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最近の子供達

息子、娘とも元気に育っている。

息子はなんつーか両親の外見上のいいところだけを上手くを掛け合わせたみたいに、なかなかのイケメンだと思っている(贔屓目)。
ただし性格は自分に似て引っ込み思案のようであり、将来に一抹の不安がある。

娘は造形の整い方とかは(おデブちゃんなので)さておき、とても愛嬌があってよく笑う愛され女子である。
そのほんわかした性格は嫁似だろう。

また似顔絵を描いてみた。

下手くそだが、似顔絵を描くのは好きなのである。

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今を

友人であり、共に音楽活動を行ってくれる(ていうかほぼ引っ張ってくれる)同志でもあるなんとか君の助けもあって、どんびき作中の「平くんの曲」をなんとか実現させる事ができた。
それっぽいPVも作ってみたりして、なんともご満悦な俺である。

今を(平君の作った曲)

この曲のメロディーは俺が大学時代に作ったものをそのまま流用していたりする。
賃貸住まい妻子持ちの身だと、音を鳴らす曲作りという作業は現実的に困難なものであり、苦肉の策ではあった。
しかし詞を書き換え、歌ってみると、意外としっくりくるもんだから不思議なものである。
自分のリアルどんびき時代に、「失恋をテーマに曲を作ってみよう」というコンセプトのもと皆で曲をもちよった事があったのだが、その時に自分の作った曲が原型になっている。
失恋と、平君の抱える悩み。
共通点は一見無いようにも見えるが「終わってしまった幸せな日々を思い出し、それでも前に進もうとする気持ち」は同じなんじゃないかなーなんて観点から色々考えを深めていくと、思いのほか雰囲気が重なり合ってくれた。そこに作中の平君が経験した出来事、思い出なんかを散りばめて見ると、何とか一つの曲として生まれ変わってくれた。

これは今の自分の曲じゃない。
平君だった大学時代の自分のメロディーに、平君に立ち戻った現在の自分が詞をつけた、過去と未来の平君の曲である。
今の自分のままに曲を作ろうとすると、きっと「やってらんねーぜくそが」みたいな曲になりそうだから、これが最善の策だったんだろうな、などと完成した今なら思えるのだった。

話は変わるが、なんとか君と始めた音楽活動名「ダケスタリスク」も、主になんとか君の働きによって、毎回何かしらの結果を得ながら着実に前に進んでいる状態だなと感じる。
何かした大きな目標が欲しいところではあるが、それもおいおい見つけていきべきなのだろう。
俺となんとか君の違いを、なんとか君は「緑と青」という色の違いで言っていたが、その雰囲気は何となくわかる。
その感覚を思考の癖として言い表すと、「自分に降りかかる事象を溜め込んで矢鱈に葉を広げる緑の木」と「降りかかる事象を飲み込んで沈静化させ自分の一部とする湖」というか、なんかそんなイメージ。

俺は秩序無く言葉っていう葉っぱを生い茂らせる事しかできないのである。
辛いことを辛いと、悲し事を悲しいと、ちょっとだけある楽しいことは楽しいと、色んな形の葉っぱを広げてただただ表現したいだけなのである。
完全に自己満足。
でも、それがいいのかもしんない。

お互い共通点もあるが相違点も多いのだから、おそらく今後も新たな発見が生まれるのだろう。
それが楽しみではあるが、焦っても仕方がないので、今はできる時間の中でやれる事をやっていくしか無い。

インフルエンザで休暇を余儀なくされた俺は、布団の中でそんな事を考えているのだった。
休み明けに仕事がどれだけ山積しているか‥そう考えるとひたすらに恐い。

2018年

大晦日に社用車のETCカード紛失騒ぎがあったり(結局所長が持っていた)‥

元日から仕事があったり‥

書類の不備でてんやわんやする初夢をみたり‥

なんだか今年も大変な一年になりそうな予感しかない。

でもまあ、気を引き締めて乗り越えていくしかないのだろう。

去年は趣味に費やせた時間が極端に少なかったわけだけれども、
今年はそっち方面をもう少し充実させていきたいものだ。
このブログに載っている小説も然り、音楽も然り。旅行も、子供達と遊ぶ事も‥

仕事を生活に必要な資金を稼ぐためと割り切るのであれば、
自分の喜びをそこに見出そうとしてしまうのはナンセンスな気がする(俺は、だけど)
あくまでも、喜びや充実感と言った感情は、俺が俺として生きる瞬間の中にしか無いと思う。

自分を自分として表現出来る瞬間。
その価値を自分自身が認めてあげなければいけない。
たった一度の人生なのだかから。

今年は、人生34年目の年。

よろしくお願い致します。

音楽活動

アコースティックギターとはすばらしいものだ。

カラオケボックスで友人H君とギターを鳴らしながら、俺はしみじみとそう思う。

息子が生まれてギターを弾かなくなってから約4年。
気分と環境が整わなくて気がつけばホコリがたまっていたギターを再び引っ張り出し、弦を張り替えボディをピカピカに磨く。放置された事に不貞腐れ、カビでも生えているのではと懸念していたのだが、チューニングを合わせ掻き鳴らされたそいつは「まぁ許してやんよ」と懐かしい笑い声を響かせた。

H君とは初めて合わせたわけだが、不思議と息の合った演奏になった。
過去に何度か他人と一緒に弾いたことがあったが、初っ端でここまでうまい具合に表現出来たのはあまり記憶にない。
きっと学生時代に何度も2人で歌っていたもんだから、その時の感覚がギターの演奏さえもうまい具合にまとめ上げてくれたのだろう。そういう感覚ってのは月日が経っても薄れないものなんだな。

H君の曲はメロディが耳に残るというか、不意に口ずさんでしまう自然な響きがある。
それは狙ってやってできるものではない。
きっと彼の中から自然に生まれてきたメロディだからこそ、こんな風になんの雑味もなく、つるりと味わうことが出来るのだろう。
今後の発展を期待してしまう。

自分も曲を作らねば。

どんびきの「平君が作中で作る曲」を作る。
その発想がだんだんと足枷になっている感覚がある。

でも無理矢理作ったところで、化学調味料をたっぷり効かせたインスタントラーメンが出来上がるかもしれない。

おそらく自分がもう一度平くんの気持ちを、つまるところは学生時代の自分の気持ちを思い出せた時、曲は自然に生まれてくるのではなかろうか。

そう考えると、今回のH君との活動中、自分は確実に学生時代の気持ちに戻っていたと思う。

懐かしいアコースティックギターの音。

なんだかほんの少し近づいた気がした。

提灯祭りへ

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せせらぎや
背にざわめくは
秋祭

駅前を流れる小川は常に静かな水音を奏でている。
それを眺めながら、背後から聞こえてくる祭りの喧騒に、なんだか心が躍る。

日常もまた川のように、留まることなく単調に流れる。
俺みたいに小さな水滴一粒が滴り落ちたところで、それの流れを変えることなど出来はしない。
しかし、いくつもの人々の水滴が雨のように降り注げば、その流れはうねりとなって、轟々しい音を奏でるだろう。
それはまるで、太鼓台が打ち据える数多の和太鼓の音色のように。

日々の生活の中へと亀裂のように入り込む非日常への隙間は、案外簡単に穿つことが出来る。
その隙間から、不可思議で、それでいて懐かしい景色を覗き見るため、俺は十数年ぶりに提灯祭りの雰囲気へと飛び込んでいった。

二本松神社

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プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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