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不安と不満で普段が破綻

年度末も近づき、首を傾げたくなるような来年の人事も発表され、会社への不信感がさらに高まっている今日この頃である。

月並みな表現ではあるが、自分の足元が如何に脆いかを思い知っている。
今回の標的は私ではなかった。しかしそれは「今回は」に過ぎないという事を理解し、不慮の事態にも対応できる余裕を見出しておかなければならない。
今の生活の何処にそんな余裕を見出せるのか、具体的なビジョンは何もないわけだが。

会社というものは「義理」や「人情」みたいな漠然とした価値観が根底にあり、それを裏切るような行為がまかり通るのはごく僅かな異端のみなのだと、心の何処かで期待していた。
贅沢せず、身の程をわきまえ、正直に生きてさえいれば、自分の周りの大切な人くらいは守っていけるだろうと考えていた。

過労死だのブラック企業だのが取り沙汰される昨今において、あまりにも甘ちゃんな考えである。

会社は敵ではないが、もちろん味方でもない。
売り上げだとか、成績だとか、そういう数字的なものだけでその人を判断し、基準値より高ければ保留、低ければ容赦無く切り捨てる。
清々しいまでに単純明快だ。
会社の中枢に位置する人達は、エクセルの表計算とかで社員の人生を決定しているのではなかろうか。
折れ線グラフが基準値を下回れば、俺は家族共々有無を言わさず路頭に迷うだろう。

子供の寝顔を見る。

世の中は悪意に満ちている。
自分が基準値を下回らないために、他人を欺し、蹴落とし、時には殺したり殺されたりしながら、みんな必死で自分の生活を守ろうとしている。
みんな死にたくないんだ。
それを悪意と感じてしまうのは、やっぱり俺が甘ちゃんだからなのだろう。

無垢なその寝顔が、他人の悪意に歪むのを想像すると、俺はどうしようもなくやるせない気持ちになる。

溢れ出た水が周りを包み込みながら広がっていくように、他人を押しのける事なく大きくなってほしい。
そういう意味を込めた名前を息子に付けた。
どうか、他人の悪意にさらされず、他人に悪意を向ける事なく育ってほしい。
いつまでも、とは言わない。
ただ、出来るだけ長く、その無垢さをなくさないでいてほしい。

その為に頑張ることだけは、無意味ではないと思いたい。
数字で測れない価値があることだと思いたい。

そうでなければ、俺は全てを投げ出し、死のうとして、でも怖くて死にきれなくて、どっかの隅っこに挟まって鼻糞を食べながら空を眺めて涎を垂らしている、どうしようもないクズ野郎になってしまいそうだ。








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引き継ぎ

俺はなんだか「天元突破グレンラガン」の主人公シモンみたいな気持ちになっていた。

皆から信頼されていたアニキが戦死し、2人で担っていたロボットパイロットの役目を1人で背負う事になったシモンは「俺には出来ない」と背中を丸めて閉じこもるのだが(たしかそんな感じだったような気がする‥)、その心境がまんま今の俺である。

俺はそんなに優秀じゃない。俺はそこまで仕事に打ち込めない。俺はそこまで他人に信頼されない。俺はコミュ症で、人間恐怖症で、物覚えが悪くて、要領も悪い、ゴミクズみたいなダメ人間なんだよ!
そう叫びながら部屋に鍵をかけて、耳と目を塞いだままガタガタと震えていたい。

しかしそこで完全に閉じこもってしまうと物語は完全に終了しちゃうわけで、シモンは自分の力を信じて、っていうか「自分を信頼してくれるアニキを信じて」復活と成長を見せるのである。

そんなアニメみたいな展開は起こらないだろうけど、俺も地べたを這いずり回りながらでもこの逆境を乗り越えて成長していかねばならない。
幸い、俺が信頼する人達は、なんだかんだ言いながらも俺を信頼してくれている。
俺はコミュ症で、人間恐怖症で、物覚えが悪くて、要領も悪い奴だけど、ゴミクズみたいなダメ人間への段差はほんの少し(片足の踵くらいで)踏みとどまっているのだろう。

