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No.1 コスナゴミムシダマシ

2歳になる息子が持ってきた小石の中に1匹の甲虫が混じっていた。

コスナゴミムシダマシ

調べてみるとコスナゴミムシダマシというようだ。

大きさは約7mmくらい。
砂地に生息するごくごく一般的な甲虫らしい。

小さい虫だが、そういや最近ちょくちょく見かける。

庭を精査してみると其処彼処に生息していた。

脚をすごい速さで動かす割にはそれほどでもないスピードでチョコチョコ走り回るが、
指で刺激を与えるとピタッと止まる。

チョコチョコ……ピタッ

チョコチョコ……ピタッ

うん、なんかオモチャみたいでとても愛くるしい。

もしデート中に彼氏から、

「…ったく、おまえってホント、コスナゴミムシダマシみたいだよな」
って言われたら、

それは『チョコチョコと歩き回る様が心底愛おしいぜ』
という意味なので、

褒め言葉だと思って喜んでおこう。
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情報のアクセサリーでモテカワ愛され系な自分を演出☆

 相手がどんな価値観を持つ人間か知りたい時には「どんな音楽聞くの?」と言う質問が最も効果的なんじゃないかと思いつつ、未だかつて一度も実践していない。
 
 それはさておき、この前運転中に聴いたラジオで某「靴下履かない俳優」と某「出版社社長」が対談をしていた。詳しい内容は(山道だったもんで電波悪くて)よく聞き取れなかったが、どうやら読書離れやデジタルへ傾倒する最近の若者についての警告がテーマらしい。
 ネットの普及による情報過多で最近の若者は自分で考える力をなくしている、ってのが主張の概要だった。確かにそんな気はするけど、悪い事ばかりでもない気がする。
 
 最近は色んな娯楽があるし、情報は部屋に居ながらにしていくらでも入手できる。選択肢がこれでもかってくらいに広がっている中で、どの娯楽を選択するかって事がその人の「見られ方」に大きく関係してくると思う。
 数ある情報の中から好きな情報を取捨選択して、身につけた情報・趣味で自分自身をデコレーションし自己主張が出来る。そういう楽しみ方が出来るのは、情報を容易に得られればこそなんじゃなかろうか。
 極端な話、川遊びと魚釣りしか娯楽がないような世界では、のび太もジャイアンもスネ夫も出来杉も、川遊びと魚釣りしかしないだろう。
 のび太がマンガを読み、ジャイアンが歌を唄い、スネ夫がラジコンで遊べるのは様々な選択肢があるからだ。それが複雑化された事で一般人から理解できないことに没頭する人(ネトゲ廃人とか)も増えた事は問題だけど、今まで誰とも共有できなかった趣味などを他人と分かち合えることで救われてる人も大勢いるはずだ。

 情報を簡単に得られることが問題ではなく(有害な情報はもちろん問題だけど)、自分に合った情報を選び取る事が出来ず、偽りの価値観に身をゆだねて自分を失ってしまう事が問題なんだろうね。
 まぁかく言う自分も自分を見失いがちな人間なわけだが……。
 
 ブログ仲間(その道の先輩)でリアル友人である「浅見くん」と「なんとかくん」とは学生時代に仲良くしていたが、自分の「若さゆえの過ち(認めたくないものだな)」によって10年近く疎遠になっていた。中学の同窓会がきっかけで再会し連絡を取り合うようになったのだが、二人とも(細かい差異はあるんだろうけど)相変わらずの趣味嗜好(読書、創作、競馬、音楽などなど)で心底ほっとした。
 たぶん数ある情報の中から共通の情報に価値を見いだし、その結果同じ時間を歩むことになった者同士だからこそ、色々あったけれど再び同じ価値観を分かち合うことが出来ているんじゃないだろうか。

 もちろん異なる価値観同士でも、お互い歩み寄り互いを認め合える事は素晴らしいけどさ。

 そういや、そのラジオで「最近の若者は告白するにもメールやラインですませる。ラブレターという手段を今の若者はとらないんじゃないのか?」という事を言っていたけど、それって多分メールやラインって手段を「とる人もいる」ってだけの事なんじゃなかろうか。
 少なくとも自分の学生時代はそうだった。

 そこでふと思う。

 三十路の俺って、既に「最近の若者」のからはみ出している?

