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どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~⑮

第15話「まつりのあと・前編」

「ライブへの参加が決まったぞ」五智先輩が言う。

それは部室棟の外に立つ桜の木が新緑を湛え、柔らかな木漏れ日が白い外壁をモノトーンに染める夏の初め。いつものように部室に集まった僕たちを前に、五智先輩は唇の片端を上げてニヤリと笑う。
普段通りの低く渋いその声によって、僕たちの普段はまた少し色を変える。

「ひまちゃんやタマもそこそこになってきたし、そろそろライブを経験させとくべきかなと思ってね。今度の地元祭りの学生サークルライブ枠に、俺に方で申し込んどいたんだよ」珍しく先輩らしいことをしている自分に酔っているような様子で、杉田先輩は右手の親指を立てる。
僕らの大学がある市の催しとして、数日後に駅前の広場を開放したちょっとした催し物があるらしい。市外からの集客が見込めるような大それた催しではないけれど、市内飲食店の移動販売車が集まり、市の特産品なんかが並び、近隣の学校や音楽教室、ママさんサークルなんかの音楽発表が行われる。
僕たち弾き語り部門は、その催しへの発表参加枠を得たらしい。

「わ、わ、わたし、まだ早いですよ!」最近やっと『にゃこ禅』の代表曲『ゆるかわ女子がオシャレ雑貨屋に駆け込むスピード』を弾き語れるようになってきたひまりさんが顔の前に出した両手をジタバタと振る。珠美さんのキーボードは流石本職という事もあって何の問題もないのだが、初めてのギターに悪戦苦闘しているひまりさんは、まだ自分の演奏に自信を持てていないようだった。
しかし僕から言わせるとひまりさんの上達は目を見張るものがある。
やはり元々の音楽的なセンスがずば抜けて優れているのだろう。
そして杉田先輩が言うように、人前で演奏してみる事で初めて得られる事もあると思うし、それがないと次のステップにいけないレベルに、ひまりさんは達しつつあるとも思う。

「今回は他のグループとの兼ね合いもあるから、3組で1曲ずつになりそうだ。俺とごっちんで1曲、平ちゃんとほーじくんで1曲、ひまちゃんとタマで1曲かな」

杉田先輩と五智先輩はオリジナルのギターインスト曲になった。五智先輩の演奏技術については語る必要もないし、杉田先輩がめちゃくちゃ上手い事はこの前のライブで実証済みだ。
ひまりさんと珠美さんは、やはり今一番弾ける『ゆるかわ女子』を演奏する事になった。
僕たち2人は――悩んだ挙句『ダケファブリック』の曲に決めた。ちなみにダケファブリックは3人組ロックバンドだが、メロディアスな曲調は弾き語り形式で演奏しても遜色ないほど音楽として完成されている。原曲はキーボードパートがあるのだが、そこは僕のブルースハープで代用する事にした。珠美さんに頼むという手もあったが、僕たちだけでどれだけ完成された音楽を奏でられるのか試してみたいとの思いもあり、敢えて2人だけで演奏することにした。正方寺はボーカルに加えドラム代わりのタンバリンを叩く。

そして、本番に向けた練習の日々が始まった。

そんなある日、講義の合間に学食の隅で本を読んでいた僕の向かいの椅子に、誰かが座った。
顔を上げるとそこには、よそよそしい様子のひまりさんがいた。
「どうしたの?」本を閉じて僕は問う。
「平くんに、相談があって……今、いいかな?」ひまりさんの声は、昼すぎの閑散とした食堂に響く誰かの笑い声にすらかき消されるほど弱々しく、疲れ果てた子犬のようにテーブルの上を転がった。
「うん、僕でよかったらのるよ」僕の気持ちは学食に2人向かい合って座っているというシチュエーションに高揚していた。しかしそれを悟られまいと、出来る限り冷静を装って答える。
「私、自信ないんだ、今度のライブ」ひまりさんはぽつぽつと語りだした「私、まだまだ人前で演奏できるようなレベルに達してないよ。ギターだって毎回間違えちゃうし、困難じゃ見てくれる人を嫌な思いにさせちゃうよ。平くんはどう思う? 私の演奏、問題ないかな?」
「金谷さんはすごく上達してると思うよ。僕が始めてライブした時なんか、ステージの上で固まっちゃって全然演奏できなかったんだから」
「でも、でも、どうしよう」
そんなひまりさんの様子を僕は意外に思った。ひまりさんは珠美さん以上のピアノの腕前で、発表会での演奏も数多く経験していると(珠美さんから)聞いていたから、市の催しの程度でここまで絶望的な表情を見せるなんて思ってもいなかったのだ。

「私、ぜんぜん上達なんてしてないよ」
しかし、そう呟くひまりさんを見ていると、僕はその不安の正体が見えたような気がした。

つまり、彼女のピアノの腕前は完璧すぎるのだ。
彼女は全くミスがない、ミスに転じる要因すら皆無な状態で、数々の発表会で演奏してきた。他人に音楽を聴いてもらうとは、そういう事だと認識している。
だからこそ恐いのだ。
不完全な状態で人前に立つことが。

しかし、それは大事なことではないと僕は思う。
僕だって、上手い演奏でみんなに感心してもらいたいし、そのレベルの腕前になる事を目指して練習している。でも、そこに至るまでも、そしてそこに至ってからその先へ進む場合も、大事なことは一つしかないのではなかろうか。

それは人が砂漠を歩き続けるために必要な、澄んだ一杯の水のようなもの。

「5月ごろかな、弾き語り部の4人でライブやった時に、杉田先輩が言ったんだ」僕は照れで頬を掻きながらいう「『大事なのは、ギターってめちゃくちゃ楽しいって事だ』ってさ」
「めちゃくちゃ、楽しい」ひまりさんはキョトンとした様子で僕の目を見つめている。
そこに嘘やごまかしの色が無い事を感じ取ったのか、その表情に少しの明かりが射した。
「上手く演奏しようなんて、考えなくていいんだよ。楽しそうに演奏する事が、見てる人に一番感動を与えるんだと思うよ」

あの時、あの言葉で、あの会場は確かに一つになった。

それが、答えなのだと思う。

「ありがとう、平君」ひまりさんはいつもの笑みを取り戻していた「なんだか、元気が出てきたかも」
「まぁ僕も先輩の受け売りだし」あははと笑う。
「ごめんね、読書中に。じゃあ、私いくね。みんなに誤解されたら平君に悪いから」そう言うとひまりさんは周りを見渡す。確かに、リア充に対する怨念のような視線が一部テーブルから伝わってくるような気もするが――僕は全然嫌じゃないんだけど。

