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どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~37

第37話「まどろみの朝」

朝の光はもうすっかり秋のやわらかさを纏っている。
いつもより少し遅く目が覚めてしまった私ーー金谷ひまりは、今日が何の予定もない日曜日だった事を思い出して、大きな口で欠伸をしたあともう一度暖かい布団を頭まで被った。

平くんから借りたマンガを読んでいたら、ついつい夜更かしをしてしまった。
主人公の男の子が大人になっても初恋の人の面影を追い続けるって内容のマンガだったけど、読み終えた後も切なげな余韻に引っ張られってなかなか寝付くことができなかった。
男の人って、あんな風に初恋の相手の事が忘れられないものなのだろうか。もしそうなのだとしたら、神様は意地悪だ。だって人と出会う順番なんてバラバラなのだから、本当にその人のことを好きになってくれる人が後になって現れるかもしれないのに。
私は物語中盤に出てくる、主人公の事を好きになった女の子に感情移入してしまったのかもしれない。もし彼女が一番最初に主人公と会っていたら、きっとこの物語は2人のハッピーエンドで終わっていたんじゃないかな。
好きになった相手に自分の知らない空白の期間がある事が、何だかすごく寂しくて不安だ。
何で私は平くんと同じ町で生まれ、同じ空気の下で育ち、同じ日々を歩まなかったのだろか‥‥なんて、夜中に読む本は必要以上の感傷を連れてくるから良くないな、と思う。

なんともいえないモヤモヤした気持ちを押しつぶすように、顔を枕に埋めた後ごろんと寝返りをうった。

枕元に置いたシロクマの抱き枕ののっぺりとした後頭部が目に入る。近所のホームセンターで買ったのはいいけど、毛布の端を両手で握りしめて眠る癖があった私に抱き枕は合わなかったらしく、結局彼はベッドヘッドと枕の隙間に落ち着き、細い目で部屋の中を見つめている。
布団から手を伸ばし、彼の頭を撫でた。
暖かな布団と、やわらかなシロクマの手触りと、何の予定もないのんびりした日曜の朝。
枕元に置いたおっきな目覚まし時計の針の音も、平日のような脅迫感はなくてのんびり散歩する子犬の足音みたいに聞こえる。

なんだかんだ考えたって、結局のところ、私は今すごく幸せなのかもしれないな。
そう思うと自然と頬が綻んだ。

全ては淀みなく流れている。
私も、私の周りを縁取ってくれるみんなも、そして平くんも。

この前の夜、平くんから電話があった。
平くんとは2人で話す機会が多くなっているように感じる。それが自然の成り行きなのか、私が意識してそうしているのかはわからない。でも電話で話した事は今まで無かったから、変な話だけど私はちょっと緊張していた。顔や身体みたいな衝立で隠さないと、声の中に潜んだ自分の感情は丸見えなんじゃないかなって、多分そんな感じの恥ずかしさがあったと思う。
その時、平くんは駅のホームにいるみたいだった。電話口から背後の雑踏が聞こえてくる。
『さっき駅の南口で、弾き語りをしているけど女の人を見たんだ』何かを考えるように言葉を選びながら、平くんはポツポツと語る『そして、その、僕が今感じているのは、その女の人も僕らと同じように、音楽を支えに生きてきた過去があるんじゃないかって事なんだ』平くんはいつも自分の考えを正確に伝えようと、一生懸命に話してくれる。そんなところが私は好きだ『つまり、その女の人は未来の僕なんだ。音楽から切り離されて、それでも必死に音楽へと手を伸ばしている。それはきっと、彼女の中に今でも音楽と共にあった青春が生きているからなんだと思う。それが自分の支えになっているからなんだと思う』
その話を聞きながら、私は五智先輩のお兄さんが言っていた言葉を思い出していた。今の努力喜びが、今後ギターに溜まる埃も誇りに変えてくれる。
『あの日、音楽にのめり込んで、音楽に捧げてきたあの日々は、きっと幻じゃない』
そう彼女は歌っていたんだと思う、熱のこもった声で平くんは言った。

