FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~⑰

第17話「限りある未来を」

熱せられたアスファルトに降り注ぐ夕立の匂いを纏った夏が、この町の空気や水、国道わきの緑地帯や水草が繁茂する小川や人の住んでいない寂れた民家の庭先にもゆっくりと染み入っていく。
アパートに隣接する個人商店の外に据えられた自動販売機でオレンジジュースを買い、その場でプルタブを開けて一口飲み込むと、爽やかな酸味が夏の鮮やかな太陽と重なった。

Tシャツにジャージ姿の僕は汗でずれる眼鏡を人差し指で持ち上げると、エアコンの設定温度を3℃下げた。数か月前は炬燵だった机の上には大学ノートが広げられている。

新しい曲が作れそうな気がした。

今まで作ってきたどの曲をも凌駕する、素晴らしくて最高の名曲が――

僕は自分の中に潜んでいる感情と対話する。今自分が一体何を感じ、何に強く心を動かされているのか――霧の夜道を懐中電灯で照らすように模索していく。現在のことや将来のこと、先輩たちへの尊敬の気持ち、正方寺に対する親愛の気持ち、清里珠美さんは――よくわからない。
そして、金谷ひまりさんへのこの気持ちは、一体何と言い現わしたらいいのだろうか。

一言で言い現わせないからこそ、僕は詞を作り、曲を作る。
遠く離れた親しい相手に手紙を書き綴るように、いくつもの言葉の集合体で一つの感情を形作ろうとする。
それは心を作り上げるのと同じことだ。
僕の中にある一つの感情を依代に、一つの心を形作っていく。それは一つの生命を作ることであり、一つの物語を作る事とも同義だと思う。
遥か昔に神様と呼ばれる存在が行った事を、規模の違いはあれど僕は大学ノートの上で行っている。
不思議な充実感がある。
この世界を作り上げたといわれている存在も、こんな気持ちだったのだろうか。

スマホの着信音が鳴る。
清里珠美『今夜どっか食べに行こうよ』
会話アプリのグループトークに書き込みがされている。この前のライブの後、珠美さんに強引に勧められて登録したものだ。本来は正方寺を誘う事が目的だったみたいだけど、正方寺とひまりさんの勧めで最終的には僕を含む4人のグループになった。
正方寺『暇だし、いいよ』返信が吹き出しで表示される。
清里珠美『えー二人っきり?(ハート)』即座に返信がある。
金谷ひまり『残念、私も行くよ』浮かれ出した友人をたしなめる様にひまりさんの書き込みが続く。
平均『更に残念、僕も行くよ』僕はそう返信した。

スマホをソファーの上に放り投げてふと思う。
僕たちがこんな風な時間をすごせるのは、あと一体どれくらいの間なのだろうか。
今という時間が無限ではなく有限であることを、僕たちはたまに忘れてしまいそうになる。
夏休みの初日は夏がいつまでも続くような気がしていた。しかし夏休みの最終日にそれは幻想だと思い知る。
そんな事を何度も何度も繰り返しているはずなのに、どうして僕たちは自分の存在が有限である事実を心に刻み込む事が出来ないのだろうか。

セミの鳴き声が聴こえる。

次々と地面から這い出しては一周間で死んでいくセミの姿に、僕は夏が永遠ではなく断続的な瞬間の積み重ねであることを実感する。

セミの声が一つ止まった時、一つの夏が終わる。

楽しまなくてはいけないな、そう思った。
後悔を残してはいけないな、そうも思った。

この限りある未来を――

スポンサーサイト

我が家のギター

我が家にはギターが3本あります。

賃貸&妻子持ちのため最近はめっきり弾く機会がないのですが、
たまにマジマジと眺めると、幸せな気持ちになります。
因みにギターの腕は素人に毛が生えたレベルですが…

長男「YAMAHA LL-6JS」
LL6JS.jpg
高校二年生の時にバイト代を貯めて買ったアコギ。
エントリーモデルだけど、学生の身分ではそこそこの価格だった記憶が…
5万くらいだったかなぁ…
高音が結構きれいに響いて、かき鳴らすと非常に心地いい。
大学卒業までの間、学祭ライブに路上――いろんなシーンで助けてくれた。
感謝してもし足りない。