「また部室でね」

ひまりさんがいなくなってからも、僕は本を読む気分になれず、ガラス張りの向こうの中庭に見える一本の木の太い幹をぼんやりと眺めていた。
自分を頼って相談してくれた事が嬉しかった。
『ありがとう』と言った彼女の笑顔が嬉しかった。
初めて会ったとき、ギターを直した時にも、彼女は同じ笑顔を見せてくれたような気がする。
多分あの頃から既に、僕は『それ』に心を奪われていたのかもしれない。

そして、ひまりさんと珠美さんにとって初めてのライブの日が訪れる――


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No.16 ウリハムシ

10月の初め。

「なんか変な虫がいっぱいついてるよー!」

ベランダで洗濯物を干していた妻が僕を呼ぶ。

うちのベランダには、前のアパートで「タイヤ置きの台」として使っていた瓶ビールのケースが、責務を解かれた窓際社員みたいに所在無げに座り込んでいる。

ビールケース

その中に、いた。

ウリハムシが10匹前後、黄色い骨組みにへばりついている。

ウリハムシ

ウリ科の植物を食害する害虫として知られているが、その容姿は愛らしく、農業に携わっていない身としては『かわいい虫』の認識が強い。

洗濯物にくっついてきてるのか、部屋の中でもたまに歩き回っている。

「びっくりしたから振るい落しちゃったけど、最初はもっとついてたよ」

なに、余計な事を! もっといっぱいついてる状態、俺も見たかった!

「風が強いから、ここに非難してたのかなぁ?」

うーん、テントウムシの類なんかは物陰に集まって越冬するし、気温の低下に影響されて集まってきたのだろうか? 知識が浅いので良くわからない(後に調べたところ、やっぱりそうっぽい。しかし時期的に早い気もするけどなぁ)

「こんなふうにいっぱいくっついてると、愛嬌あってかわいいよね」

僕が言うと、妻は心底見下したような目を夫に向けるのだった。

仕事つらい

うん、仕事つらい。

最近は特につらい。

普段の自分から、仕事の自分が切り離されて、糸の切れた風船みたいにふわふわと浮遊している。

地に足がついてない感覚。

自分の意思とは関係なく、ただ流されていくだけの無力感。

細い針の一突きで破裂しそうな不安定さ。

仕事は孤独だ。

周りの皆は、何かあれば躊躇なく俺を切り捨てて行くだろう。

そうならないために必死で頑張る。

しかしすぐ後ろには、カイジに出てきそうな闇の世界が広がっていて、俺を飲み込もうとする。

しかし、俺が飲み込まれたら妻や子供はどうなる?

走らなきゃいけない。

心臓が破裂して、脚の骨が砕けても逃げ切らなきゃいけない。

――そんな強迫観念に駆られている今日この頃。

頑張ろう。

とりあえず、何も考えずに、ただ前だけを見て頑張ろう。

どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~⑭

第14話「居酒屋、22時」

滴る蜜のようにしっとりと振り続ける雨が、ほんの少しだけ夏の匂いを含み始めた6月の終わり。僕たち弾き語り部門の6人は駅前の居酒屋の一室でテーブルを囲み、新入部員歓迎会という名の飲み会を繰り広げていた。
僕は4杯目の生中を胃に流し込み、化学調味料の効いた浅漬けのキュウリを齧った。隣の席では正方寺がカルアミルクを舐め、その更に隣では五智先輩が日本酒のお猪口を傾けている。五智先輩と向かい合って座る杉田先輩は、五智先輩の徳利を掴むとさっきまでワインが入っていたグラスに注ぎ始めた。その隣では清里珠美さんが正面に座る正方寺の顔をうっとりした様子で眺め、僕の正面では金谷ひまりさんがニコニコ笑っている。
時刻は22時。
皆の顔がアルコールで程よく火照っている。
「てゆうか、杉田先輩ってあんなにポテチ食べてんのに、なんで全然太ってないんですか? あたしそれが納得いかないんですけど」珠美さんが問う。
「代謝がいいからじゃねーの?」フライドポテトを齧りながら杉田先輩は応える「ダイジョウブダヨ、タマチャンハ、ヤセテルカラ、ダイジョウブダヨ」
「何それひでー! 心こもってないし! 五智先輩、何とか言ってやってくださいよ!」
「基礎代謝を上げるためには、まず運動をして筋力をつけることから――」
「真面目か!」
そんなやりとりを嬉しそうに眺めるひまりさん。そんなひまりさんを何とも形容しがたい複雑な感情で見つめる僕。財布の中には、この前ひまりさんもらったピックがしまわれている。
ひまりさんの髪が揺れる。
僕の心も揺さぶられる。
この針の先端に両手を広げて立っているみたいな、足元の覚束ない不安定な感情が気持ち悪くて、新たなジョッキを半分ほど一気に飲み干した。
「おい平、ペース早すぎじゃねえか?」正方寺が言う。
「そんなことない、ぜんぜん、そんなことない」割り箸の先でキュウリを突付く。掴もうとして、上手く掴めない。割り箸の先がそろっていない。なんだこれ、おかしいぞ。
「平君、大丈夫?」かわいらしい声が僕の名をささやき、割り箸の先で踊るキュウリが宙に浮かんで僕の取り皿の上に着地する「はい、どうぞ」
気付けば、ひまりさんが前かがみになっていた。
ゆったりとした服の胸元が口を開けている。
何かが見えそうで、見えない。
ああ、何をしているんだ僕は!
頭の中が真っ赤に染まって行く――