私達は今まさに、その日々の最中にある。。
遥か未来に振り返った時、それを幻じゃないと言い切る事が出来るのだろうか、という平くんの問いに、私はうん、と頷いた。
幻じゃないよ。
今ここにいる私も、私の前にいる平くんんも、平くんの唄った歌も、それに感動した私も、全部決して消える事なんてないよ。

『曲、完成しそうな気がするよ。ありがとう』そう言って、平くんは電話を切った。

平くんとのやり取りを思い出していたら、知らず知らずのうちに毛布を握りしめていたらしく、ゆっくり開いた手はほんのり汗ばんでいた。
平くんは今、自分の中にある喜びや不安を、曲という形に作りかえようとしている。
その曲はきっと古い本に挟んだ押し花の栞みたいに、記憶の1ページに挟み込まれるんだと思う。弾き語り部門として活動してきた思い出のページに。
そう思うと、平くんはやっぱりすごい事をしようとしている。
それは既存のものを上手に模倣する事だけが取り柄で、創造する事に戸惑いを感じてしまう私には出来ない事だ。
自分にないものをたくさん持っているから、私は平くんに惹かれているんだと思う。

いつまでもゴロゴロしてちゃダメだ。
布団をガバッと剥いで、うーーー、と大きく伸びをしてから上体を起こす。
私も頑張らなきゃ。
何を頑張るとかじゃないけど、とにかく今を、この日々をただ流れていくだけのものにしてはいけない。忘れないように、消えないように、そう思って生きていく。
まずはそこから始めないと。

私はベッドから立ち上がりカーテンを開けた。
秋晴れの心地よい空が広がっている。
見惚れて吐いた溜息は澄んだ空の青へと溶け込んで、その色をさらに深いものへと変えた気がした。
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ウォール・エルサの再建

日の入りは近い。

明日の出発に備え、私は目の前に立ちはだかるこの壁を打ち砕かねばならない。

高さ約100センチ、厚み約70センチのこの雪の壁は、除雪車が押し固めた言わば氷の塊である。

我が相棒ADバンの進路を確保するため、膝まで積もった雪を押し分けること1時間。満身創痍の状態で公道にたどり着いた私は、目の前で冷笑を浮かべるこの憎き壁を睨みつけた。
この壁を打ち砕き進路を確保しなければ、明日早朝の出発に支障が出てしまう。
逃げ出したい気持ちを理性で押さえ込む。

やらねば、ならないのだ。

スノーダンプを持ち上げ壁に切れ込みを入れていく。鉄と氷の粒が軽快な声を上げるが、今の私にとっては不快以外の何者でもない。
壁を30センチ程度の長さに切り分けると、次にスノーダンプを地面に置き本来の使用法で雪の運搬を試みる。ダンプの刃を壁の立ち上がりに深々と突き刺し、雪を引き出した。
重たい、なんて重たい雪の塊なんだ。
取っ手を握る両腕がプルプルと震える。通常の雪であればこのまま雪上を滑らせて運べるのだが、こいつは地面に腰を据えた大岩のように動く事を拒んでくる。ダンプ押す両足の関節が軋みを上げる。
辛い。
やっとの思いで塊の1つを隣接する用水路に廃棄し後ろを振り返える。
まだ大して変化の見られない雪の壁がそこにあった。
一体あと何回この作業を繰り返せば、相棒の進路を確保することが出来るのだろうか。