地上80cmからの世界

 子供と庭で遊んでいるとデジカメのピント調整みたいに視野が切り替わる瞬間を感じる事がある。普段は複数の緑色が作るグラデーションとしてしか認識していない足元の緑地帯だが、しゃがんで子供と視点を合わせた瞬間に虫や小さな草花の入り混じった複雑な世界が見えてくるのだ。
 
 大人と呼ばれる年齢になって、どうにも視野を広くもつことを強要されているような気がする。世界情勢だとか、業界情勢だとか、会社全体の売上利益だとか、それはすごく重要なことなのだけど、どうも自分の視野はトイレットペーパーの芯一本分らしく、イマイチ把握できないでいる。
 
 これは、大人としてとても恥ずかしいことだ。

 子供とよばれていた頃のミクロな視野と、大人とよばれるようになって強要されるマクロな視野、その2つを繋げるバイパスを見つけられなかった自分は、そのどちらも独立した別々の世界であるような錯覚を覚えつつ、トイレットペーパーの芯越しに世界を遠望しながら「全貌が見えない」とぼやいている状態なのだろうか。
 
 子供と外で遊ぶようになり、子供の視点で足元を見たとき、直径10数センチの円の中にもクロヤマアリやウリハムシやワラジムシやクロバネキノコバエや微小なハチ類などの生きる世界がある事にあらためて気付いた。その小さな世界の集合体が少し大きな世界であり、少し大きな世界の集合体が更に大きな世界であり――その事実について頭ではなく感覚で理解することが子供の視野と大人の視野を繋ぐバイパスなのだろう。

 当然の事をさも大発見のように語っている自分が情けないが、当たり前のことを大人になるにつれて見失っていた、というか見る余裕を失っていたと思う。子育てをするようになり、子供の視点で世界を見ていこうと奮闘する日々の中で、こういった「懐かしい新発見」がトイレットペーパーの芯を徐々に取り払ってくれるのだろうか。
 
 タンポポの綿毛にはしゃぐ息子を見ながらそんな事を思った。

足跡的な何か

高校時代
 とあるゲームの二次創作的な話を友人と共に書き始める。ラノベにはまり電撃大賞に応募し見事落選する(神と交信できるようになってしまった少年と本来預言者である少女とそれを狙う殺し屋のよくわからん話)幕田卓馬はその時のペンネーム。本名のアナグラム。

大学時代
 ラノベから一般小説全般に嗜好が広がり、色々と小説じみたものを書く。「このバス人生経由」や「神社での七日間」はこの頃に書いたもの。今思うとセンチメンタルなものに傾倒していた気がする。友人同士で作ったウェブサイトに掲載してもらいほんのり悦に入る。

社会人
 暗黒期の幕開け。天井の染みを数えたり、ひたすら本を読んで現実逃避しながら過ごす。何か書こうにも書けない。パソコンの前に立つと仕事の嫌なことしか思い浮かばない。無音が恐いからテレビはつけっぱなし。集中できない。頭が働かない。
 高校時代の友人から「久しぶりに何か書いてみね?」と言われハロウィンを題材に話を書く事にする。「ハロウィンの夜、電波塔の二人」はその時書いたもの。今思うと甘い幻想に傾倒していた気がする。

結婚から現在
 結婚、息子の誕生で精神的に浮上するも、部屋の中に常に人がいる状態ではやっぱり何も書けない。ただ、日々の悲しみや鬱憤や喜びをほどよい感じで昇華するには、やっぱり何かを書くしかないと感じる。文章を整えることで感情を整える一種のリハビリのようなものか。悶々としていてもしょうがないので、嫁や子供が寝ている合間にまた話を書き始める。
 書くだけじゃ張り合いがないのでブログを作って載せる事にする。 ←今ここ
プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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