「ていうか、あたし太ってないですし。これは胸ですから。ただの巨乳ですから」
「ちょっと珠美ちゃん、それ脱ぐのはさすがにだめだよ!」
「いいぞー、もっとやれー!」
「やめなって清里さん、杉田先輩も煽りすぎっすよ」
「ごめんね正方寺くん、これは正方寺くんのものだもんね」
「いや、違うから!」
「あ、お前たち2人、もうそんな関係だったのか……?」
「いや五智先輩、真面目か!」
「あたしは、いつでもいいよ」
「やめなよー珠美ちゃん」
「そういうひまちゃんは、好きなやついんの?」
「え、あ、私は、いないですよ」
「つまらん青春だねぇ。それはいかんよ」
「いいんです、そういうのは焦らなくても自然に任せるものじゃないですか?」
「うむ」
「なに頷いてんだよごっちん」
「杉田先輩と五智先輩は、彼女いないんですか?」
「うるせーよ、いねーよ」
「いない」
「けけけ、先輩も寂しい青春っすねー」
「なんだとタマ。俺にとってはな、お前たち部員一同が恋人みたいなものなのさ」
「うげげ」
「なんだよその反応! ほーじくんも、何その表情」
「杉田先輩、さすがにそれはキモイっす」
「ええー!」
「うむ」
「なにさっきから頷いてんだよごっちん」
「いや、杉田の言う事も一理あると思ってな。今の俺達には、この部が恋人なのかもしれない。他に何も考えられないくらい、一途に思う相手だ」
「いきなり語るねぇ」
「最初は俺たち2人だった。そこに平が入り――平が正方寺と、金谷や清里を連れてきた。不思議な連鎖だな」
「まぁ、平ちゃんは、どこか人を引きつけるもんがあるのかもしないな」
「ていうか、さっきから平くんしゃべってなくない?」
「おい平、どうした?」
「――寝ちゃってるみたいですね」
「結構飲んでたからね」
「しゃーない、そろそろお開きにすっか」
「おーい平、起きろー」
「――起きねーな。平ちゃんにタクシーでも呼ぶか?」
「あ、私付き添います。平君のアパート、通り道なので」
「すまんね」
「それじゃ、お疲れっす。金谷さん、平よろしくね」
「ひまり、襲われないようにね!」
「あはは、それはないって」
「タクシー代はあとで部費から出すから、領収書もらっとけ」
「そんな予算ありましたっけ」
「この前、手に入れた」
「それって、また卓球部副部長を脅すネタっすか……?」
「ふふふ」
「ぎちそうさんでーす」

「――ふう」

「平君、起きてる?」

「寝てるよね」

「みんなも言ってたけど、今この部活があるの、平君のおかげだよ」

「私、色々あって、ピアノやめようと思ってたんだ。そんな時におじいちゃんが死んじゃって、つらくて――音楽自体が嫌になりそうだった。でも、平君がギターを直してくれて、素敵なおじいちゃんの音を聴かせてくれて、だから私、また音楽やりたいって思えたの。今度はギターで、素敵な演奏ができるようになりたいって、そう思えたの」

「平くんは、私の恩人なの」

「私、なんだか恥ずかしい事いってるね」

「起きてないよね? 寝てるよね?」

「あ、タクシー来たみたい。起きてー!」

体が揺さぶられる。
甘い匂いがする。リンゴみたいな、甘く優しい匂いが。
長い髪が揺れるたび、甘い匂いがする。

気付けば僕はタクシーの後部座席に座っていた。頭ががんがんするが、吐き気は何とかやり過ごせそうだ。
隣には心配そうな顔のひまりさんが座っていた。
唐突なそのシチュエーションに僕は戸惑う。
「あ、目が覚めた? よかった」
「僕は何を――」
「今タクシーで平くんのアパートに向かってるとこだよ。私は付き添い」
「え、あ、そうなの? ありがとう」
「ううん」
そう言って首を振る彼女のはにかんだ表情が、窓から差し込む常夜灯に照らされた。その顔には雲の切れ間から覗く月のような温かさと美しさが同居していた。
「あの――」僕が次の言葉を指先で摘み、彼女の小さな手のひらへ投げ込もうとしたその瞬間、タクシーは僕のアパートの前で停車した。
「おやすみなさい」彼女が笑う。
「おやすみ、なさい」摘んでいた言葉を握りしめて隠し、僕も笑った。

どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~⑬

第13話「楽器店へ行こう」

僕と正方寺、それに金谷ひまりさんと清里珠美さんは吊革につかまりながら4人並んで車窓の外の流れる景色を眺めている。
『ギター始めるならメンテナンス道具も必要だろうし、楽器店に行って色々と買い揃えてやれよ。あ、ついでに俺のギターの弦も3セットほどお願い。安いのでいいから』堅あげポテトを片手に下されたリーダーの指示に従い、僕たち4人は繁華街の駅ビルの中にある島本楽器へと向かっていた。
土曜日ということもあり、電車は繁華街に近づくにつれ着飾った人々をどんどん飲み込んでいく。終着駅についた時それらは怒涛のように吐き出され、駅のホームを鮮やかな色合いで埋め尽くすのだろう。
それにしても、女の子と買い物に行くなんて初めての経験だ。
正直、僕は緊張していた。
そしてそれは正方寺も一緒だろう。こいつも見た目はイケメンなのに、心は僕と同じチェリーボイなのだから。
「あー、正方時くん見てえ! おっきな陸橋があるよう!」ちゃっかり正方寺の隣を陣取った清里珠美さんが、いかにも声を裏返してますよ、ってな具合の猫なで声で正方寺に媚びを売る。地元民のくせに今更『おっきな陸橋』もなにもないだろうに。
僕、正方寺、清里珠美さん、金谷ひまりさんの順で並びながら、僕は心の中で悪態をつきつつも『昼飯は何をチョイスすればいいのだろうか』と真剣に考えていた。正方寺と二人で出かけるときは牛丼屋かラーメン屋やコンビニおにぎりが定番になっていたが、そんなところに連れてった日には清里珠美さんに『これだから童貞は……』みたいな目で見られるに違いない。

僕の苦悩をよそに、電車は軋みを上げながら終着駅へと止まった。

「わーっ! ギターがいっぱいありますね!」金谷ひまりさんが感嘆の声を上げた。女性陣二人はピアノの楽譜を買いに楽器店に来たことは度々あるらしいが、ギターコーナーに赴くのは当然初めてのようだった。
「値段もピンキリなんだな」僕に対してはあくまで素の清里珠美さんが、ギターにつけられた値札を見ながら呟く。
「初心者用は1万円以内で買えるからね。そこそこのもので5~10万、本気でやる人だと10万以上のギターを使っているんじゃないかな」僕も浅い知識を総動員して彼女たちの質問に答える。
「あ、このギターは穴が開いてないね」と金谷ひまりさん。
「これはエレキギターだよ。あの真ん中のピックアップってところで音を拾ってアンプで出力するんだ。これはレスポールってタイプのギターだね。元々はギブソンの一部ギターの固有名詞なんだけど、他のギターメーカーも同様のモデルを出してるんだ。それはあくまでもレスポール『モデル』なんだけどね。五智先輩のギターもギブソンのギターだよ」
「あれは?」
「あれはテレキャスターだね。フェンダーの作った工業的エレキギターの先駆けみたいな存在だけど、今でも定番のギターの一つなんだ」
「てか、あのギター長くね?」と清里珠美さん。
「あれは普通のギターじゃなくてベースギターだよ。低音パートを刻むギターなんだ。ほら、弦が4本しかないでしょ?」
「あ、あのギター私のと同じ?」と再び金谷ひまりさん。
「うんそうだね、あれも金谷さんと同じYAMAHAのギターだね。YAMAHAはいいよね、安心感があって。あのギターは金谷さんのとちがってサウンドホールにピックアップがついているんだ。エレアコってやつだね。アンプを通して音が出せるんだ。いいよねー欲しいよねー」
「――平さぁ」清里珠美さんが眉を顰めて僕を見る「いきなり饒舌になって、なんかキモイ」
そりゃないんじゃないか、と僕は内心泣きたくなったが、顔に張り付けた笑顔は崩さない。