スノーダンプダンプの上に、巨大な雪の塊と、多大な絶望を乗せて、私は地獄の往復運動を繰り返す。
明日の早朝、滞りなく出発出来る事を願いながら。

翌朝、社内で出発の準備をしていると、外から不吉な地響きが聞こえた。
まさか、と私は急いで外に出る。
考えたくない、しかし避けて通れない現実がそこにはあった。

再び作られた雪の壁。

暗澹とした空の下、除雪車の登場により、魔の壁はいとも容易く再建されたのであった。

・・・・・・・

・・・・

・・

努力が意味を成すとは限らない。
そんな、雪国あるある。

No.27 アブラムシ

近く冬の足音もまだ遠い11月の中頃、庭の桜の枯れかけた葉の裏で1匹にアブラムシが佇んでいた。

2017011507074189e.jpg

目を凝らすと伺えるその華奢で不恰好な、しかし生命としての均衡を保っている完成された造形に心を奪われる。

虫は小さく儚いほど、生を追求する力に満ちている。

アブラムシで言えば、単為生殖による繁殖の早さや、有翅・無翅を産み分け生育場所を広げていく様など、種を絶やさないためのシステムがその小さな体の備わっている。

それだけの生命エネルギーがあのサイズに凝縮されているのだ。

心を奪われないわけがない。

そして季節は流れ、1月中ば。

今、庭の桜の木は大寒波の影響で雪に覆われている。

アブラムシは気温が低ければ卵、気温が比較的高ければ成虫のまま冬を越すらしいが、あのアブラムシは如何様にして自らの種を永らえさせたのだろうか。

雪が溶ける頃、桜の新芽に張り付いているであろうアブラムシの1つが、あいつの分身で有る事を心の片隅で願っている。

so young

引越しの準備で実家に帰った日の夜、H君とカラオケの一室で創作について語り合った。
それはとても有意義な時間だった 。

創作は1人だ。
何かを生み出す時は、誰だって1人だ。
でも、生まれでたものを育て上げていく事は、1人じゃ難しい。
時には自分を、創作物を、客観的に見て是正を加えてくれる第三者の目が必要だ。
創作について誰かと語り合う事は、1人で頭を捻らすよりずっと感性の幅を広げてくれる。

そんな発見のある夜だった。

最近力を入れている「どんびき」も話題に上がった。
最初は気晴らしに書き始めた物語だったけど、いつの間にかどんびきは自分の感情を代弁してくれる創作物をへと育っていたらしい。

不器用な自己表現にすがりながら未来への不安に震える自分。

過去の失敗を後悔しながら気にしないふりをしている自分。

望んだ姿になれない自分と、望んだ姿に見える何かへの敗北感を抱えた自分。

そんな、切り取られた感情から生まれた各々の登場人物。

青臭い表現だけど、「青春」という業火の中で自分が覚えた感情は、今なお残り火がチラつき薄暗い道の片隅をぼんやり赤く照らしている。
三十路を歩く自分にも、そんな薄明かりの道しるべが確かに存在しているようだ。

学祭に向けた曲を作らねばならない。

それは確かに存在したであろう青春に背を向けないため、その海の冷たさと温かさを忘れないため、自らに課した夏休みの宿題のようなものだ。

カラオケの最後にH君が「伝えたい事」としてイエモンのso youngを歌ってくれた。
その曲は確かに、自分が感じている事の全てだった気がする。
映画で例えるなら、最後にこの曲が流れて幕が降りる、そんなどんびきのエンディングというか、ゴールが見えた気がした。
完結し全てを振り返った時、この曲の歌詞が物語と絡みつくような。

自分は作中で「言葉で全てを語れない俺たちは、音楽で語らう」みたいな台詞を登場人物の一人に言わせた。
その時はスッと出て来た言葉をそのまま書いただけのように思っていたけれど、H君の歌ったこの一曲は、この言葉がテキトーに出て来た言い回しではない事を教えてくれた。
おそらく自分はこれと同じ体験を、気づかないうちに何度も経験してきたのだろう。
だから無意識のうちに、そういう言葉が出て来たのだろう。

なんて、自分語りが過ぎて非常に恐縮である。

ただ、この歳になってもまだ、感情を震わせる出来事がこの世界には溢れているのだ。
場当たり的に取り付けただけのカラオケの約束の中にすら、そんな瞬間は存在していたのだ。