次男「エピフォン レスポールStudio EB」
sutadio.jpg
社会人数年目、賃貸じゃギターが弾けないストレスを発散するため、
「エレキならアンプ通さなきゃ弾けんじゃね?」
と近くのハードオフで突発的に買ったエレキギター。
安物の部類に入るけどルックスは結構気に入っている。
低音があんまり鳴らない印象だけど、歪ませてギョンギョン弾く分には問題なし。
それにペグが少し緩いっていうかすぐチューニングが狂うけど、それもまた愛嬌。
自分に技術があるならば、色々改良してみたいギターではある。

三男「フェンダージャパン TL-71」
TL71.jpg
フジファブリックの志村さん、ナンバーガールの向井さんなど、
そのテレキャス弾いてるミュージシャンの方々に影響を受け、
少ない給料をこつこつ貯めて買ったエレキギター。
予想してたよりは優しい感じの、しかしテレキャスっぽいジャキジャキした音が素敵。
ああ、かっこいいよテレキャス。
このシンプルな感じがたまらないよテレキャス。
作り自体もしっかりしていていい感じ。
今後発表の機会があるなら、是非人前で弾いてあげたい、そんなギター。


うん、ギターっていいですね。

どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~⑯

第16話「まつりのあと・後編」

近くにあるからこそ気付けないものもあるのかもしれない。
地元民の私――金谷ひまりにとってこのお祭は、淀みなく流れる日常の風景に一瞬だけ映る一枚の写真のようなもので、その写真の裏にどれだけの人々の想いが書き込まれているのか、考えた事もなかった。
高校生のカップルが移動販売車でクレープを一つ買い、二人で分け合いながら食べている。そんな様子をぽけっと眺めながら、小さい頃の私はそんな恋に憧れを抱いていた事をちょっぴり思い出していた。

「よーし、みんな集まったかね?」杉田先輩が言う「そんじゃ俺はイベントの担当者と打ち合わせしてくるんで、ごっちんと女子2人は機材のセッティングを進めといて。男子2人は俺の車から楽器一式を運んでくること」
時刻は午前10時。私達のライブは11時からで予定されている。
あと1時間――私は今までにないほどの緊張を感じていた。
今まで何度もピアノの演奏会に参加したことがあるけど、今日の緊張はそれとはまた少し違ったものだった。演奏会は背筋がぴんと伸びるような真冬の朝みたいな緊張感だったけど、今日のそれは心に重たい雪が降り積もるようにどんよりとしている。緊張の中に占める不安の割合が大きいのかもしれない。私は自分のギター技術に全く自信がない。
でも、平くんが言っていた。
「楽しむ事が大事だ」って。
ライブっていうのは、そういうものなのかもしれない。演奏の良し悪しで評価されるのとは違う、どれだけ自分が楽しめるかって事が大事なんだ。
私の心は不安と開き直りの間でシーソーみたいに揺れている。
戸惑う私を置いてけぼりにして、時間だけは歩みを止めずに流れて行く。

そして、ライブは始まりの時を迎えた。

「えー、曇天大学の弾き語り部です。今日はお日柄も良くうんたらかんたら――」広場の一角が三角コーンで区切られ、そこに立てられたマイクスタンドの一つに向かって、杉田先輩が話している。
演奏は先輩達、平くんと正方寺くん、私たちの順番。
自分たちの番が来るまで、私たちは三角コーンの外で待機している。
「よってらっしゃいみてらっしゃい!」
杉田先輩の呼び声で、広場の一角に十数人の人だかりが出来始める。「んじゃ、やりますか」杉田先輩と五智先輩が頷き合い、演奏が始まった。
通行人が足を止める。
人だかりが綿飴みたいにどんどん大きくなっていく。
先輩2人の演奏の素晴らしさに、私は鳥肌が立った。
五智先輩が上手いのは知っていたけど、普段ギターを弾いてる姿を見たことがない杉田先輩がここまで上手いとは思わなかった。ギターだけの演奏にもかかわらず、音の繊維が織物のように折り重なって、とても深くて鮮やかな色合いを見せている。
「すげー……」隣に立つ珠美ちゃんがぼそっと呟いた。
「ほんと……」私もそれ以上の言葉が出なかった。
先輩方の発表は盛大な拍手と共に終わった。
最初数人だった人だかりは、今は数十人に膨れ上がっている。