「お客様、もしよろしければ弾いてみますか?」

来た! と僕は身構える。
楽器店でギターを見ていると必ず発生する店員の『ちょっと弾いてみます』シチュエーション。そりゃ弾いてみたい。弾いてみたいが、楽器店の中でギターを鳴らすのにはものすごい度胸がいる。なぜなら楽器店に来ているほとんどのギタリストは『めちゃくちゃ上手い』からだ。そんな人たちがたむろしてる中で僕がショボいコード弾きなんてやらかしちゃったら、彼らも失笑を禁じ得ないこと請け合いだ。ものすごく恥ずかしい目に合う。だいたい試し弾きをしてる人たちなんてみんなどや顔で、どれだけ難しいギターソロが弾けるかを競い合っているように見える。これは僕の勝手な思い込みだけど、当たらずとも遠からずといったところだろう。
僕がまごついていると「あ、俺たち初心者なんで見るだけで十分満足です。お気遣いありがとうございます」と正方寺がにこやかに退けてくれた。ありがたい。

「とりあえず予備のギター弦を買っていこう。種類は色々あるけど、こんな風にセットになっているものがいいよ。弦の張替は基本まとめてやるべきだと僕は思うんだ。金谷さんのギターは今ライトゲージを付けているから同じのでいいんじゃないかな。押さえるのがきついようならもっと細いエクストラ・ライトもあるよ。あ、そっちの方がいいか、なるほど。それと練習用の弦はこのセット500円の安いやつでいいと思うよ。初めのうちは弦を切ったりも多いだろうから質より量だよ。あとは――ギターの指板の清掃用にこのスプレーを買っておくと便利だよ。練習後にこれをスプレーしてふいとけば弦のもちもよくなるし。あ、ボディ磨き用にこのオイルも買っとこうか。それと、このカポタストって道具も持っておいた方がいい。どんな時に使うかは後で教えるから。で、これは弦を替えるときにペグを回すやつ。これあると弦の張替えが格段に速くなる。それと、ここにピックがいっぱい置いてあるから、つかんだりしてみて手になじむやつを買っていくといいよ。あ、メインで使いそうなピックは複数枚買っておくのがお勧めだ。結構無くしやすいからね」

「――うわっ、やっぱりキモッ」清里珠美さんが呟く。
聞こえていたが、聞こえていないふりをした。

楽器店を出る頃には、僕はすっかりへばっていた。
久しぶりに人前であれだけの言葉をしゃべったのだから当然といえば当然だ。頭の中では常々独白を繰り広げている僕だが、実際にしゃべるとなると体力の消耗が半端ない。
これから彼女たちのご機嫌取りにオシャレでナウでヤングな飯屋を検索しなければいけないと思うと気が滅入る。
時刻はそろそろお昼を回ろうとしていた。

「じゃ、こっからはあたしたちが仕切りますか」
清里珠美さんの予想外の発言に僕は項垂れていた頭を上げた。
「え、仕切るってなに?」
「決まってんじゃん、昼飯だよ昼飯」清里珠美さんは『あんた馬鹿か』といった表情で僕を見る。そして急に猫なで声になり「正方寺君はどんなのが食べたい?」
「今日は二人に色々と手伝ってもらいましたから、お昼は私たちがお勧めの店を紹介しますよ。地元民なんで色んな店を知ってますから、任せてください」金谷ひまりさんはわざとらしく胸を反らせて自信満々の様子。
「俺は、何でもいいけど――」決めかねてそう返す正方寺。
「なら、あたしたちのよくいくパスタ屋をにしよっか」
「そだね! そうしよう!」
「ほら、正方寺くん、こっちこっち」先頭を切って歩き出す清里珠美さんと、その手に引っ張られ前のめりに歩き出す正方寺。その二人を追って駈け出そうとした僕の左手の袖を金谷ひまりさんがつかんだ。
「あのこれ、さっき楽器店で買った平君のピックです。今日は色々教えてもらえたから、そのお礼――」
「ひまりー早く来なよー」
「あ、うん! 平君も急ごう!」
 駈け出す金谷ひまりさんの後姿を茫然と眺める。
 小袋を透かして見ると、中に今流行りの某ゆるキャラの形をした使いづらそうなピックが数枚入っていた。おそらく演奏で使うことはないだろうけど、一生大事にします。
 3人を追って走り出した足は、やけに軽く感じられた。

どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~⑫

第12話「彼女たちの事情」

「えっと、G」じゃーん
「C」じゃーん
「F…」ぱぱぱすっ
「あーもう、どうしてもFが弾けない!」ギターを抱えたまま腰かけていたベッドに倒れ込むひまり。あたし――清里珠美はベッドの上に置かれたギターのテキストを拾い上げて目を通す。
「親指は立てるんだってさ。あと指は心持ち側面で押さえるんだと」
「そんな事わかってるよぉ」ひまりは指を一本ずつ弦の上に乗せFコードの形を作る。腕に余計な力が入っているのは素人のあたしにもわかる。ピックが弦を弾くとアルデンテのパスタみたいな歯切れよい音がして、ひまりは牧場でお乳をねだる仔牛に似た声で「もー」と鳴いた。
ひまりの部屋はぬいぐるみやら少女漫画やらバカでかい抱き枕なんかで溢れている。でも無造作に散らかってるわけではなく、すべてが何かしらのテーマに沿って調和が取れているようにも感じる。そのテーマを言葉で表すなら「女の子」って単語がぴったりだろうか。
その部屋の中で異彩を放っているのが黒い電子ピアノだ。
ひまりんちはいわゆる「音楽一家」ってなやつで、家族全員が何らかの楽器を特技としている。そういう家庭の雰囲気ってのもあってひまりは幼いころからピアノを習っていた。小学校でひまりと仲良くなったあたしも、ひまりに影響されてピアノを習い始める。
今ではそこそこの腕前になったと思うけどやっぱりひまりには敵わない。
そんなひまりが今度はじいちゃんの形見のギターを弾き始めるっていうんだから、あたしは何となく「もったいない」ような気がしていた。あたしはひまりに追いつくため一生懸命ピアノを練習しているのに、遥か先を行くひまりはあたしがうらやむその技術を躊躇なく引き出しにしまい込んで、別の技術の習得を始める。
なんつーか、敵わねーなと思う。
「珠美ちゃん、私決めたよ」再びベッドに横になったひまりが天井を見つめている「私、弾き語り部に入って、ギターを教えてもらう」
「マジかよ」なんとなく予想はしてたが、あたしは呟く。
「だからお願い、珠美ちゃんも一緒に入って」ひまりが左手を、ベッドに寄りかかっているあたしの方へと伸ばす「一人じゃ心細くて」
「なんであたしまで――」そう言ったところで、弾き語り部のイケメンさんの顔がちらりと浮かんだ。あの人と同じ部に入るってのは、考えようによってはおいしい話なんじゃなかろうか。恋愛、友情、勉強、バイト、面倒くささ、色んなものを天秤にかけた結果、あたしの意思はほんの少しだけ「入部」の方に傾いた。
「まぁ、とりあえず一緒に部室までは行ってやるよ」そういって伸ばされたひまりの手を握る「てか、その体勢、人にものを頼む格好じゃなくね?」
ベッドから上体を起こし、ひまりはえへへと照れ笑いを浮かべた。

そんなこんなで今に至る。

「二年の金谷ひまりです。ギターを弾けるようになりたいです。初心者ですがよろしくお願いします!」
ガチガチに緊張したひまりの自己紹介を受けて、あたしも何だか自己紹介をしなきゃいけないような流れになる。
「二年の清里珠美、です。えっと、楽器は、ピアノがそこそこ弾けるかな。よろしく」横目でイケメンさんを見ると、彼は茫然とした様子であたしたちを見つめていた。
ていうか部員全員が、真夏の雪でも眺めるみたいに茫然としている。
なんだこれ。

「あ、え、あー」ポテチの袋を持った細目で長身の男が何か言おうとしている「えー、君ら、ここがどこかわかってる? 残念ながら軽音楽部ではないよ?」
「はい! 弾き語り部門ですよね! ドアのガムテープに書いてありました!」緊張のせいか無駄に威勢のいいひまり。
「え、あの、マジで入部すんの?」
「はい!」
「あ、あのー、えー」細目で長身の男は、眼鏡で特徴のない顔立ちの男を見る。どこかで見た顔なような気もするが、思い出せない「平ちゃん、なんかさっき知り合いっぽいこと呟いてなかった? なにこれ、どういうこと?」
「私、この前そちらの平さんにギターを直してもらいました!」ああ、この前ギターを直してくれた人か、あたしは人知れず納得する。
「先日、僕一人で部室にいた時に、彼女たちが来て、それでギターの弦を替えたんですけど、まさか、こんな展開になるとは――」
「お、おう」細目で長身の男はカクカクと頷いた「えっと、まぁ座りなよ」男――役回り的に部長だろうか――が促すと、部屋の中央に据えられたテーブルに座っていたイケメンさんと厳つい感じの男は無言で立ち上がった。
「とりあえず自己紹介、でいいのかね……俺は部長、ってか部門長の杉田三郎、三年」
「よろしくお願いします!」律儀に頭を下げるひまり。

そんな感じで、部員4人が口々に自己紹介を始める。
なんかもう、あたしも入部する流れだわこれ。

「えー、二人はどんな音楽をやりたい?」細目で長身の杉田先輩が尋ねる。正直あたしは最近の歌謡曲にあまり興味がない。ピアノ漬けだったあたしは音楽というとクラシックとかそういう路線が真っ先に思い浮かぶ。それは多分ひまりも同じだ。弾き語り部門に入部したはいいけど、音楽性の違いとやらで結局退部になるんじゃないの――そう思っていたあたしはひまりの言葉に耳を疑った。
「はい! にゃこ禅の曲をやりたいです!」
にゃこ禅? なんだそれ? あたしは頭がハテナマークだが、杉田先輩はそれで納得したようだった。
「ああ、あの最近流行りのギターとピアノの女性弾き語りデュオだっけ。最近CMとかでもよく見るよな。女子の友情を唄った歌とか」
「そうなんです!」ひまりは激しく頷いて、私を見るとにっこり笑った。
「ギターとピアノ、いいんじゃない」何がいいんだかわからないが、杉田先輩はそう言って頷く「んじゃまぁ、とりあえず一曲弾けるように練習してみるといいよ。ギターでわからないところあったら、この先輩が教えてくれるから」杉田先輩は厳つい男――五智先輩を指さす。