そう思うと確かに自分はまだ、青春の海を泳ぎ続けているのかもしれない。

それはかなり苦しいけれど、「青臭い、馬鹿らしい、子供じゃないんだから」と切り捨てて苦しみとともに感動も無くしてしまったら、とてもつまらないと思う。

海に漂い、激しい波に翻弄され、凪に降り注ぐ陽気で暖められ、突然の雨で浮き沈みするような、朽ちた流木みたいな人生を自分は選びたい。

制服女子を観る

片田舎の商店街のアーケード下、色あせた貼り紙がやたらめったらに貼られた腰痛のおっさんの背中みたいなウインドウに身を映しながら、颯爽とした様子で制服女子が通る。
某食品メーカー勤務、営業職、30代前半、独身の私は、道の向こうからやって来る制服女子の姿を車のフロントガラス越しに眺めるのだった。
車が制服女子に近づくにつれ、曖昧だったディテールが縁取られて行く。私は前方の車に注意を払いながら、横目で制服女子の姿を追う。
車と制服女子がすれ違う瞬間、それこそ私と制服女子が最も接近するその貴重な瞬間、示し合わせたかのように登場した電信柱が、制服女子の姿を遮った。街角の皆既日食だ。輝く太陽が無遠慮な月で覆い隠される。
私はほんの少しだけ、眉根を寄せる。

制服女子について詳しく述べることは、私自身の社会的な立場を著しく崩壊させる危険性がある。
しかしそんなリスクを孕んでいるにも関わらず、私は何故か制服女子に心惹かれてしまうのである。
これは最早、理屈ではないのかもしれない。
優れた芸術作品は、観生まれ育った土地や刻み込まれた価値観に関わらず、観る者の心の中に潜む共通の何かへと働きかける。
それと同じことが、この片田舎の古ぼけた商店街で今まさに起こっているのだ。

ある夜の酒の席で、45歳既婚の課長が若かりし頃の武勇伝として、制服女子とのアレコレ物語を自慢げに語っていた事を思い出す。
「すげーっすねー、さすが課長ですわー、うらやましー」といった当たり障りない賛辞と羨望の言葉を述べつつも、心の中では何か釈然としないものを感じていた。
私が感じているこの胸騒ぎは、果たしてアレコレに対する欲望と同じものなのか?
制服女子を前にして沸き起こるこの感情は、所詮種の保存欲求に帰結するものなのか?

私の心は机を拳で叩きながら「否」叫ぶ。

では、なんだというのか。
心が握りつぶされ、酸っぱい果汁が滲み出すようなこの感情は、一体なんだというのか。
その正体を探るため、私は様々なシチュエーションを想定し、自らの欲求がどこに向かうかのシミュレーションを試みる。
例えば夕日が差し込む教室、学祭の準備を任された私と制服女子は、2人で何か工作をしているとしよう。その時私は、目の前の魅力的な制服女子に対しても何を求めるのか。
アレコレ、ではない。
接吻、でもない。
ハグ、でもない。
手を繋ぐ、でもない。
見てるだけ、ふむ、それだけで十分な気がする。

そこで私は気づいてしまった。
このシミュレーションはあくまでも齢30に届いてしまった私の内面を想定しているのだ。某探偵漫画よろしく見た目は若者、頭脳はオヤジといった状態に他ならない。では心も制服女子と同じ年になったものと想定して再度シミュレーションするとしよう。
アレコレ、したい。
接吻、したい。
ハグ、もちろんしたい。
手を繋ぐ、じゃ物足りない。
見てるだけ、なんてなんとも思わない。

