。
 ぐにゃ。
 冷たく不気味な感覚が手の平から伝わる。
「え?」
 その感覚を握り締め、手元に手繰り寄せる。
 開いた手の中には豚肉が握り締められていた。
「なに、これ?」
 ハナは気が動転した。
 本来タカハシが横たわっているべき場所に彼の姿は無かった。
 よりしろとして置かれたはずの肉とワインが、そのままの形で魔方陣の上に並んでいる。
「高橋、さん?」
 返事は無い。
「高橋さん、どこですか?」
 返ってくるのは静寂のみ。
 自分以外に生きる者の気配は無い。
 ハナはたった一人、冷たいアパートの床に部屋に座っていた。
理解し難い状況を前にハナの脳は必死にその答えを探った。乱暴に引き出しを開け放ち、中身を無造作にばら撒きながら、想像したくない一つの可能性を否定しえる材料をハナは探した。
見つからない。
現状を否定してくれるような仮説も、事例も、ハナの持つ引き出しには存在しない。
【術の失敗でタカハシは魂ごと消滅した】
 途方も無い絶望感に襲われ、ハナは床に崩れ落ちた。
 自分の術が彼の魂までも消滅させてしまった。
 魂さえも消滅した者は、もう二度と生き返る事は無い。
 絶望の底からふつふつと、自分自身に対する言いようの無い怒りが込み上げてくる。怒りに焼かれ心が悲鳴を上げている。
「私が、殺したんだ」両手で髪の毛を掻き毟る「私が、高橋さんを、殺した」

『三浦さん』

 声が聞こえた。
 ハナは手を止め、耳を澄ます。
『俺はここだよ。大丈夫だって』
 確かに聞こえる。
『ここだよ、君の鞄の隣の――』
 ハナは上体を起こし、床に置かれた鞄の方に目をやった。鞄の隣に何やら蠢くものがいる。片手に乗る程度の小さな物体、そのシルエットには見覚えがあった。
 その物体に手を伸ばす。
 カボチャ頭の小さな人形。
『こんな姿になっちゃいました』
 人形はハナの手の中で、きまずそうにポリポリと頭を掻いた。
「高橋さん……なんですか?」
『そうだよ』
「何で、そんな姿に?」
『さあ?』
 ハナは目を凝らして人形を見つめる。人形の背中に赤い字が書かれた紙が張り付いている。ハナの頭の中で様々な事象が一本の線に繋がった。見つめられ照れている人形――タカハシを床に置くと、ハナはしきりに頷いた。
「そっか、そういう事か」
 全身の力が抜け、ハナはタカハシを抱いたまま床に寝転がる。
 冷たいフローリングの感覚が火照った頭と体を心地よく冷ましてくれる。
『どういうこと』
 タカハシの問いに、ハナは恥ずかしそうに笑った。
「私の魔術は半分失敗して、でも半分は成功したみたいです。高橋さんの魂だけは現世に定着させることが出来ました」
天井を見つめながら、長い溜め息のようにハナは言う。
「高橋さんの魂のみに限っては、私が自分の一部として受け入れる事が出来たので、魔術の効果範疇に含まれ、生き返らせる事が出来たんです。」
『うん』
「でも、高橋さんの肉体については、自分の一部として受け入れる事が出来なかったというか、その、受け入れる覚悟が無かったというか、そんな感じで……」少し言いよどんだ後「だから非自己と判断され、生き返らせる事が出来なかったのだと……」
『え? どゆこと?』
「そ、それはですねっ!」
ハナは急に声を荒げ、飛び跳ねるように上体を起こす。顔は暗闇でも分かる程に真っ赤で、視線は部屋の中そこら中を転がりまわっている。
「べ、別に高橋さんと、そういう事をするのが嫌だとかそんなんじゃなくて、ただまだ覚悟が出来てないって言うか、恐いって言うか、だって初めてだからよくわからないしその」
『えっと』タカハシもハナの言っている意味をなんとなく理解し、カボチャ頭が唐辛子のように赤くなっていくのを感じた『肉体を受け入れるって、えっと、そういう事なの?』
 俯いたまま、ハナはコクリと頷いた。
 タカハシはハナの膝の上から、コロンと床に転がり落ちた。空っぽの頭が渇いたイイ音を響かせた。
 雲に隠れた月が顔を出す。
 急に窓から入り込んだ優しい光に、タカハシとハナはしばしの間見とれていた。
「タカハシさん」
カボチャ頭のタカハシをゆっくりと抱き上げ、ハナは子守唄のような優しい声で大切な人の名を呼ぶ。全てが元通りという訳にはいかないが、手の中に収まる程に小さく、しかし自分にとって太陽のような輝きをもったこの魂だけは、もう二度と失わない。

          ☆

ハロウィンはケルト人にとって、死者の霊が現世に現れる特別な日であるらしい。
魔女やお化けの仮装をした子供達が町を練り歩き、町は喚起と笑い声に包まれる。
とある島国のとある町、恐い夢で目が覚めたハロウィンを知らない子供が、月明かりに誘われてカーテンの向こうを覗き見る。少しだけ欠けた月の前を魔女とカボチャ頭の小さなお化けが横切り、少年は目を丸くした。
『会社の近くの公園で、俺が三浦さんに弱音を吐いた日の事、覚えてる?』
電波塔の上で、カボチャ頭のお化けが言う。
「覚えてますよ。二人でコーヒー飲みましたよね」
 カボチャ頭のお化けを抱いた、スーツを着た魔女が言う。
『あの日、この電波塔を見上げ見ながら自分の小ささを感じたんだ。世界は広い。自分の見渡せる視野の中じゃ、見れない事はたくさんある』
 照れくさそうにカボチャ頭は言う。
 自分の死も、自分の蘇りも、同僚が魔女である事も、その魔女が今まで自分を支えてくれていたという事実も――あの頃のままじゃ、見れなかった事はたくさんある。
「実際に、ここに立ってみてどうですか?」
『少しだけ自分が大きくなった気分。今なら星にだって手が届きそうだ』
 グラニュー糖をまぶしたような星を見上げる。
 何も無く、身体さえ無くした自分だが、今は魔女の手の温かさを感じていられる。
「来年の今日もまた来たいですね」魔女はカボチャ頭の顔を覗き込む「その時は高橋さんが、私を抱きかかえて下さい」 
 不意に、カボチャ頭の額に、魔女の唇が触れた。
『な!?』
「高橋さんの身体に慣れるための、第一歩です」
魔女は笑った。
あの時と同じ、星よりももっと明るい笑みだ。
「これからも、よろしくお願いします」

(2015年4月 一部訂正)
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幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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