「人は集めといた。彼らにお前らの音楽を聴かせてやれ」五智先輩が、マイク前に向かおうとする平くん達の肩を叩く。
2人は力強く頷く。

そして平くんと正方寺くんの演奏が始まった。
正方寺くんの歌声が集まった人々の間を縫って響き渡る。ギターを弾きながら、平くんハーモニーを響かせる。2つの声とギターの音色。
「正方寺くん、やっぱりかっこええなぁ」珠美ちゃんが変な方言でそう呟く。
「2人とも上手だね」私も頷く。

『あ、今? 今駅前。なんかライブっぽいのやっててさ。うん下手くそな騒音響かせてんの。ギターのやつなんか必死そうだし、俺の方が上手いんじゃね? ははは』

そんな声が聞こえた。

私は声のした方を振り返る。
若い男の人がケータイで誰かと話していた。
演奏している2人を見ながら、ニヤニヤと笑っている。

私は頭から血液が失われて行くような感覚を覚えた。

ここはピアノの発表会場ではない。
静かに座って、演奏後の一礼を拍手で返してくれるような、そういう場所ではない。
演奏をしっかり聴いてくれる人もいれば、騒音を耳に流し込まれた事に不快感を示す人だって大勢いるはずだ。
私は急に孤独を感じた。
自分の演奏など誰も求めていないんじゃないか、そんな孤独感。

2人の演奏が終わる。
平くんが笑顔で「楽しんできてね」と言ってくれる。そんな平くんに向かって私は上手く笑い返せていただろうか。今からの自分の演奏を楽しめるのだろうか。
マイクの前に立つ。
たくさんの視線が私たちを貫く。
でもそれは、好意的な視線ばかりではない。
さっきの男の人みたいに『下手くそだ』『騒音だ』ってあざ笑う、悪意のこもった視線もきっと存在している。
視線が暗い海の高波みたいに私たちに押し寄せてくる。
私は足が震えた。
言葉が出ない。
立っていられない。
肩を抱いてうずくまりたい。
もうここに居たくない。逃げ出したい。

いつの間にか、隣に平くんが立っていた。

「えー、この2人は弾き語り部の新人です。特にこの金谷さんは、ピアノの腕前はめちゃくちゃ上手いにもかかわらず、あえてギターを弾き始めた変わり者です。でも、それだけギターが好きなんです。その、ギターが好きって気持ちを、感じてください」

「僕に、金谷さんの演奏を聴かせてよ」そう囁いて平くんは人だかりの最前列、私の真正面に立った。
私の正面で平くんが笑っている。
平くんに向けて演奏すればいいんだ。
私の演奏を聴きたいと言ってくれた、平くんに向けて――
「ひまり、大丈夫?」珠美ちゃんが言う。
「うん」私は力強く頷いた。

  オシャレ女子が雑貨屋に駆け込むスピードで

  私は家を飛び出しました

  もう恋なんてしないなんてうそぶきながら

  人ごみの中であの人の後姿を探している自分が

  ばかばかしくて――

ところどころつっかかるギターを、珠美ちゃんのキーボードがフォローする。
私の声と珠美ちゃんの声が重なり合う。
平くんは楽しそうにリズムを取っている。
私も楽しい。
平くん、私も楽しいよ。

演奏が終わり、一礼してマイクスタンドを離れる。
「お疲れ。初めてにしては上出来じゃね」杉田先輩が親指を立てている。
「正方寺くん、私の演奏どうだった!?」珠美ちゃんの問いに「すっげーよかった! すっげーよかったよ!」と正方寺くんが興奮気味に返す。
「楽しい気持ちが伝わったよ」平くんが言う。
「うん、だってすごく楽しかったもん」私は心からの言葉を伝えた。

次の発表者のために急いで後片付けをしていると、知らないおばさんと目が合った。
おばさんはにっこりと笑う。
「さっき演奏してた子だよね。すごく上手だったよ」
思いがけない言葉に私は驚く「あ、ありがとうございます」
「ギター、がんばってね」
知らないおばさんはそう言って去っていった。
私は呆然とその後姿を見つめる。
なんだかよくわからない感情が胸の奥から込みあがってきて、私はその場から動けなくなった。
「どうしたの?」平くんが駆け寄ってくる。
「あの、おばさんが、知らないおばさんが、上手だったよって、言ってくれた――」言葉がぐしゃぐしゃに丸めた紙切れみたいだ「上手だったよって、ギターがんばってって、言ってくれたの――」
頬を温かいものが流れた。
無意識のうちに、私は泣いていた。
「よかったね」平くんはそう言ってくれた「金谷さんの演奏も、いろんな人に感動を与えたと思うよ」
「そうかな」
「うん、僕もその一人だし」
私は平くんの顔を見た。やさしい笑顔だな、と思った。