優秀な先輩の仕事を引き継ぐプレッシャーに打ち勝って、このホットコーヒーにミルクを垂らしたみたいな苦く円やかで温かな生活を、これからも守り続けなければならない。

まぁ、どーしたって、これからも弱音ばっか吐きまくるんだろうけどさ。

ウォール・エルサの再建

日の入りは近い。

明日の出発に備え、私は目の前に立ちはだかるこの壁を打ち砕かねばならない。

高さ約100センチ、厚み約70センチのこの雪の壁は、除雪車が押し固めた言わば氷の塊である。

我が相棒ADバンの進路を確保するため、膝まで積もった雪を押し分けること1時間。満身創痍の状態で公道にたどり着いた私は、目の前で冷笑を浮かべるこの憎き壁を睨みつけた。
この壁を打ち砕き進路を確保しなければ、明日早朝の出発に支障が出てしまう。
逃げ出したい気持ちを理性で押さえ込む。

やらねば、ならないのだ。

スノーダンプを持ち上げ壁に切れ込みを入れていく。鉄と氷の粒が軽快な声を上げるが、今の私にとっては不快以外の何者でもない。
壁を30センチ程度の長さに切り分けると、次にスノーダンプを地面に置き本来の使用法で雪の運搬を試みる。ダンプの刃を壁の立ち上がりに深々と突き刺し、雪を引き出した。
重たい、なんて重たい雪の塊なんだ。
取っ手を握る両腕がプルプルと震える。通常の雪であればこのまま雪上を滑らせて運べるのだが、こいつは地面に腰を据えた大岩のように動く事を拒んでくる。ダンプ押す両足の関節が軋みを上げる。
辛い。
やっとの思いで塊の1つを隣接する用水路に廃棄し後ろを振り返える。
まだ大して変化の見られない雪の壁がそこにあった。
一体あと何回この作業を繰り返せば、相棒の進路を確保することが出来るのだろうか。

スノーダンプダンプの上に、巨大な雪の塊と、多大な絶望を乗せて、私は地獄の往復運動を繰り返す。
明日の早朝、滞りなく出発出来る事を願いながら。

翌朝、社内で出発の準備をしていると、外から不吉な地響きが聞こえた。
まさか、と私は急いで外に出る。
考えたくない、しかし避けて通れない現実がそこにはあった。

再び作られた雪の壁。

暗澹とした空の下、除雪車の登場により、魔の壁はいとも容易く再建されたのであった。

・・・・・・・

・・・・

・・

努力が意味を成すとは限らない。
そんな、雪国あるある。

制服女子を観る

片田舎の商店街のアーケード下、色あせた貼り紙がやたらめったらに貼られた腰痛のおっさんの背中みたいなウインドウに身を映しながら、颯爽とした様子で制服女子が通る。
某食品メーカー勤務、営業職、30代前半、独身の私は、道の向こうからやって来る制服女子の姿を車のフロントガラス越しに眺めるのだった。
車が制服女子に近づくにつれ、曖昧だったディテールが縁取られて行く。私は前方の車に注意を払いながら、横目で制服女子の姿を追う。
車と制服女子がすれ違う瞬間、それこそ私と制服女子が最も接近するその貴重な瞬間、示し合わせたかのように登場した電信柱が、制服女子の姿を遮った。街角の皆既日食だ。輝く太陽が無遠慮な月で覆い隠される。
私はほんの少しだけ、眉根を寄せる。

制服女子について詳しく述べることは、私自身の社会的な立場を著しく崩壊させる危険性がある。
しかしそんなリスクを孕んでいるにも関わらず、私は何故か制服女子に心惹かれてしまうのである。
これは最早、理屈ではないのかもしれない。
優れた芸術作品は、観生まれ育った土地や刻み込まれた価値観に関わらず、観る者の心の中に潜む共通の何かへと働きかける。
それと同じことが、この片田舎の古ぼけた商店街で今まさに起こっているのだ。