私は愕然とする。
それでは何か? 私のこの感情は自分の年齢や立場によって左右されるものだというのか? 法の縛りによって押し止められているだけの、ただの種の保存欲求にだというのか?
違う。
私は法の首輪に繋がれて、涎を垂らしながらもお預けを食らっている状態などでは決してない。しかし法ではないとすれば、一体何が私の感情を変化させているのか。
制服女子に向かう感情を律しているのは、私自身の中に息づく別の存在に他ならない。それは良心であり、道徳心であり、突き詰めれば神と呼ばれる存在だ。
つまりこれは、事象の神格化が引き起こす一種の偶像崇拝なのだろう。
若さという神が与えた唯一不可逆的な価値観に対し、それを失いつつある者が感じる眩しさ、力強さ、生命の律動と、それらに対する畏敬の念が私を内面から縛り付けているのだ。
制服女子は、私自身の心に従い、今となってはおいそれと手を伸ばしていいものではない。。

そこで、ネットで読んだある言葉を思い出す。
「制服時代に制服女子と蜜月関係を結ぶ事がなかった者は、その後どんなの成功を収めようとも、その一点においいては一生の負け組なのだ」

そうなのだ。
私は自らが神の後光を浴びる天使だった頃、天使同士の戯れに興じる事が出来なかった。
そして天使ではなくなった今となっては、天使はただの遠い存在なのである。光に包まれ、私のような醜き存在に見向きもせず、ただ天使同士の戯れに勤しむ輝かしい存在なのである。
それはもはや取り返せない。
やり直す事など出来ない。
私は悔やんだ。
何もせず机に突っ伏して、時に男同士ゲームや漫画やエロの話で盛り上がっていたあの頃の自分を。
悔やみ、しかし悔やんでも変える事が出来ない現状を目の当たりにして、私の心は次第に吹雪の後の雪原のような静けさに包まれていった。

制服女子とは、数々の雪の結晶の集合体であり、時が経てば触れられないものへと姿を変えてしまう、この雪原に近しい。

そして、私は唐突に理解した。
私にとって制服女子とは、人間を超越した若さと女性性のイデア的な存在なのだと。
個人として存在するのではなく、総体として一つの完全なる制服女子へと統合されるものであり、街角で見かける彼女達は切り出されたほんの一部の花弁に過ぎないのだと。
制服女子のとは、数多の制服女子個人が集合し形作られた、紫陽花のようなものなのだと。
だから、私にとって制服女子の花弁を細部まで凝視する事は、その価値を貶めることにつながる。
彼女達は総体としての見て、初めて本当の価値を発揮する。
あくまでも私の中で、だが。

また制服女子が道の向こうからやってくる。
しかしすれ違う時、私はあえて彼女の顔から目を逸らした。
彼女の顔を知り匿名が崩壊してしまったら、その瞬間私の焦点は、制服女子という総体から少女自身へと移行してしまうからだ。

多分それが、制服女子を制服女子として保管する、最良の方法なのではないか。

世の中には制服女子の後光に当てられ、細部を覗き見ようとして、彼女達を傷付けてしまう輩が多い。なんと嘆かわしい事だろう。

彼らが覗き込んだ先に存在するのは、あくまでもその女性個人でしかない。法と、自らの心を犯してまで恋い焦がれた制服女子はその瞬間脆くも水泡に帰す事を理解してほしい。

制服女子は、眩しくて目を逸らしてしまう太陽のまま、古ぼけた田舎の商店街を照らしてくれればそれでいいのである。

今年の目標

超個人的な宣言ですが、今年私は「他人に興味を持つ」事を目標にします。

面倒くさがらないで、苦手な人間や、まったく共感を持てない人間に対しても、きちんと相手を知る努力をしようかと思います。

それはかったるい事ですが、自分を向上させる経験値の蓄積につながると思って。

こういう事を、リア充の方々は小さい頃から自然に積み上げて来たんでしょうね。
それが今の自分と、彼らの差。
俺も遅ればせながら、見習っていきたいですね。

人は人の集団の中で生きているわけだから、自分と関わる範囲くらい、きちんと把握していかなきゃならん。

変化の多い一年になりそうですが、頑張ります。

今年もよろしくお願い致します。
プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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