ふと、小さい頃憧れていた恋人たちの姿が思い浮かんだ。
なぜだろう。
のっぺらぼうだった相手の顔が、平くんの顔にに変わっていた。



ワースレスの夜明けに-第一章④

『人殺し』
 灰塚の口から放たれたその言葉は、真夜中の遠くはなれた国道から響くクラクションの音のようであり、黒い塊と化した木々の隙間から聞こえてくる名も知らぬ野生動物の雄叫びのようだった。現実というコーヒーに幻想のミルクを注ぎ込み、苦味をまぎらわした非現実の言葉として黒井の耳に染み込んでいった。
「何を、言っているんですか?」犀潟は問う。先ほどのように『冗談』の一言で一笑される事を期待し、懇願の視線を灰塚へと向ける。
 しかしその視線の意を汲み取ることなく灰塚は続ける。
「人を殺す、前途有望な可能性の塊を握りつぶす事に、キメセク以上の快感を覚える変態もいるんだよな。でも自分で殺っちまったら犯罪者だ。今まで積み上げてきたもんが脆くも崩れ去る。だからお前らみたいな何の価値も持たない人間に『替わりの人殺し体験』を代替してもらう。これで自分たちは安全で快適に、人殺しのM-Pを見ながら一人でオナれるってわけだ。まぁもちろん仲介の俺らとしては、お前らがサツに捕まって足がつくとまずいからな、可能な限りの隠蔽工作はさせてもらう。お前たちはただ安心して、人を殺してくればいいんだ」
 黒井は今朝報道されていた『行方不明者続出』のニュースを思い出していた。M-Pが一般に出回るようになってから、国内の行方不明者数は少しずつ、しかし確実に増加傾向にあるらしい。その原因の一端には、こうした営利目的の組織的な神隠しが含まれているのかもしれない――暗い穴へと刺し込んだ右手の先を、中に潜む獣に噛み付かれたような鋭い痛みを前頭部に感じ、黒井は右手で頭を抑えた。
「いけませんよ、人殺しなんて、出来ません、私には、できません」犀潟はうわ言のように呟く。
「ほんと、君たちは優しいんだね」灰塚は目を細め笑った。天井から吊られた小さな電球の明かりが彼の顔に不気味な陰影を作る「でもさ、君たちも時々感じるだろう。この世界の理不尽さ、不平等さを、ね」今までの威圧的な声から一変し、不気味なまでの猫なで声だった「幸せの総量ってさ、みんなが一定であるべきだと思うんだよ。今幸福な人間は、過去や未来のどこかで絶対帳尻を合わせるべきなんだ。だってそうじゃなきゃあまりに不公平じゃないか。君たちはどうだい。過去から今に至る間に、幸せを感じられる瞬間が一体どのくらいあった? それは裕福な家庭に生まれ、若い頃からもてはやされ、たくさんの人に助けられ、年収の高い就職先と美人の奥さんを得て、欲しいものを何でも手にいいれてきた――そんな恵まれたやつらの幸せと比較し、本当に吊り合っていると思うかい? 僕は何も無作為に人間を殺して来いって言ってるわけじゃないんだ。これは『帳尻を合わせるべき人間に対して、君たちの手で帳尻合わせをしたらどうか』って提案なんだよ。君たちは今まで世間から虐げられ、辛い思いをしてきたんだ。だから今こそ帳尻を合わせて、金も、幸せも手に入れるべきなんじゃないかな?」 
 黒井と犀潟は灰塚の言葉に聞き入っていた。
 その提案には、先ほどまでの威圧的なものとは違う甘美な魅力があった。
 自分たちの主張を代弁してくれているような、そんな心地よさがあった。
「犀潟、君の奥さんの心を奪ったM-P――それに登場する脂にまみれた幸福の塊みたいな男たちが、今この瞬間にも複数の女の甘い思い出を作っているんだよ。そして彼女たちのM-Pが、将来君のようなかわいそうな人間を生み出して行く。君は憎くないかい? 何の不自由もなく好き勝手に生きて、様々な女性を虜にするのに飽き足らず、君のようなかわいそうな人のほんの些細な幸せですら、根こそぎ奪っていく恵まれた奴らが、君は憎くないかい? 彼らを憎いと思う気持ちは、正しい感情だと僕は思う。だから君のような被害者を少しでも減らすために、そんなやつらには少しでも早く『帳尻合わせ』をしてもらうべきなんだ」
 妻の話題を出した時、犀潟の目が明らかに変わったのを黒井は感じた。
 恐怖と戸惑いは色を無くし、そのかわりに怒りの色が滾っている。
「君は、憎くないかい?」灰塚が再度尋ねる。
「憎いです」犀潟ははっきりと答えた。
 灰塚は満足そうに笑うと、今度は黒井の方を向く「君にはまだわからないかもしれない。でもこれは灰塚を助ける事にもつながるんだ」そして何度も頷く。
 黒井はわからなくなっていた。
 灰塚の言葉は確かに、ふかふかのパンケーキに甘いシロップをたっぷりと垂らすような、空腹の食欲を否応なしに引きずり出す暴力的なまでの魅力があった。
 しかし、それでいいのか。
 この蠱惑的な魅力に流され、自分の体内へ取り込んでもいいのだろうか。
 しかし黒井は疲れていた。
 だからこれ以上考える事を放棄した。
 灰塚につられて頷くと、それを彼は肯定ととらえたのか、死んだ豚のような笑顔を更に露骨に歪ませ、深く一度だけ頷いた。
「交渉、成立って事でいいかな」
 2人は異を唱えなかった。
 灰塚は鞄から書類を二枚取り出すと、2人の方に向けて机の上に並べた。履歴書のようなその書類には、顔写真と住所などの個人データが印刷されている「それじゃ早速だけど、君たちにはこの2人をお願いしたいんだ。犀潟はこっち、黒井はこっちがいいかな」
 犀潟の前に置かれた書類には、顔立ちの整った上品な男の写真が貼られていた。黒井が本能的に劣等感を覚えるタイプの人間だ。そしてそれは犀潟も同じだろう。
 黒井の前の資料には若い女性の写真が貼られていた。
 どこかで見た顔のような気もするが、この年頃の美しい女性の顔を自分は見分けられない事に思い至り、その既視感は無視した。
 犀潟の表情には決意が見て取れた。
 黒井の表情にはまだ戸惑いが残っている。
 それを悟ったのか灰塚が黒井を見て言う「難しければやらなくてもいいよ。僕に連絡して『無理です』と告げてくれるだけでいいから。ただし、間違っても警察とかに駆け込んだらダメだよ。君みたいな人間を殺しても、僕たちには一文の得にもならないから。お互い、割に合わない事はしないようにしよう」