そんなこんなで、なし崩し的に弾き語り部門への入部が決まってしまった。
果たしてこの先どうなることやら。
イケメンの正方寺くんの存在だけが、唯一の救いだ。

「まあ、とりあえず、よろしく」今だ茫然自失といった様子の部員達が、杉田先輩の掛け声でペコペコとお辞儀をする。


ワースレスの夜明けに-第一章③

 男は2人が並んで座っている向かい側の席に座った。
 小柄で小太りの男だった。年は40歳前後だろうか。カエルのような顔を上下から押しつぶしたような輪郭の中に、まぶたの重い細い目が2つ並んでいる。しかしその眼窩の隙間から覗く眼光は鋭い。髪は金に近い茶髪に染められていて、オールバックに撫で付けられている。趣味の悪い紫色のジャケットの下に襟元を大きく開けた黒いシャツを着ていた。
 一目して、真っ当な世界のものではないという風貌だった。
「いやぁごめんね、待たせちゃって」男は甲高い声で言う「ちょっと前の取引が長引いちゃってさ。あ、そんなに緊張しなくていいんだよ。といってもこんななりじゃびっくりしちゃうかな。こういう仕事してると、どうしてもハッタリをかまさなきゃならないケースが多々あるから、見た目だけでも箔をつけなきゃ不味いわけさ。僕って小柄だから」
 そこまで捲くし立てたところで、バーテンの女性が飲み物を運んできた。オーダーをとってないところを見ると、恐らくいつも頼む定番があるのだろう。女性は不機嫌そうに男の手元に飲み物を置くと「ありがとね」と男はにっこり微笑んだ。
「この店の名前知ってる? ワースレスって言うんだ」女性がドアの向こうに消えたところを見計らって男は言った「君たちみたいな人と取り引きするのにはすごくぴったりな名前だから、こういう話の時はいつもここを使わせてもらってるんだ」
 黒井は頷きかけて、男の言葉に含まれる小骨のような異物に気付いた。体内に取り込まれる手前で感情の襞に絡まっている。怪訝そうな黒井の視線など気にも留めず男は飲み物を一口飲んだ。
「ああ、僕は灰塚って言うんだ」男――灰塚は名刺を差し出した『思い出総合商社・株式会社ウイング・営業部部長・灰塚邦雄』と書かれている。いかにも地元の中小企業といった会社名だ。表向きは合法的な取引の仲介を行っているが、今回のような件は裏の事業にあたるのかもしれない「ああ、君たちの自己紹介はいらないよ。とりあえずMV査定表を見せて」
 黒井と犀潟は持参していたMV査定表を灰塚に渡す。灰塚は細い目を更に細めて査定表の文字を追っている。
視界の端に動くものが見えて黒井は犀潟の方に目を向けた。犀潟は足をしきりに震わせながら、固唾を飲んで灰塚の動きに注視していた。鬼気迫るその表情に黒井の緊張感も自然と高まる。面接官を前にして最初の質疑を待っている時の感覚に似ている、いや事実自分たちは目の前の男に試されているのだろう、黒井はそんな事を考えていた。
「――はい、大体わかった。特に問題なさそうだね。君たちの買い取り交渉に応じます」
 あまりにもあっけなさすぎる返答だった。黒井と犀潟はその先に続くであろう言葉を祈るような気持ちで待つ。その様子を満足そうに眺めると灰塚は笑う「ただし、条件がある」
 予想していた通りの二の句に、二人の身は引き締まる。しかしそこで灰塚は唐突に話題を変えた。
「ところでこの店のマスター、ああ、カウンターにいた彼女、この店を一人で切り盛りしているんだよ。彼女さ、雪森瞳って言うんだけど、結構かわいいでしょ。実は彼女も僕の客の一人なんだ。ちょうど一年くらい前に僕のところへ買い取り交渉に来てね、その結果得られたお金でこの店をやってるわけ」そこで灰塚は溶けて滴り落ちるアイスクリームのようにドロリと笑った。下品な表情だと黒井は思う「彼女にも一つ条件を出したんだ。まあ、条件というか『MVを高めるために取ってもらいたい行動』なんだけどさ。なんだと思う? 犀潟君」
 急に問われて面食らう犀潟。「あ、えっと、その」答えられずにまごついていている様子をくすくす笑いながら眺めている。
「わからないよね。じゃあ、答えね」灰塚はいたずらを楽しむ子供の表情で、二人の目を交互に見ながら続ける「僕の出した条件はこうだ『こちらが指示する複数の男性とセックスしなさい』」
 何を言っているんだこいつは、と黒井は思った。
「もしかして疑っているのかな。でもね、世の中にはいろんな人間がいるんだ。M-Pを購入する富裕層にだって――いや『当たり前』の全てを経験している富裕層だからこそ、倒錯した性的欲求をもっていたりするんだよ。彼女みたいな勝気な女性が、好きでもない男性に股を開く。その屈辱を体感して身悶えるすようなマゾヒストさんが、高い金を出して彼女のM-Pを購入してくれるんだ」
 黒井の脳裏に先ほど見とれてしまった彼女――雪森瞳の横顔が浮かんだ。彼女の表情が屈辱と不快感に歪むさまを想像したが、何一つとして喜びを感じられなかった。
 おかしい、こんなの馬鹿げている。
「さて、前置きが長くなったけど、君たち二人への提示する条件は『彼女とセックスをする』だ」
 灰塚はテーブルの真上で輝く照明を見上げてから、再び二人の顔を、戸惑いの滲む表情を満足そうに眺めた。
 照明が彼の顔の脂を光らせている。
 黒井は他人の吸うタバコの臭いを感じた。目の前の男が愛用しているタバコの臭いだろうか。同じ喫煙者にも拘らず、他人のタバコの臭いは不快に感じることが多い。自分のテリトリーに他人の身に纏う空気が混入することで、縄張りを侵されたような気持になるのかもしれない。
 灰塚はそういう男だと黒井は思った。他人の領域に土足で入り込み、粘ついたヤニ臭い息を空気に混ぜ込ませてくる。
「悪い話じゃないと思うけどねぇ。彼女、かなりかわいいと思うんだよ。それに犀潟君は最近奥様とめっきりご無沙汰らしいじゃん。浮気されているようなものなんだから、少しぐらいやり返したって罰は当たらないって。黒井君だって彼女いないでしょ。あ、病気とかそういうのは心配しなくていいから。その辺はきちんと管理してるし。どう、これすっごくおいしい話だと思うんだけど」
 予想外の展開に黒井は戸惑い、犀潟の様子を横目で伺った。犀潟は俯いて肩を震わせている。困惑し、迷っているのだろう。当然のことだ。なぜこのような条件を投げかけられているのか、目の前の男の意図がまったくわからない。
 しかしこれで本当に高額で買い取ってくれるのなら、確かにおいしい話なのではないか、そう感じる醜い自分も確かに存在していた。黒井は雪森の身体の曲線を想像し、その白い肌を妄想してしまう。劣情が掻き立てられる自分を必死の思いで宥めた。
「さて、君たちの返事はどうかな。まずは犀潟君」
 返答を迫られ、犀潟は口ごもる。しかし必死の思いで言葉を紡ぐ「それは、いけませんよ、そんなこと」
「ふーん、黒井君は?」
 黒井は無言で首を振り否定の意を示す。
「なに、彼女じゃ不満かな」灰塚は頬を膨らませる「彼女じゃ勃たない?」
「ちがいます、そんな事ないです。ただ、彼女の気持ちだってありますし、彼女の嫌がるような事は、その――私なんかじゃ彼女に申し訳ない」犀潟は顔を上げて灰塚の顔色を伺う。
「この交渉は彼女も合意の上なんだけどなぁ。お互い利害が一致していると思うんだけど」
「でも、それでもやっぱり、何と言いますか、ダメですよ――」最後の方は消え入りそうな声だった。
 黒井も犀潟の言葉の節々で頷き、同意を示す。
「そっか、残念だね。しょぼーん」灰塚はわざとらしく肩を落とした。
 そして急に黄色い歯を剥き出しにすると、両手を大きく叩いた。その場の空気を吹き飛ばす破裂音に二人は伏せていた顔を上げた。
「なーんちゃって、冗談だよ冗談。今の話は全くのでたらめでーす」灰塚は大声でげらげらと笑い出した。
 二人は呆気にとられる。
「いやあ、ごめんごめん。二人があまりに真面目そうだったからちょっとからかってみただけ」太ったカエルの求愛の歌のような不快な笑い声が狭い一室に木霊す。散々笑ったあとで灰塚は急に表情を変える「でも、今の二人の反応でわかったよ――」