ある夜の酒の席で、45歳既婚の課長が若かりし頃の武勇伝として、制服女子とのアレコレ物語を自慢げに語っていた事を思い出す。
「すげーっすねー、さすが課長ですわー、うらやましー」といった当たり障りない賛辞と羨望の言葉を述べつつも、心の中では何か釈然としないものを感じていた。
私が感じているこの胸騒ぎは、果たしてアレコレに対する欲望と同じものなのか?
制服女子を前にして沸き起こるこの感情は、所詮種の保存欲求に帰結するものなのか?

私の心は机を拳で叩きながら「否」叫ぶ。

では、なんだというのか。
心が握りつぶされ、酸っぱい果汁が滲み出すようなこの感情は、一体なんだというのか。
その正体を探るため、私は様々なシチュエーションを想定し、自らの欲求がどこに向かうかのシミュレーションを試みる。
例えば夕日が差し込む教室、学祭の準備を任された私と制服女子は、2人で何か工作をしているとしよう。その時私は、目の前の魅力的な制服女子に対しても何を求めるのか。
アレコレ、ではない。
接吻、でもない。
ハグ、でもない。
手を繋ぐ、でもない。
見てるだけ、ふむ、それだけで十分な気がする。

そこで私は気づいてしまった。
このシミュレーションはあくまでも齢30に届いてしまった私の内面を想定しているのだ。某探偵漫画よろしく見た目は若者、頭脳はオヤジといった状態に他ならない。では心も制服女子と同じ年になったものと想定して再度シミュレーションするとしよう。
アレコレ、したい。
接吻、したい。
ハグ、もちろんしたい。
手を繋ぐ、じゃ物足りない。
見てるだけ、なんてなんとも思わない。

私は愕然とする。
それでは何か? 私のこの感情は自分の年齢や立場によって左右されるものだというのか? 法の縛りによって押し止められているだけの、ただの種の保存欲求にだというのか?
違う。
私は法の首輪に繋がれて、涎を垂らしながらもお預けを食らっている状態などでは決してない。しかし法ではないとすれば、一体何が私の感情を変化させているのか。
制服女子に向かう感情を律しているのは、私自身の中に息づく別の存在に他ならない。それは良心であり、道徳心であり、突き詰めれば神と呼ばれる存在だ。
つまりこれは、事象の神格化が引き起こす一種の偶像崇拝なのだろう。
若さという神が与えた唯一不可逆的な価値観に対し、それを失いつつある者が感じる眩しさ、力強さ、生命の律動と、それらに対する畏敬の念が私を内面から縛り付けているのだ。
制服女子は、私自身の心に従い、今となってはおいそれと手を伸ばしていいものではない。。

そこで、ネットで読んだある言葉を思い出す。
「制服時代に制服女子と蜜月関係を結ぶ事がなかった者は、その後どんなの成功を収めようとも、その一点においいては一生の負け組なのだ」

そうなのだ。
私は自らが神の後光を浴びる天使だった頃、天使同士の戯れに興じる事が出来なかった。
そして天使ではなくなった今となっては、天使はただの遠い存在なのである。光に包まれ、私のような醜き存在に見向きもせず、ただ天使同士の戯れに勤しむ輝かしい存在なのである。
それはもはや取り返せない。
やり直す事など出来ない。
私は悔やんだ。
何もせず机に突っ伏して、時に男同士ゲームや漫画やエロの話で盛り上がっていたあの頃の自分を。
悔やみ、しかし悔やんでも変える事が出来ない現状を目の当たりにして、私の心は次第に吹雪の後の雪原のような静けさに包まれていった。