 その後、数枚の書類に目を通し、サインを済ませた。
 契約に則り、指定された相手を葬れば、その数に応じて現在のMVに指定金額が上乗せされる。
 殺す方法は特に問わない。試行錯誤の末に得られる結果の方が、M-P購入者は満足する傾向にあるから。
 やめたければいつやめてもいい。ただしこの件については口外してはならない。口外した場合は相応の処罰を下す。2人と灰塚の会社を繋ぐ糸や証拠は実際のところ何もない。たとえ無謀な正義感で警察に駆け込んだところで、それに対して白を切るための準備はあるし、結局は死体がまた一つ増えるだけの結果になるだろう。

 書類をクリアーファイルの仕舞った灰塚は、タバコを一本吸ったあと会計を済ませて出て行った。2人の分の会計も済ませてくれたのは、彼なりの気遣いなのだろうか。

 黒井と犀潟は連絡先を交換した。
 2人とも不安だった。同じ境遇の仲間との繋がりを切に求めていた。

 店を出る時、黒井は店のマスター――雪森瞳と目が合った。哀れむような視線を彼女は黒井に達に向けている。先ほど灰塚が話した『冗談』の話が頭を過ぎり、黒井は耳が熱くなるような感覚を覚えた。そして、その冗談が本当に全て冗談だったのか、そんな直感的な猜疑を覚え、そんな自分を戒めた。
「あの」黒井が口を開く。
「何か?」雪森は手元のグラスを磨きながら答える。
「また、来てもいいですか」黒井も彼女から目を逸らし、壁に掛けられた古い時計をなんの気なしに見ながら言った。
「もっと注文をくれるならね」雪森はぶっきらぼうに答える。

 そして黒井は店を出た。
 外の風は冷たく、凍っていた時間を打ち壊すように、ドアについたベルが乾いた音を響かせた。
プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。