「あんたらの思い出が、ゴミ屑並みの価値しかない理由が」

 灰塚は胸ポケットからシガレットケースを取り出すと、ロングタイプのタバコを取り出して腫れぼったい唇の隙間に差し込んだ。反対側のポケットからジッポのライターを取り出し、火を着ける。ライターには悪趣味なドクロのマークが刻まれている。オイルの甘い匂いが、タバコの煙と混ざり合い小部屋の空気中へと拡散していく。
「あんたらもあれだろ。他人の目を気にしながら生きてきた、そんなタイプ」タバコが半分ほどになったところで灰塚は話し始める「MVが低いだとかで相談してくる連中は大概そうだ。自分の気持ちに素直になれない。自分の欲求に正直になれない。人に馬鹿にされたくないから努力はしないし、相手から拒絶されたくないから好意も示さない。相手から差し伸べられた手を自分勝手な都合で振りほどいては、ちっぽけなプライドを守ろうと必死になっている。そのくせ他人の幸せを妬み、馬鹿にし、酸っぱい葡萄だと騒ぐ。要するにあれだ、自分の幸せを追求することが怖いんだよな。不幸な境遇に身を置いて、自分自身の人生を諦めたふりをして、本当の自分から目をそらしている。そんな人生を生きてきた人間のMVが高いわけないだろ。そこに気づけないからお前らは屑なんだよ」
 灰塚の言葉は先ほどまでのどこか子供じみた話し方とは違い、妙に淡々としていた。しかしその細く研ぎ澄まされた言葉の刃が二人の体に突き刺さっていく。犀潟は震えていた。黒井も奥歯を噛みしめている。相手の言い分に対しての反感はあった。しかしそれ以上に、相手の分析は自分の芯を捉えていた。
「MVが高い人間は自分に正直だ。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んで、やりたい女とやる。なぜならそれがそいつにとっての幸せだからだ。そしてその幸せを実現する努力を惜しまない。自分自身の判断基準で、自分の生き方を選択している。少なくともあんたらみたいに『相手に悪いから』なんて他人任せの言い訳はしない。雪森とやりたきゃ素直にやればいいし、やりたくなきゃ勃たないって言えばいい話だろ。自分の欲求に対する貪欲さが足りないんだよ」タバコの火を灰皿に乱暴に押し付けた。心の火がこの男の指先で押し消されたような錯覚を覚える「あんたら、いつまで自分が『与えてもらえる者』だと勘違いしてるつもりだ」
 黒井は何か言おうとして口を開けた。しかし言葉は出てこない。ぼろぼろに絞りつくされたオレンジの皮みたいに、干からびた口がパクパクと動くだけだ。
 唐突に一人の女性の姿が黒井の脳裏を掠めた。
 のっぺらぼうのように表情が見えず、背格好だけで辛うじて女性と判断できる、そんな影のような存在。
 それは昨夜の夢に現れた女性だ。
「変わらなきゃならねーんだよ。M-Pを世の変態な金持ちに高額で買い取ってもらうために、あんたらは変わらなきゃならダメなんだ。今までのように殻にこもって辛うじて呼吸をしている生きた化石みたいな人間じゃなく、自分の変化を受け入れて常に進化していける、そんな素直な人間にな。自分自身が望むものを自分自身で選び取るんだよ。そういうやつらにだけ、俺たちは手を差し伸べてやれるんだ」
 灰塚は手のひらを上にして両手を広げると、即座に手のひらを返してテーブルを叩いた。灰皿に溜まった灰が舞う。
「改めてあんたらに条件を出す。この条件をクリアすれば、あんたらの思い出の高額買取りを約束しよう。要するに普通じゃ誰もができないような特殊な経験をするって事だな。なんだと思う犀潟」
 犀潟は首を振った。乾いた口からは言葉とならない声が漏れる。
 灰塚は青白い満月のような薄い笑みを浮かべた。

「それはな、人殺しだよ」

どんびき!~曇天大学軽音楽部弾き語り部門~⑪

第11話「天変地異の前触れ」

天変地異の前触れには何らかの前兆があるという。
飛び立つ鳥が空を埋め尽くしたり、真夏に雪が深々と降り積もったり、空から魚がボトボトと落ちてきたり――普段は起こり得ないような奇怪な出来事は人々を非現実の扉の前へと導き、その向こう側に広がる未知の世界を想像させる。
学内の自動販売機で3回連続の当たりが出て、欲しくも無かったマックスコーヒー3本を手にした僕は、『部活の差し入れってことにすればいいか』などと考えている頭の片隅で、『これってもしかして天変地異の前触れだったりして』などという荒唐無稽な想像を冗談交じりで考えていた。

「おつかれさまでーす」

部室には既に杉田先輩と五智先輩がいた。
普段通りの部室――のように見えたその光景の中に不可解な違和感を覚えた僕は、その正体に気付いて唖然とした。

「五智先輩が、マンガを読んでいる……だと!?」

違和感の正体は五智先輩だった。
普段は何かしらギターをいじくっている五智先輩。ギターの事以外頭にないような五智先輩。そんな五智先輩がギターなんてそっちのけでマンガを読んでいるのだ。
ありえない光景だった。
先ほどから頭の片隅にへばりついていた『天変地異の前触れ』という言葉が両手を振って自己主張している。

「ああ、進撃の阪神っていう野球漫画だ。杉田に勧められたんだがなかなか面白いものだな。平は知っているか?」
「そりゃ、有名な作品なんで知ってますけど……」
「なになに、どしたの平ちゃん、なんか気に食わないの?」
「気に食わないっていうか――杉田先輩!? 何食べてるんですか!?」
「え、何って、コンソメパンチだけど」

あろうことか、杉田先輩が手にしたポテチはいつもの堅あげポテトではなかったのだ。
カルビーのコンソメパンチだったのだ。
普段は堅あげポテト狂の名を欲しいままにする杉田先輩が、よりによって今日は別のポテチに浮気をしているのだ。

こんな奇怪な事があるだろうか。
くじ運の悪い僕が3回連続で当たりを弾き――
五智先輩がマンガを読みふけり――
杉田先輩がカルビーのコンソメパンチを軽快にサクサクと食べている――
正方寺は、正方寺はどうなんだ!?