制服女子とは、数々の雪の結晶の集合体であり、時が経てば触れられないものへと姿を変えてしまう、この雪原に近しい。

そして、私は唐突に理解した。
私にとって制服女子とは、人間を超越した若さと女性性のイデア的な存在なのだと。
個人として存在するのではなく、総体として一つの完全なる制服女子へと統合されるものであり、街角で見かける彼女達は切り出されたほんの一部の花弁に過ぎないのだと。
制服女子のとは、数多の制服女子個人が集合し形作られた、紫陽花のようなものなのだと。
だから、私にとって制服女子の花弁を細部まで凝視する事は、その価値を貶めることにつながる。
彼女達は総体としての見て、初めて本当の価値を発揮する。
あくまでも私の中で、だが。

また制服女子が道の向こうからやってくる。
しかしすれ違う時、私はあえて彼女の顔から目を逸らした。
彼女の顔を知り匿名が崩壊してしまったら、その瞬間私の焦点は、制服女子という総体から少女自身へと移行してしまうからだ。

多分それが、制服女子を制服女子として保管する、最良の方法なのではないか。

世の中には制服女子の後光に当てられ、細部を覗き見ようとして、彼女達を傷付けてしまう輩が多い。なんと嘆かわしい事だろう。

彼らが覗き込んだ先に存在するのは、あくまでもその女性個人でしかない。法と、自らの心を犯してまで恋い焦がれた制服女子はその瞬間脆くも水泡に帰す事を理解してほしい。

制服女子は、眩しくて目を逸らしてしまう太陽のまま、古ぼけた田舎の商店街を照らしてくれればそれでいいのである。

近況160922

近況を誰にともなく報告する。

その①
ポケモンgoをひたすらやっている。
家から感知できるポケソースで2日連続でカビゴンを捕獲できたことでテンションが上がり、大嵐に晒された心のマンホールから「もっと‥もっカビゴンを!」というダメ欲求が下水みたいに湧き上がっている。
これには妻も苦笑いである。

その②
H君の作る曲があまりにもいい感じなので「ワイも‥ワイも曲を作りたいんやあああ!」という気持ちが、これまた温泉みたいに湧き上がっている。
H君の曲をハモりたい。
そして自分の曲も作りたい。
やりたいことがいっぱいである。
取り敢えず「どんびき」 の作中で平が作ろうとしている曲は、実際に作ってみようと考えている。そそん曲を録音して作品と同時進行でうp出来たら、けっこう面白い試みになるのではなかろうか、などと画策していたりする。

その③
ちょっとラノベを書いてみようと考えている。
もともと古い(?)ラノベは好きだし、そっち方面で作品を書いてた頃もあるので、頭の中で熟成しきったネタが結構ある。それを折角だから形にしたいなと思っている。
素人小説分野、特にweb掲載はやっぱりラノベを愛読する層の方が多い気がする(偏見)。そしてだからこそ、自分の作品に目を通してくれる人も増えるのではなかろうか。
そんな大海で自分の作品がどんな評価を得られるのか、試してみたい気がする。
ただし、自分の書きたいラノベは、いわゆる「異世界ハーレムもの」ではない。
やっぱそれじゃないと受けないのかな‥
ていうか最近どんびきも書いてないし、ワースレスに至っては半ば放置だ。
その辺も書きたいんだけど、いかんせん落ち着いてものを書ける時間がない。

ああ、時間が欲しい。
でも仮に目の前にどでかい自由時間がカビゴンみたいにズデーンと現れたとして、自分はそれを捕獲するのだろうか。
時間がない、それはもしかしたら、カビゴンを捕まえるハイパーボールを惜しんでポッポばっかり捕まえている自分に対しての言い訳なのかもしれない。
なんとかしたい、今の生活、今の自分を。
蛍の光や窓の雪で曲や小説を書くくらいの意気込みがないと、多分この創作意欲は消えてしまう。
そうなってはいけない。
俺の数少ない趣味で、唯一の自己表現手段なのだから。


プロフィール

幕田卓馬

Author:幕田卓馬
糖、脂質、プリン体、塩分などに気を配らないといけない歳になりました…若い頃の不摂生が原因でしょうか。まだ三十路、されど三十路!
そんな男が日々の合間に小説を書いています。

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