そんな僕の心の叫びに呼応するように、ニコニコ顔の正方寺が部室の扉を開けた。
「おつかれでーす」
「正方寺! 何か変わった事無かった!?」
僕の唐突な質問に気圧される正方寺。
しかし僕にはこの仮説を裏付ける使命があった。これから起こるかもしれない天変地異に備えて、明確な裏付けに基づいた対策を進めていかなければならない。それが出来るのは、この『前触れ』に気付いている自分だけなのだ。
「いや別に、何もないけど」
「些細な事でいいんだよ、何か普段と違うような事は――」
「普段と違う事? うーん」しばらく考え込んだ正方寺は何か思い当たったのか「そういえば……」と呟いた後、実に言い難そうな表情で言う。

「今日は、誰からも告白されてないなぁ」

なんかイラッとする。
イラッとするが、それが正方寺の『普段』なのだ。
僕にとっての日常は、正方寺にとっての非日常。それは悲しいけれど受け入れねばならない。

兎に角、今日という日に『奇怪な出来事』が4回も起こっている。
僕は確信した。
今日は何かが起こる。
世界を揺るがすようなとてつもない大事件が、絶対起きるに違いない。
ああ、僕はどうすればいいんだ!?

その時、部室の扉が開いた。
既に4人が揃っているのに誰だろう。扉の方に目をやった僕は「あ、君たちは――」と呟く。
そこには先日部室に顔を出した2人の女性が立っていた。
たしか、金谷ひまりさんと、清里珠美さんって言ったっけか。
何の用だろう、今それどころではないというのに。ていうか今ここに来てしまったら、あの二人にも危害が及ぶのではないか。早く何とかしないと、どんどん被害が拡大していく可能性がある!?

僕の頭は焦りでオーバーヒートしていた。
そんな僕の薬缶のような頭に冷水をぶっかけるように、天変地異は起こった。
天変地異は人の姿をしてやってきたのだ。

「あの、私たち二人、弾き語り部に入部します」

それは、爪弾き者達の巣窟である弾き語り部門を、根底から覆すような驚愕の天変地異だった。

どんびき!登場音楽の解説と元ネタ(随時更新)

○かぼす(第1話)
 フォークデュオ。若い世代のアコギ弾き達に絶大な影響を持つ。近年はアコギ音楽にこだわらない多種多様な曲を発表し、支持層を広げている。
●元ネタ:ゆず
 言わずと知れた国民的フォークデュオ。夏色やサヨナラバスは俺の青春の曲。しかし個人的には「ゆずえん」以降の曲はあんまり好きになれない。ここ最近の曲は――うん……

○SUJIMOKE(第5話)
 ソロミュージシャン。力強い歌声とメッセージ性の高い歌詞で広く支持されている。代表曲の「羽化」は閉じこもりがちな現代の若者に飛び立つ勇気を与える名曲。
●元ネタ:SUZUMOKU
 渋い歌声がなんかかっこいいソロミュージシャン。Youtubeで「蛹」を聞いてハマった。リーマンの苦悩を歌った「真面目な人」は俺の心の応援歌だ。仕事で媚びへつらいながら心の中で「やってらんねーよくそが」と思っている人は是非聴いてほしい。

○ソファーズ(第6,7話)
 今から20年前くらいに結成された3ギター2ボーカルの珍しい形式のアコースティックバンドだ。テレビの音楽番組などで目にする事はほとんどないが、今での根強いファンを持っている所謂『知る人ぞ知る』系のバンドだ(本文引用)
●the pillows
 数多くのバンドに影響を与えた大御所3ピースバンド。アニメ「フリクリ」を見てて「なんだこのBGMめちゃくちゃかっこいいぞ!?」とググったのが出会い。今や俺のもっとも好きなバンドの一つだ。代表曲は「ハイブリッドレインボウ」「funny bunny」あたりになるのだろうか。

○にゃこ禅(第12話)
 ギターとピアノのガールズ弾き語りデュオ。女の子同士の友情を唄った曲は若い世代の女性たちから指示されている。最近はCMなどでも取り上げられ、一気に知名度を上げた。
●元ネタ:野孤禅
 ギターとキーボードのフォークバンド。にゃこ禅とは似ても似つかない男くさい楽曲に胸が熱くなる。ボーカルの力強い歌声と荒廃を漂わせつつどこか芯のある詩の世界は、弱っちい自分にとって憧れだ。代表曲はやっぱり「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」だろうか。現在はそれぞれソロ活動中。

○ダケファブリック(第15話)
 3人組ロックバンド。メロディアスな曲調はギター一本の生音でも十分演奏として成立するくらい完成されていて、ロックバンドながら弾き語りシーンで歌われる事も多い。ギター、ベースに加えキーボードが多くの楽曲に使われ、広がりある音楽性を見せている。
●元ネタ:フジファブリック
 僕と友人H君(「ナンセンスに」管理人なんとかくん)が愛してやまないロックバンド。彼らの生み出す素晴らしい楽曲は多くのミュージシャンから評価を得ている。超個人的な話だが、自分が当時の彼女と別れた傷が癒えぬ頃、就活で行った東京の空を見ながら名曲「茜色の夕日」の歌詞を思い出し涙していた。少し涙で滲んでるけど、東京の空の星って見えないこともないんだな。代表曲はやはり「若者のすべて」だろうか。何か言葉にならない感情を呼び覚まさせてくれる、そんな不思議な魅力を持ったバンドだ。

【レース結果】9月26日、27日

※キングヘイロー産駒のレース結果です。

9月26日(土)

◎中山競馬場

1R 2歳未勝利 
 シャンボール 3人気(4.2) → 4着

12R 3歳上500万下
 セカイノナカ 16人気(257.4倍) → 12着

◎阪神競馬場

8R 2歳未勝利
 アンネイ 8人気(31.9倍) → 9着
 
9月27日(日)

◎中山競馬場

2R 2歳未勝利
 ダイチラディウス 10人気(85.0倍) → 3着

◎阪神競馬場

5R 2歳新馬
 タンブリンマン 5人気(23.9倍) → 5着

12R 3歳上1000万下
 カシノインカローズ 13人気(95.9倍) → 13着
 オーミポルカ 12人気(76.5倍) → 7着

【コメント】
2歳馬のレースは未来の名馬が出るんじゃないかといつも期待しているが、
今回も残念ながら勝ちきれない結果となった。
しかし3着につけたダイチラディウスや、果敢に逃げたタンブリンマンなど、
次に期待できるレースだったと思う。

【勝率】
2勝/29レース (0.069)
プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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